Ⅳ ひよこたちは歩き始める
40 女心の教科書をください
風邪を引いてしまった(>_<)
帰りのホームルーム中に震えていたスマートフォンを確認すると、
昨日の帰りがけ、詳しい話は放課後に聞かせてもらうと、頬を赤らめて興奮していた。あのときすでに熱があったに違いない。
「ロキには申し訳ないけれど、ピヨたちも必死で余裕がなかったぴよ」
こちらは一晩明けてすっかり元気を取り戻したピヨ。登校時は口数が少なかったが、午後はいつも通り勝手にしゃべっていた。
「陰の功労者には、あらためてお礼を言いに行くぴよ」
あの時間、屋外を儀式の場所にしたこと。ワニの弱点である水と、とどめを刺した短剣を用意してくれたこと。路希先輩の準備がなければ、勝つことはできなかったかもしれない。
詳しい事情の説明と感謝を兼ねて部室へ行く予定だったが、後日に延期だな。お大事にと返信して、座席から立ち上がる。
「早めに行くぴよか?」
賛成の意味を込めて、小さく頷く。今日はピヨに用事を頼まれている。日が落ちる前に済ませてしまおう。
教室を出たところで、威圧交じりの声に呼び止められた。
「待っていたわ仲村君」
振り向くと、廊下の真ん中で仁王立ちする
「昨日ぶり。調子はどうだ?」
「すこぶる快調よ。朝からご飯を二杯もおかわりしたの」
「勝手にパン派の家だと思っていたよ」
家構えで食卓をイメージしてはいけないな。そしてよく食べる。
心なしか血色が良い。ワニの呪いから解き放たれて、安心したのもあるのだろう。
「どうしたんだ? お前から声をかけてくるなんて」
「声をかけないと気がつかなかったでしょう。じゃ、行くわよ」
取り決めをなぞるように下り階段へ歩き始める。待て待て。
「行くってどこにだ。もしかして路希先輩のところか? それなら風邪を引いたらしくて……」
「鈍いわね。自由になったのだから、行くべきところはひとつ」
振り返った彼女は、真剣な顔つきで人差し指を立てた。
「スイーツを食べに行くのよ」
説明もなく引っ張られてきたのは、街中の地下飲食店街。喫茶店からレストランまで、大体のジャンルが看板を下げている。
制服姿が多い。みんな放課後はこういうところで遊ぶんだなあと、他人事のように思う。
「ユートの学校は制服で買い食いしてもいいぴよ?」
「ダメな高校なんてあるのか? そんなところ、誰も入学しないだろ」
隣に有珠杵がいることもあり、はばかることなくピヨに話しかける。会話には入ってこず、黙々と目的地に向かう。聞いても教えてくれないし、どこへ行くつもりだ。
「着いたわ」
立ち止まった店先には、ジェラートと書かれた看板が下がっている。
シンプルだけどお洒落さを醸し出す店構え。店頭のガラスケースの中には、ケーキのデコレーションみたいに盛られたフレーバーが並ぶ。
僕の知っているアイスクリームショップとは、明らかに一線を画す。
「注文を決めて。私はミルキーバナナとむらさき芋のダブルフレーバーカップにするから」
「選ぶの早いな」
「今日の一限目を全部使って決めたわ」
真面目に授業を受けろよ……って、学年トップには
僕はチョコレートとバニラの無難な組み合わせを選び、店内で食べることに。
クラスメイト達にくっついてファーストフードの店に入ったことは何度かあるが、一対一で食べ飲みするのは生まれて初めてだ。なんだかソワソワしてしまう。
五つしかないテーブルのひとつが空いていたので、向かい合って席に着く。互いの目の前には、鮮やかなコントラストが山を
「有珠杵はよく来るのか?」
「生まれて初めてきたわ」
「その割には、注文とか慣れていた気がするけど」
「二時限目から六時限目まで脳内シミュレーションした成果が実を結んだのね」
満足げに言うことか? 今日一日、始業から終業までアイスのことだけ考えていた女子高生は、日本でおそらくお前だけだぞ……でも念願だった気持ちは理解できる。
呪いのせいで過剰に他者を警戒していた有珠杵にとって、顔見知りや赤の他人が行き来する街中へ赴くのは、命に係わる危険行為。
その考え方が決して大げさではなかったことを、僕は今日知った。
ここに来るまで、有珠杵は何度も声をかけられた。俗にいうナンパというやつだ。校内美人ランキングトップ3の評価は伊達じゃない。
断るたびに「今日は彼氏とデートなんで」と風よけに使われ、自分がなぜ誘われたのかを理解した。嘘が解禁されたから使える、手っ取り早い回避手段だ。
ナンパ男たちが僕に向けていた「なんでこんな奴が?」「釣り合ってねーだろ」という視線は重々理解できる。誰が見てもミスキャスト。でも役者は僕しかいなかったのだから仕方ない。
授業そっちのけで楽しみにしていたんだ。役割に文句は言うまい。
「食べないの?」
「そうだな。じゃあ、いただきます」
刺さっているプラスチックのスプーンを手に取り、バニラから口に運ぶ。興味があったのか、ピヨが肩まで降りてきた。
「どうぴよ?」
「すごく濃い。コンビニのアイスとは別物だな」
なめらかな舌触りに見た目を裏切らない濃厚な味。さすがお洒落な専門店だ。
有珠杵もそれぞれのフレーバーを一口ずつ味わう。
「間違いないわ。さすがネットで評判の組み合わせ」
「そこまでリサーチしたのか」
続いて食べたチョコレートも、しっかりと甘いのにくどくない。バニラと交互に食べると無限に食べれるんじゃないかと思ってしまう。
一人じゃ絶対に知ることはなかった味。風よけになった甲斐があるというものだ。
「仲村君のも美味しそうね」
有珠杵が僕のカップに視線を注いでいた。
「鉄板の組み合わせだしな。食べたいのか?」
こくりと頷いたので、手元にカップを置いてやる。
「私のスプーンを使うと味が混じってしまうわ」
「別に気にしないけど……じゃあ新しいスプーンをもらってくるか」
「それを貸して」
指さすのは僕のスプーン。構わないわと念を押すので差し出すと、
「どれくらい食べていいか、すくってちょうだい」
「一口でも二口でも食べればいいだろ。……これでいいか」
バニラを一口分スプーンに乗せて、量を確認してもらう。
「もうちょっと持ち上げてみせて」
「はいはい、お嬢様、これでいかがでしょうか……」
顔の前まで持ち上げた瞬間、有珠杵は餌に喰いつく魚のようにぱくり、とアイスだけを食べ去った。
耳元で黄色い声が歓喜する。
「きゃっぴぃ~! とんだ策士ぴよ~っ!」
「最初からこれが狙いか!」
椅子に背中を預けた有珠杵は、すまし顔でアイスを堪能し、飲み下す。舌先でぺろりと舐め取る唇は「してやったり」と言わんばかりに口角を上げた。
「食べさせてと言っても、仲村君は拒否するでしょう?」
「当たり前だろ! 子どもみたいな横着するな!」
互いにいい歳をしてすることじゃない。焦って周囲を見回すが、誰もこちらを見ていなかったのでホッとする。
「仲村君を騙して食べたアイスの味は一・七割増しの美味しさね」
「凶悪な山賊のセリフだ」
「人聞きが悪いわね。ちゃんと私のアイスもあげるわ。ほら、物欲しそうな顔で口を開けなさい」
真面目な顔で何を言っているんだこいつは。僕は有珠杵の手元から自分のカップを引き取る。
「そんな羞恥プレイには乗るわけないだろ」
「想像の域を出ない答えね」
構えていたスプーンはUターンして有珠杵の口に入る。
「いいわ、今度は別の手を考えておくから」
怖いよ次はなにを仕掛けてくるんだよ。
これだから有珠杵との会話は油断できない。さすがは男を振り回す女。名は体を表していたんだな、ずっと。
「コフレに有益な情報を提供するぴよ」
まだ肩にいたピヨが、羽先を僕の顔に向ける。
「ピヨの見立てでは、ユートはかなりチョロい男ぴよ」
「突然の侮辱罪成立! こいつの世迷言には乗るなよ」
タッグを組ませまいとけん制すると、有珠杵は僕の頭の上を凝視する。
「認識できなくなったの」
「……それってピヨが、か? いつからだ」
「ワニの舌を
視線の先には何もない。ピヨはまだ僕の肩にいる。じゃあ、ここに来るまでの会話もまったく聞こえていなかったのか。どういうことだとピヨに尋ねた。
「んー……今までピヨが認識できていたのは、ワニの憑りつきによる副次的な作用だったと思うぴよ。
僕もワニを認識できたのはピヨの影響だ。有珠杵も似たようなものだと考えれば、納得はできる。
「コフレとおしゃべりできなくなったのは寂しいけれど、ワニの呪いが解けた紛れもない証ぴよ。喜ぶべきことぴよ」
「気にするな、ってさ」
五文字に要約して伝えると、有珠杵はスプーンを置いて、深々と頭を下げた。
「改めて仲村君、ピヨ。このたびは助けていただき、ありがとうございました」
「なっ、どうした急に」
とりあえず顔を上げてもらう。
「感謝した相手には必ず言葉で伝えなさいって、おばあちゃんが言っていた」
「それもロックか?」
「人として当たり前の礼儀」
祖母の言葉と言われると、全部ロックが前提になってしまった自分がいる。破天荒と常識のふり幅が大きすぎて、未だにおばあちゃんのキャラクターが定まらない。可能ならば一度会ってみたかった。
長い黒髪を耳にかけ、有珠杵はカップの中身に視線を落とす。
「神社で見た夢が正夢になったわ」
「そういえば、いい夢を見たって言っていたな」
居眠りから起きた後、妙にご機嫌だった。
どんな内容か聞いてみると、有珠杵はパステルな色を口に含み、満たされたように語る。
「化け物に飲みこまれそうだった私を、王子様が身を挺して助けてくれたの。ちっとも強そうじゃないのだけれど、威勢だけは立派で、最後は化け物を追い返したの。不器用で、一生懸命で……すごく格好良かった」
「コフレ、ピヨは完全に察したぴよ……素直じゃないところがいじらしいぴよぅ」
羽をくちばしに当ててくねくねされても、何をどう察したのかまったく分からないんだけど。僕にはお嬢様じゃなくてお姫様だな、くらいのコメントしか出てこない。
「正夢になったなら、そのうち王子様も現れるだろ。今日だって何度も候補者に声をかけられていたし、すぐに見つヒッ!」
軒先に垂れる
コメントに不備はないだろ、悪いこと言ったか⁉
「本当にユートはユートぴよねえ……」
「何がだよ、分かるように言え!」
しかし、ここで掘り返せばピヨと有珠杵の挟撃でおもちゃにされるのは学習済み。認識できなくなっても、会話の内容くらい容易にくみ取ってきそうだし……別の話題にすり替えるのが賢い。
「い、家とか、学校はどうだ? 自由に話せるようになったし、楽になっただろ」
「理由を話すわけにもいかないから、急には変えられないわ。それに、一年間でこの性格が板についてしまったし……。両親はともかく、クラスでは急いで位置を改善していこうとは思っていない。つっけんどんにするのはやめるけれど」
急に明るくしゃべるようになったら、みんなびっくりするよな。徐々に変えていくのがいいのかもしれない。
「でも高校生活の三分の一を浪費してしまったのは、本音を言うと……後悔している。だから、残りの時間で私は青春を取り戻すの」
「青春……かあ」
僕にはピンと来ない単語なので、それが有珠杵にとってどれほど魅力的な事柄なのか推し量ることはできない。友達と遊んだり、学生らしい恋愛に費やすものであれば、僕とアイスを食べている時間は無駄だと思う。
手伝えることがあるとすれば、きっと今日みたいな囮役だろうな。
「ま、頑張れよ。買い食いぐらいだったらつき合ってやる」
「じゃあ次に行きたいお店を探しておくわ。教室の前で待つのも疲れるから、番号を交換しましょう」
言いながら有珠杵はスマートフォンを取り出した。イヤホン部分には白くふわふわとしたアクセサリがぶら下がっている。これからも幸運を呼んでくれよ。
「……交換完了ね。ところで仲村君、アイスが溶けかかっているわ」
「いけね、すっかり忘れてた」
味の融合しかけているアイスを口に運ぶ。うん、これはこれで悪くない。
飲みこんだのを見計らったかのように、ロックな女の眼が光る。
「美味しい? 甘くなった私の唾液は」
「またそのネタか! どうしてお前は僕を変態にしたいんだ」
「初めはただ貶めていただけだったけれど、今は他の女子から気持ち悪がられるように
「僕の評判を落としてお前に何のメリットがある⁉」
女子だけでなく、男子だってもれなく気持ち悪く思う。教師も問題視する。そして孤立。有珠杵のビジョンが見えてこない……こいつは僕に何を望む。
「なるぴよ、二重の意味で唾をつけたってことぴよね。ダブルミーニングぴよ!」
「何と何が⁉ 理解を越えていて想像もつかないんですけど! 頼む降参するから教えてくれ、ピヨ!」
「それはフェアじゃないぴよ。ユートが女心を勉強して、答えにたどり着くぴよ」
じゃあ女心の教科書をください……独学なら一生理解する自信がありません。
と、スマートフォンの表示時刻を意識する。地下街だから分からなかったが、地上は日暮れ時に差し掛かるころだ。用事があることを忘れていた。
「すまない有珠杵。実はこの後、ピヨと約束があるんだ」
「そうなの……まあ急に誘った手前、今日はこのくらいで見逃してあげる。次が楽しみね」
軽率に連絡先を教えてしまったことを悔やむ。今後が不安でしかない。そんな心配など露知らず、彼女は微笑む。
「狙った獲物は逃がすなって、おばあちゃんに言われているの。だから……覚悟しておいてね」
恐ろしい言葉とは裏腹に、有珠杵の笑顔はとても和らいでいる。
溶けたアイスは舌に優しく、より甘みを感じやすい気がした。柔らかいのも、違った味わいがあって魅力的だ。
有珠杵と別れ、僕とピヨは三度、あの屋上へ向かう。
最終目的である
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