02 プロローグアフター:嘘を重ねる

 見知らぬ土地を彷徨さまよ揺蕩たゆたう。寄る辺ない身には、行く当てもなく、帰る場所もない。おまけにこの有様だ。

 目に移る自らの体格は薄くぼやけ、ゆらりと頼りなく形を保っている。


 絞殺こうさつによって肉体を離れた魂の在り方は、世間一般の想像と遠からず、おおよそ正しい。ただ足はある。裸ではなく、服も着ていた。

 二本の足で生者の行き交う夜の街を歩く。誘惑的なネオンに照らされながら、半生を振り返る。


 結局、ひとつも嘘をつけないまま、私は人生の幕を下ろした。


 初めて嘘が突き通せたかもしれない絶好の機会も、欲をかいて失敗。

 いくら見た目を変えても、「俺」という剛毅な性格を作りこんでも、知識やロジックを落とし込んでも、壊滅的に下手な嘘の才能を隠すことは出来なかった。


 まさか本当に信じていたわけじゃないよな。私が詐欺師だと。


 裏付ける証拠もないのに話だけで信じたとすれば、余程のお人よしか、疑うことを知らない純粋な人間だ。生きているうちにお前みたいな奴と会いたかったよ。

 本物に引っかかったら、疑う間もなく騙されるぞ。少しは他人の言葉を疑うことを覚えた方がいい。


 いないはずの誰かを想定して話す悪癖は、死んでも治っていない。

 話術を磨くために作り上げた「もう一人の自分」なんて、もう必要ないのに。

 


 森の中に迷い込んでいた。

 抜けた先にあったのは神社だ。私のような罰当たりが迷い込んでお咎めなしとは、主は留守なのだろうか。


 大気の湿気量に雨を予感する。

 水はワニ革にとって最大の天敵。高級な物ほど、すぐに傷んでしまう。『革』に水がかかるのは、自分の体が汚され、傷つけられるのと同義だ。

 強迫観念はいつからか、私に降雨を察知する能力を与えた。


 一滴でも染み込ませるものか。凌ぐ場所を求めて、社殿の扉を開けた。

 内部は質素で、奥に厨子ずし——御神体を祀っているであろう開き戸と、小さな机にしか見えない祭壇、その上に鏡が置かれているだけ。他には何もない。


 雨風から逃れたことに安心すると、私は床に横たわった。倦怠感のような、熱に浮かされるような心地。眠気も強い。


 まどろみの中で、机の下に見慣れない物が落ちていることに気がつく。水鉄砲だ。忍び込んだ子供が忘れていったのだろうか。

 昔、ワニを模した水鉄砲を買って欲しいと、おふくろにせがんだものだ。


 懐かしさで手に取ったそれは、駄菓子屋で売っていそうな安っぽさだが、新品のようだ。じっと見ていると、意識が吸い込まれるような不思議な気分になってくる。

 私は水鉄砲を握りながら、深い眠りへと落ちていった。



 夢を見た。家族の夢だ。

 親父もおふくろも、真面目を絵にかいたような人間だった。

 品行方正。清廉潔白。些細な言い間違いすら丁寧に謝罪する。他人を疑うことを知らない、善意の権化みたいな性格だった。


 だから嘘の餌食にされた。


 よくある話だ。

 連帯保証人となって多額の借金を背負わされた親父は首を吊った。母親も首を吊った。足場を蹴る前に残した言葉は『誰かを騙すより、騙される方がいい』。

 私は吊らなかった。まったく理解できなかったからだ。


 両親が破滅した理由は二つ。

 人は嘘をつかないと信じていたこと。そして、嘘を使わなかったこと。


 人は簡単に嘘をつく。自分の利益のために。

 嘘には多くのメリットがある。だから重宝するのだ。対して、正直でいることに実利はなく、損失ばかりを生み出す。貧乏な生活環境と両親の死をもって証明済みだ。


 正直という徳を積むより、嘘の恩恵に与る方が、よっぽど楽な生活ができる。

 これが私の結論だった。水鉄砲すら買ってもらえない貧しさなどいらない。


 私は嘘をつく練習を始めた。相手を上手に騙せるように努力を重ねる。そして浮き彫りになる事実。


 私は驚くほど嘘が下手だった。


 どんな嘘も必ずばれてしまう。センスがない、騙す気が感じられない。話しの内容が白々しい。かわいいもんだと笑って流される。


 もともと話すことが苦手で、口も重かった。嘘をつこうとするときは特に真面目に、一生懸命になると指摘された。

 やっぱりあの両親の血を引いている。親戚筋に言われたときは、体を流れるすべての血液を抜き捨てたかった。


 方正な血筋という縛りが生きることを困難にする。生き残った私を縛りつける呪いだと思った。『嘘をつけない呪い』なんて苦しくてたまらない。


 その後も努力は一切実を結ばず、バニーガールに絞め殺されて一生を終えた。

 天国に行けないことは分かっている。けれど、このまま地獄に落ちるなんて悔しすぎる。


 一人でいい。誰かをあざむきたい。


 正しさなど不必要。偽りこそ生きるために必要なもの。現実を生き抜くためになくてはならない要素。だから人間は嘘にすがるのだ。

 正直という白の呪縛を、嘘で黒く染めることで私は解放されるだろう。そのためには、この世に嘘が必要だと証明しなければならない。


 それが、私の『願い』。



 目が覚めると、私は二本足で立てなくなっていた。手足が上手く動かせない。

 這いずりながら祭壇に近づき、よじ登って鏡を覗き込む。


 映っていたのは、わにの顔だった。

 全てをかみ砕く牙だけじゃない。漆黒で艶やかな肌、雄々しく太い尻尾。なぜか舌が二枚あったが、些細なことでしかない。

 笑いがこみ上げ、喉の奥がごろごろと鳴る。嬉しくてたまらない。


 子供のころに憧れていた、強くてかっこいい鰐に生まれ変わった!

 経緯は不明だが、ここは神の住まうやしろ。神が願いを聞き届けたのかもしれない。今の私は……いや『俺』は神仏の使者、神の使いになったのだ!


 人知を超えた力は、俺に素晴らしい力を授けてくれた。

 体はあらゆる物体を透過する。壁を抜けることも可能だ。自分の意思で体格を変化させることもできた。最大で三倍強、縮小に関しては小指一本分だろうか。


 姿は認識されないようだ。声も届かない。

 だが、意識を定めた相手にだけは姿が見えるらしい。会話も通じるようになる。老若男女全てに例外はなかった。ただし、物理干渉だけは出来ない。


 さらに認識した相手には特殊な力が使えた。

 対象者から水分を徴収し、目から涙として排出できる。匙加減は俺次第。

 鰐の涙とは洒落が効いている。嘘は良くないなどとのたまう偽善者に制裁を加える、上等な手段だ。


 天井の雨漏りを背中に受けたとき、熱湯を引っかけたような激痛が走った。確認すると、ワニ革を濡らしたときのような水疱が出来ていた。割れると真っ白な体液が流れ出る。その色は見たくもない自分の本質を表しているようで、不快だった。


 ここまで知る頃には、体の使い方にもすっかり慣れ、自重のない体を身軽に操れるようになっていた。

 あとは宿願の機会を待つだけ。鰐が獲物を待つように、じっと……。



 まだ残雪が溶け切らないころ。神社に珍しく参拝客がやってきた。

 幾年か住み着いて分かったが、ここは小さな祭りや催し事が執り行われる以外で、誰かが来ることがない寂しい神社だ。


 賽銭箱の上に寝そべり、頭を下げる人間を観察する。娘と母親の親子ずれだ。祖母の健康祈願に訪れたらしい。

 いかにも金持ちそうで鼻につく。そして俺は子供が嫌いだ。苦しい時代を思い出すから。学内じゃ、もてはやされそうな見てくれだが、まったく興味がない。


 主が不在とも知らず、必死に願う子供。願いは届かないぜ。

 祖母の回復を望む娘に、母親は自身の努力を捧げなさいと助言。そして娘は、テストで全教科満点を取ったら願いを叶えろと、一方的な約束を取り付けてくる。

 決意と気概に満ちた眼が腹立たしい。せいぜい無駄な努力に精を出せ。


 母親が電話に気が付き、社殿の裏手に回る。都合の悪い話のようだ。


 あなた、どうだった……やっぱりもう長くないのね……言えるわけないじゃない、今だって必死に祈っていたわ。おばあちゃん子だから……ええ。私も定期健診で引っかかって、このままだと来月か再来月には検査入院すると思う……そうね、大型犬としてはかなり長生きしているから……私のいない時期と被るかもしれない……。


 ほんと、偶然って重なるものね。


 話を終えると、笑顔で娘の元に戻る。やはり嘘は有益だ。

 正直に病状を伝えるより、幻想の希望を抱かせ、成績を向上させる方が生産的。罪悪感は不本意に包まれ、必要性に淘汰とうたされる。相手のため、という緩衝材で良心の痛みも和らぐ。これほどユーザビリティに優れたシステムは他にない。


 万人が使いこなすのに、俺だけが使用できなかった機能。

 イライラする。腹いせにお前らの体を干からびさせてやろうか。

 


 数か月後、あの時の娘が怒鳴り込んできた。賽銭箱の前に立つなり、ありったけの罵詈雑言をぶつける。相変わらず神社の主は帰っていない。


 どうやら祖母が死んだらしい。努力という代金を支払ったのに、とクレームをつけているが、そもそも契約は成立していない。迷惑な話だ。言うだけ言えば、疲れて家に帰るだろう。社殿の中で聞き流す。


 嘘は必要ない、消えてなくなれ。


 娘は言った。明言した。感情的に吐いた言葉でも聞き流せない。

 俺の願いを真っ向から否定するなど、どこまで苛立たせれば気が済むんだ。苦労もせず裕福に育ってきたような小娘が……嘘の価値も知らないくせに……!


 そうだ。こいつにしよう。

 この娘に嘘の必要性を証明させてやる。胸やけするほどの甘い考えを、辛酸で塗りつぶしてやる。俺の呪いを解くための生贄になるがいい。


 地上に生きとし生きる、すべての人の魂は嘘をつく。

 動物が獲物を捕らえる手段と同じだ。人間も、我が身を生かすために嘘をつく。

 さらに人類は嘘を昇華させ、真実の価値を覆い隠す。何枚も、何枚も被せる。


 明かされた真実が正しいものだと、どうして信じられる。

 嘘で嘘を重ねることに、今さら罪責など感じるわけがない。生きるとは、嘘を重ねるということなのだから。

 それは魂にすら刻み込まれ、失われることのない本質。


 そう、思うだろ?


 嬉しさのあまり喉が唸る。死して、願いを叶える時が巡ってくるとは望外の悦び。

 俺はゆっくりと娘の前に姿を現した。唯一絶対の真理を掲げて。


「嘘はこの世に必要だ」


【第一話・了】

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