04 小心者が注目を集めるのは過酷な状況

 新学期が始まり数週間。通学路には春の陽気に浮かされた学生たちで色めく。

 それぞれが新たなスタートに胸を躍らせつつ、学び舎へ向かっているのだろう。存在が眩しい。視界に入れないようにして歩くべし。


 なんて思いながらのんびり通学していた。昨日までは。


「ハァ、ハァ……ここまで来ればハァ……遅刻はないぞ」


 スマートフォンで現在時刻を確認した僕は、一息ついて自転車の速度を落とした。

 じわりと背中に引っ付くTシャツが気持ち悪い。願わくば、今すぐ暗雲が立ち込めて燦燦さんさんと輝く太陽を遮ってほしい。


「自転車に乗っているときに気を抜いちゃダメぴよ。常に周囲を確認し、歩行者や自動車に注意しながら運転するぴよ」


「僕の注意力を根こそぎ奪っているのはお前の存在だと、言わなきゃわからないのか?」


 自転車を漕ぎながら自分の頭上に話しかける。他人が見たらまず奇異の目を向けられるだろうが、幸い周囲には誰もいない。目立たないように通学路から二本ほど奥まった路地を移動したのは正解だ。


「ったく、なんだってこんな、人目をはばからなきゃいけないんだ。暑いし」


「堂々とすればいいぴよ。帽子も脱いじゃえばいいぴよ」


「お前が頭から降りてくれれば、即脱ぎ捨ててやるんだけどな」


 家を出た直後、思い立って自室に戻り、押し入れから冬用のニット帽を引っ張り出した。これならピヨを隠すこともできるし、不自然さもない。


「僕は鉄面皮でもないし、心臓も鋼じゃない。頭の上にひよこを乗せて歩いていたら、世間から刺すような視線を喰らって通学路で死んでしまうわ」


 生き延びて学校にたどり着いても、教師陣からは「ふざけるな」と真っ当なお叱りを受けるだろう。誠心誠意ふざけていないことを伝えても、おそらく精神鑑定が実施される。いや、いっそ周囲に晒して協力を仰ぐ手段もありか……?


「頭に可愛いひよこを乗せている高校生なんて他にいないし、オンリーワンでスペシャルぴよ」


「何がスペシャルだ、そんな特別に憧れるか」


「じゃあどんな特別ならいいぴよ?」


 赤信号でペダルから足を降ろす。くだらない問いかけだと分かっていても、待ち時間で考えてしまう。


 いわゆる中二病のような「右手とか目に封印されし獣の力」とか「異世界からゲームに出てくるような精霊や武器を召喚できる」みたいなのはいらない。手に入れたところで、日常生活で使いどころはないからだ。


 実用的なところで超能力がいい。

 他人の考えが読めたり、透視ができたり、瞬間移動出来たり。時間を巻き戻すのもいいな。使い勝手は保証されている。


 あくまでも身に着けるなら、という仮定で、実際は『特別』に強い関心があるわけじゃない。非現実を味わいたければ漫画やゲームにのめり込めばいいだけ。

 僕の人生は平凡なまま進み、退屈だったと幕を閉じるんだ。


 信号が変わった。僕は再び自転車を漕ぎ始める。


「思いつかないぴよ? それじゃあやっぱりひよこに勝る特別はないぴよね」


「それは特別じゃなくて異常って言うんだ」


 くだらない言い合いをしているうちに学校が見えてきた。ここから先は人通りの多い道に合流しなければならない。

 ブレーキをかけてから、人差し指でニット帽の側面をつつく。


「絶対に喋ったり動いたりするなよ」


「自由の侵害ぴよ。羽を伸ばしたいときはどうすればいいぴよ」


「伸ばすほどの羽もないだろ」


 言いつけても不安は拭えない。人前で突然暴れるとかやめてくれよ。本当に頼むマジで。

 無意識に吐き出した息は覚悟の表れか諦めの境地か。握るハンドルに力が入る。


 長い一日が始まりそうだ。




「忘れてた……」


 二百メートルも進まないところでさっそく問題に突き当たる。

 先に見える校門前では、新学期恒例の身だしなみチェックが行われていた。

 校門に立つ男女の教師はどちらも生活指導の担当で、それぞれが同性の生徒に注意を促している。


 春めいたピンク色の淡色カーディガンを羽織った女性教師は、朝の挨拶をしつつ違反者に柔らかく注意。女生徒も素直に服装を正して校舎に向かう。なんと穏やかな登校風景か。


 一方の男性教師は、茶葉の出がらしのような色に染まったジャージ姿。

 校則違反者を片っ端から捕まえて「髪が明るい」「腰パンただせ」と唾を飛ばすくらい声を荒げて注意している。

 二学生と三学生からは嫌われており、今月中には新入生にも嫌われるだろう。


「どこの学校でも生活指導って体育教師が担当ぴよね」


 ニット帽の檻の中からのん気な声が聞こえてきた。


「なんで見えているんだ?」


「ピヨくらいのスーパーひよこになれば、外の様子くらい手に……羽に取るように分かるぴよっ」


 答えになっていないが、今は追及している場合じゃない。


 身だしなみチェックは頭髪検査も兼ねているので、着帽する生徒は止められて髪の毛を見せなければならない。

 当然、ニット帽を被っている僕も一時停止の対象者だ。


 もし捕まって帽子を脱げば、頭のひよこが姿を現し「なんだそれは⁉」「いやあ朝起きたら乗っていました」「ふざけるな!」の流れで生徒指導室に連行。説教を喰らったあげく、校内では『ひよこ太郎』みたいなダサいあだ名をつけられて全生徒に奇異の目を向けられる。


 そんなの絶対に嫌だ……!


 僕は拳を強く握り、現在発生しているミッションを整理する。

 作戦内容は『生活指導の教師に捕まることなく校内に入ること』。

 いくつかプランを練ってみよう。



 プランA:シンプルに激チャリ強行突破


 校門を抜けても駐輪場でお縄になりミッション失敗。そもそも生徒が多すぎて速度を出せない。


 プランB:自転車を放棄して別の場所から侵入


 自転車に乗ったまま駐輪場へ行くには校門を通るしかないが、この身一つなら裏の壁を越えて侵入が可能だ。


 だが通学用自転車には学校配布の整理番号シールが貼られているため、自転車放置が見つかった時点で個人を特定、呼び出しを喰らって結局ミッション失敗。


 特に学校近隣は放置自転車の取り締まりが厳しい。コンビニでも長時間の駐輪は学校へ連絡される。シールは張替防止スリットが入っているので、一度剥がすと二度と貼れない。再配布には申請書の記入が必要と、かなり面倒。

 誰だよこんな手の込んだ仕組みを考えたのは。


 プランC:教師がいなくなるまで待つ


 チャイムが鳴れば教師は校内に戻る。しかし遅刻は確定。

 一人遅れて教室に入れば目立つこと請け合い。「なにチョーシ乗ってニット帽なんて被ってんだよ」「格好つけるなよ、そらっ」スポッと脱がされ人生終了。



「どれもこれもゲームオーバーにしかならない……!」


 スマートフォンで現在の時刻を確認する。登校時間の終了は緩やかに、しかし着実に迫っていた。


「お前が頭の上からいなくなってくれれば、普通に通過できるんだけどな」


「ざ~んねん、それは太陽が西から昇るくらいありえないぴよ」


 イントネーションが腹立つ。降りる気がないってことはよく分かった。


「でも健全な高校生として遅刻はよろしくないぴよ。そこで、誰かが注意されている隙にこっそりと通過する案を提示するぴよ」


「お前が提案するのはまったく釈然としないんだけど……それで行くしかないか」


 シンプルイズベスト。僕は自転車を降りて手押しで校門に近づく。

 出がらしジャージのそばはリスクが高い。カーディガン先生が気を配っている方から入ろう。


「おいそこのシャツを出している三年、ちょっと来い!」


 いいタイミングで上級生が餌食になった。今だ。

 僕は談笑に花を咲かせる女子二人組を盾に、気配を殺して校門に近づく。出がらしジャージの指導は続いている。こちらには見向きもしない。


 自転車の後輪が校門をまたいだ。これは行けるぞ!


「やばっ、忘れ物したかもー」


 盾にしていた女子の一人が不意に足を止め、連れもあわせて立ち止まる。

 なぜいま思い出した! 思わずドジっ子女子に目を向ける。


 そして僕と同じく女子を見たカーディガン先生と視線がかち合う。


「おはよう。帽子なんて被って寒いの?」


 くっ、エンカウントしてしまった。

 カーディガン先生は笑顔を向けて僕に近づく。こうなっては無視できない。


「おっ、おはようございます。なんだか、朝から寒気がして」


 言い訳に反して体温はぐんぐん上昇している。


「熱は測った? まだなら保健室に寄ったほうがいいかも」


「だだっ、だ、大丈夫です」


 優しさがわずらわしい。その慈悲は僕なんかじゃなく他の生徒に分け与えてください。


「顔も赤いわね」


「そんなことは、ないです。僕の家系は代々赤ら顔で」


「おいそこのニット帽被った二年男子!」


 野太い声に全身から汗が噴き出る。奇跡よ起これと周囲を見渡すも、僕の他に該当する生徒は見当たらない。ちなみに学年はネクタイやリボンの色で判別できる。二年は緑、三年は青、一年は赤。


 出がらしジャージが僕の前にやってきた。もう逃げることはできない。


「どうしてニット帽なんて被っている?」


「それは、ちょっと寒気がして……」


 同意を求め慈悲深いカーディガン先生を探すと、先ほどまで出がらしジャージが立っていた場所で他の生徒に挨拶していた。なんだよその見事なスイッチングは!

 局面は一変して地獄へ。最悪の事態に転換した。とにかく、何か言わないと。


「いやあのですね、寝癖がとってもひどくてですね、全然ぺたってしなくて、びよーってしてたので帽子を」


「見せてみろ」


 無慈悲な脱帽宣告。有無を言わさない威圧感がほとばしっている。


「それとも脱げない理由でもあるのか?」


「は、恥ずかしいので……」


「なら生徒のいない職員室で見せてもらおうか」


 やばい……やばいヤばいヤバいヤバイ!


 今までひっそりとした学園生活を送ってきたので、教師に目をつけられてきたことは一度もない。耐性がない事態に、背中ではぬるりとした汗が掘り当てた温泉のごとく噴き出している。


「どうするんだ?」


 迫られる答えのない選択。思い浮かべる選択肢のすべてがバッドエンドに繋がっている。

 周りの注目も集め始めた。吐く息が喉を焼く。小心者が注目を集めるのは過酷な状況でしかない。


「ユート、いま脱ぐぴよ」


 帽子の中から声が聞こえてきた。出がらしジャージには聞こえないほど小さく、明瞭な指示。何度でも言うけれど、こうなったのはお前のせいだからな!


 もう諦めるしかない。思考は止まり、直前の指示を無意識に受け入れる。

 さよならこれまでの僕。よろしくひよこ太郎。


 僕はニット帽に手をかけた。

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