28 枯れない怒り(2)

 大家さんの自宅は住宅地に入って程なくの場所だった。普通に歩けば五分くらいだろうけど、腰を痛めた大家さんのペースに合わせると倍以上の時間がかかった。


 古き良き日本家屋、というべき佇まい。昭和の建物なんて言い方がぴったりだ。

 玄関の引き戸がガラガラと大仰な音を立てる。


「お邪魔し……失礼します」


 大家さんに続いて三和土たたきに足を踏み入れると、不思議な匂いがした。


「ぴすすぅ……昔ながらのおうちのにおいぴよ」


 ピヨの言葉を意識して静かに鼻から息を吸う。

 これが古い家の匂い……木とか土とか、そういった材質の香りなのだろうか。でも孔雀荘の室内とは異なり、こちらはなんだか落ち着く。


 木目の浮かぶ廊下は大家さんが歩くたびにみしっ、みしっと音を立て、それがまた年季を感じさせる。


「とりあえずここでいいか」


 僕は廊下に買い物袋を置いた。これで実践躬行じっせんきゅうこう、やるべきことはやった。挨拶して帰ろうとしたら、奥から大家さんが顔をのぞかせる。


「何してる。さっさと上がれ」


「……え?」


「茶を出す」


 と言って、また姿を消してしまった。


「えぇ、ちょっ……どうすれば……」


「フデムラなりにお礼をしたいのかもしれないぴよ」


「そんなのいいから帰りたいんだけど」


「煩わしいと感じても、こういうときは素直に受け取っておくものぴよ。目上の人ならなおさら、社会で上手くやっていく作法ぴよ」


 破格の家賃で部屋を借りる以上、僕は大家さんの機嫌を損ねるわけにはいかない。

 安さと引き換えに行動を制限されている気になってきた。貧富の差はそのまま人間関係の立ち位置にも反映される。


 観念して靴を脱ぎ、廊下に上がった。あ、荷物も中に運んだほうがいいか。


「お、お邪魔します」


 とりあえず大家さんの入った部屋に向かうと、中央に立派な黒塗りのテーブルが置いてあった。居間のようだ。

 スーパーの袋と鞄を置き、高そうな刺繍の座布団に正座した。障子の先には縁側があり、小さな庭が広がっている。


「立派な家だな……それにデカいテレビ」


 居間の壁に掛けられた液晶テレビは、僕の家にあったものよりサイズが大きい。隅に置かれたファンヒーターも新しめだし、アパートの室内掃除に使っていたものとは別のロボット掃除機が寝ている。


「大家さんってお金持ちなんだな」


「きっと他にも借家を所有しているんだぴよ。ああ、夢の不労所得ぴよ……」


 そういえばあのアパート、正式名称は『第二孔雀荘』だったっけ。なら第一もあるだろうし、他にナンバリングが続いても不思議じゃない。


 でも第二孔雀荘以外の収入で生活できるなら、無人のボロアパートなんて所有する意味あるのだろうか。

 維持費がかかるだろうし、むしろマイナスにしかならない。なにか手放さない理由があるのだろうか。


 そんなことを考えていると、大家さんがお盆を持って戻ってきた。


「こんなもんしかないが」


 ぶっきらぼうに言ってテーブルの上に置いたのはお茶の入った湯飲みと、いろいろなお菓子が乗った木皿。そして半月状にスライスされた淡黄色たんこうしょくの物体。


「これは……?」


「たくあんじゃ。嫌なら食わんでいい」


 一方的に言って、買い物袋を奥の部屋――おそらく台所に持って行った。


「お茶にたくあんって……これも食べるのが礼儀か?」


「苦手じゃなければ食べておくぴよ。ユートはたくあん食べたことないぴよ? コンビニ弁当に入ってる桜漬け大根と一緒だからきっと大丈夫ぴよ」


 いや向こうはピンク、こっちは黄色。同一物体じゃないだろ。

 ここまで来たら仕方がない。腹をくくって添えてある爪楊枝で一枚刺し、おそるおそる半分かじる。

 こりこりと小気味よい歯ごたえ。たしかに大根だけど……。


「ん、美味しっ」


 思わず感想が飛び出す。見た目の想像と違って甘く、噛めば噛むだけ旨味が増す。

 しっかり咀嚼そしゃくして飲み込むと、手が自然と湯飲みを持ち上げていた。


「あ~飲み頃の熱さ……お茶にたくあんってベストマッチだな」


「ユートが大人の階段を登って、ピヨは成長を感じるぴよ」


「成長というか年寄りになった気分だ」


 最後の一枚を食べ終えると、大家さんが戻ってきて、どっこいしょと僕の右隣に座る。家に帰ってきてから動きっぱなしだけど大丈夫なのだろうか。


「あの、腰の具合は……?」


「湿布を貼ったからだいぶ楽になった」


 それからぴたりと会話が途切れる。


「この感じ……以前アパートの部屋で二人きりになったときと同じ空気ぴよ。ユート、フデムラに話題を振るぴよ」


 じゃあネタをくれ、なんて請求は口に出せない。何かないかと室内を探した結果。


「テレビ、大きいですね」


 しょーもない話題しか出せない自分が悲しくなった。僕のアドリブ力なんて所詮この程度だ。


「妻が新しもの好きでな。まだ現役のテレビから乗り換えた。この部屋には不釣り合いじゃが、年寄りの目にはありがたい」


 大家さんはポケットから取り出したスマートフォンをテーブルに置く。


「わしも随分と電化製品に詳しくなったし生活も便利になった。ジジイだからと昔の場所に居座るより、最先端に近づくべきだと学んだわい」


「ハイテクおじいちゃんなのはそういう理由があったぴよね」


 台所や寝室には他にも最新鋭の家電が揃っているのだろう。一切を処分した自分ににはうらやましい環境だ。

 良い調子だ、会話が弾んでいる気がするぞ。ここから広げていこう。


「奥さんはおでかけしていらっしゃるんですか?」


「……そうじゃな。もう何年も帰って来とらん」


 大家さんが隣の部屋を見た。ふすまが細く開いている。

 向こう側には仏壇と、一枚の写真がのぞき見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る