34 星が弾けそうなほどのウィンク

「武器……ねえ」


 櫻さんは僕の視線を追う。

 ガラスケースの中で横たわる短剣は、握る部分が黒く、つばや切っ先に銀の装飾が施されていた。刃渡りは僕の指先から手首くらいの長さで、根元に宝石のような石がはめ込まれている。いかにもゲームに登場しそうなアイテムだ。


「あれは儀式用の短剣アサメイを模した置き物なの。刃は偽物だし、霊障れいしょうを退けるような魔防加工もされていない、インテリア用品ね」


 部屋に置きたい、とつぶやくのは隣に座る路希先輩だ。見た目には格好いいし、少なからずテンションは上がるが、欲しいとまでは思わない。


「武器はないけれど、魔除けとか身を護る商品ならいろいろあるわよ。ちょうどゆーくんの後ろに並べているわ」


 背を向けていた壁面に振り向くと、味わいのあるアンティークチェストに様々な雑貨が並んでいる。せっかくだし、近くで見てみよう。


「指輪、ブレスレット……そっちはステッカーになっているぴよか。五芒星や六芒星のデザインはいかにもって感じぴよ」


 ピヨも興味津々で見回しているようだ。

 模様の描かれた銅の板、ピラミッドに眠っていそうな飾り、東洋の仏を主体としたペンダント……多種多様だが、どれもお守りとしての雰囲気をまとっている。路希先輩じゃないが、見ていても飽きない。


 ただ、ワニに効くかどうか……陳列商品を眺めていると、一見してよく分からない物が目に入った。人差し指くらいの大きさで、動物の尻尾みたいにふさふさして、紐がついている。ストラップかな。


「それはラビットフット。兎の足をモチーフにした幸運のお守りよ」


 いつの間にか僕の隣に立っていた櫻さんが、商品を手渡してくれた。

 流れる毛は見た目以上に手触りが良い。先端の毛をかき分けると、なるほど爪っぽい硬い部分が埋まっていた。


「野性の兎って小さい体で時速七〇キロも出せるの。だから昔の人は、足にすごい力が秘められていると考えたのね。そのパワーにあやかったお守りよ」


 比較対象として、猫の平均時速は五〇キロ弱らしい。『脱兎のごとく』とは、よく言ったものだ。


「他にも土の中で暮らすから精霊の使いとして力が宿っているとか、眼を開いて生まれてくるから邪を看破して護ってくれるとか、由来は多いわ。ちなみに紐の先はスマホのイヤホンジャックに挿せる仕様なの。なかなか可愛いでしょ?」


「……これ、買いたいです」


 もちろん自分用ではない。有珠杵に渡すためだ。

 あいつには雨の日に折りたたみ傘を借りた礼がある。ただ返すのも居心地が悪いので、プラスワンを考えていた。漠然とこれがいいかもと思ったのは、校庭で見たあいつの耳が、兎のようだったから……かな。


「買ってくれるの⁉ きゃーありがとうございまぁーす! ゆーくん大好き!」


「だ、大好きって……ふぁ」


 歓喜の声と共に、すべすべした手が僕の手を包み、撫でまわしてくる。


「社長にブランド品を買ってもらったキャバ嬢みたいなリアクションぴよ……」


 こういう女の仕草に勘違いしない男になるぴよ。そんな注意喚起が降ってくるが、僕はチョロいと言われているのだろうか。


「ちなみに支払いは現金? クレジットや各種電子マネーも使えるわよ」


「じゃ、じゃあ電子マネーでお願いします」


 勢いに気取られつつ、ガラスケース兼支払いカウンターに移動し、レジ横に設置されている端末にスマートフォンを近づけた。


 鳴ったのは支払い不可のエラー音。


「あれっ?」


 画面を確認すると、残金不足の表示が出ていた。

 支払金額が不足しているときは、自動的にお金がチャージされるはずなのに。手動で入金操作してみるが、それでもエラー表示が出てチャージできない。こんなことは今までなかった。


 櫻さんを待たせるわけにもいかないので、財布から千円札を支払う。念のためにと持たされていた現金も残り少ない。


「はいお釣り。いま包むから待っててね」


 レジの周囲をなんとなく眺めていると、置かれたミニバスケットの中に、見覚えのある茶色い小袋が収まっていた。紹介札には「気分すっきりユニコーンの霊薬、ご自由にどうぞ」の文言。昼間に路希先輩から貰った薬はこれか。

 焼肉屋のレジに置いてある口直し用の飴と同じ感覚だな……そんなことより、


「このユニコーンの霊薬って、本当ですか?」


「まっさかー」


 やっぱりただの胃薬だよな。


「ただのラムネの粉末よ」


「駄菓子⁉ え、薬じゃない……? じゃあ、なんで……治ったんだ?」


 一人で混乱する僕は、櫻さんに昼間の出来事を話した。

 ユニコーンの霊薬を飲んでから、気持ち悪かった体調がとたんに良くなったことを。スーッとしたのは粉末に含まれるミントの爽快感だったらしい。

 話し終わると、櫻さんは不思議な現象を軽い口調で一蹴した。


「たぶん、薬だと思って飲んだからじゃない?」


「そんな適当な」


「根拠はあるわ。偽薬プラシーボ効果って言って、薬じゃなくても薬だと思い込んで飲めば、体が誤認して本当に効いちゃうの。一種の暗示的な心理作用ね」


 そんなことあるのかと思いつつ、自分の体で立証している以上、否定はできない。


「ようするに、信じる者は救われるってことよ。はい、できあがり」


「ありがとうござ……」


 こんなラッピングは頼んでいない。

 受け取ったピンクの紙袋は、金のリボンでちょうちょ結びされていた。裏返すと封をした部分にはデフォルメされた黒猫の顔に「present for you!」と書かれたシールが貼られている。

 

「あの、普通の袋で良かったんですけれど」


「そんなのダメに決まっているじゃない!」


 櫻さんは僕の両肩に手をバシッと置き、他人事とは思えない眼差しを向けてきた。真剣過ぎて怖いです。


「贈り物を適当な袋で済まそうだなんて、そんな湿気しけた考えは直ちに捨てなさい! 気持ちは目に見えるもの——形にしないと伝わらないの。『分かるだろ、俺の気持ち』なんて自分本位の言葉を吐く男は、顔面に熱々の麻婆豆腐をぶっかけられても文句言えないのよ!」


「どこで何をやったらそうなるぴよ⁉」


 先にピヨがツッコミを入れてくれたので、僕は言葉を飲みこむ。シチュエーションはまったく頭に浮かばないけれど、きっと実話だ。

 櫻さんはダメ男に容赦がない。この短時間でよく理解できた。その上で壮大な勘違いをしている。僕と有珠杵はそういう仲じゃない。


「私はゆーくんのこと、応援しているから」


 両肩の荷重が消えると、櫻さんは我が子を慈しむように優しく微笑む。心情の緩急が速すぎて、いよいよついていけない。


「そしてまたトロけるように甘酸っぱ~い青春トークを聞かせてちょうだいね。お姉さんとの約束だぞっ☆」


 星が弾けそうなほどのウィンクに、僕はただ首を縦に振るしかなかった。

 悪い人じゃない。それだけははっきりしている。




 静かに降る雨が、ネオンで色づく路地を濡らす。

 すっかり長居してしまった僕らは、店を出て駅へと歩く。悪天候に関わらず賑わい始める街に、今日は土曜日であることを思い出した。


「櫻さんと知り合ったのは一昨年のフリーマーケットなんだ」


 道すがらの話は、路希先輩と櫻さんの出会いへと切り替わる。


「私が櫻さんの出店物を眺めていたら声をかけてくれたんだ。魔女に興味があるの? とね」


「もしかして、部活で着ている帽子とマントって」


「櫻さんから買ったものだ」


 部活——超自然現象研究会のユニフォーム。二点セットで七八〇円。そんなこと言っていたっけ。


「オカルトに興味があるなら遊びにおいでと、お店を紹介してくれたんだ。以来、たまにお邪魔しては話を聞かせてもらっている。いろいろなことを知っているから、話していて楽しい人だ」


「サクラは博識……とりわけ心理学関係に詳しかったぴよ」


 路希先輩の紹介だから、てっきり超常的な物を当然と捉える人なのかと想像していた。いざ会ってみれば、まったくの逆。


 櫻さんは科学的な観点から悪霊の存在を否定した。理屈で物を考える僕にとって、それは覿面てきめんの説得力だ。

 直情的な怒りでしか反論できなかった自分は、子どもなんだなと思い知らされた。


「あの人は憧れの大人だ。自分のやりたいことで生計を立てている。私もそんな将来を迎えたい」


「先輩は進路どうするんですか」


 路希先輩は三年生。卒業後について考えなければならない時期だ。


「大学には行くつもりだが……卒業するまでいるかどうかは分からないな」


「何かやりたいことがあるんですか?」


「私は、探検家になりたい」


 予想だにしない職業が飛び出した。


「見たことのないものを見て、知らないことに触れたい。未知なるものに対する渇望は、私の生きる理由で、原動力なんだ」


「両親はなんて言っているぴよ?」


 僕も同じことを思ったので聞いてみる。


「今の気持ちをはっきり伝えたら、やはりいい顔はしていなかった。一人娘が探検家になりたいなんて、頭を抱えるところだろう。そもそも、職業かどうかも定かではないしな……でも私は安定して人生ではなく、充実した人生が欲しいんだ」


「難しい進路ぴよね……担任だったらアドバイスに悩んじゃうぴよ」


「担任に同じことを言ったら、さすがに現実を見ろと言われた。でも、私は他人のために生きているわけじゃない。自分のために生きているんだ。世間体や安定を私は望まない。私の歩く道は私が選ぶ」


 羨ましいと思った。そして強い、とも感じた。

 将来に不安や失望がない。むしろ、先が分からない事が楽しいと思っている。僕とはまるで違う。


「優斗は将来の目標を考えているのか?」


「いえ……決めていません」


 本当はずっと昔から決めている。決まっている。つまらない人生の一本道を。


「まだ二年生だ。焦って決めることはないさ」


 路希先輩は水たまりを気にせず歩く。僕は足を踏み入れないように注意して進む。


 焦りなんてない。どうせ待っているのは暗然あんぜんとした将来なのだから。

 もし結晶を手に入れ、全てが丸く収まれば。僕はその未来へと繋がる、平穏で平凡なその道へと戻る……戻らなきゃいけない。


 思い出したくなかった。目を背けていたかった。




 路希先輩はバスで帰るらしい。地下鉄の入り口前で別れることになった。


「優斗に頼みがある」


 小さな封筒を渡された。手触りは薄い。


「有珠杵恋振に渡してほしい。明後日の放課後までに」


「ずいぶん急ですね」


 明日は日曜日だから、渡すタイミングは実質月曜日しかないけれど……会える可能性は低い。


「雨は週明け前に止むらしい。だから実行に移そうと思う」


 ワニの呪いを解く儀式を。

 宿願と言わんばかりの笑みを浮かべる路希先輩。


「天気に何の関係が……って、聖水が完成したんですか?」


「くぁかか。はっきり言おう、完璧だと。非の打ち所がない最高傑作だ!」


 立てた親指から、圧倒的な自信と底知れぬ不安が伝わってくる。完璧な聖水とはなんだろう……でもあの地獄の匂いが昇華したとなれば、悪霊だろうが神だろうが、一様に悶絶させられそうだ。とうとう人類の最終兵器が完成してしまった。


「私は有珠杵恋振の連絡手段を持っていない。だから頼んだぞ。では明後日」


 一方的に言い残し、先輩はバス乗り場へ行ってしまった。


 有珠杵との接点を作っておけば、聖水が完成した時に話を持ち掛けやすい。だから僕は労して縁を持った。

 どうやらここまでは路希先輩の筋書き通りに進んでいるらしい。あの人もなんだかんだで食わせ者だ。


「どうするぴよ? 学校じゃ確実に渡せるかどうかわからないぴよ」


 ピヨの言葉は重々承知だ。ため息をついて、ビニール傘に落ちる雨を見上げた。


「明日は家に居るつもりだったんだけどなあ」


 二日続けて外出とは、我ながらアクティブな週末の過ごし方だ。

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