41 だから笑ってさよならを
「ぴ、ぴ、ぴ……気配が近づいているぴよ!」
相変わらず人気がない下水処理場の屋上で、ピヨは探知機のような反応を示す。視界にそれらしき物体は見当たらない。そもそも、
ピヨの話では、事が終わった後も結晶の気配は残っていたらしい。
隠していたと思われるワニの舌は、有珠杵によって根元から切り取られ、ワニが消えてから空に放り投げられた。本体が蒸発しても舌が原型を保っていたのは、体の一部ではなかった、ということなのだろうか。
「切り取った舌の回収とか、嫌すぎるな……」
一日経った舌がどんな状態なのか。路希先輩ほどじゃないが、僕もグロテスクなのは得意じゃない。
有珠杵がとどめを刺した場所にやってくると、ピヨがそばに設置された、用品管理の物置小屋に注目した。ありふれたスチール製の物置だ。引き戸には当然ながら鍵がかかっている。
「たぶん屋根の上ぴよ。ユート、ちょっと登ってみるぴよ」
「簡単に言うな。この高さは無理だ」
屋根は僕の身長より高く、伸ばした中指の先がギリギリ届くくらい。ジャンプすれば手をかけられそうだけど、登れるほどの腕力がないことくらい自覚している。踏み台にできるようなものもなさそうだ。
「手だけ伸ばすから、様子だけでも見てきたらどうだ?」
指の先にピヨを立たせ、右腕を真上に伸ばす。この姿勢は結構しんどい。
「見える……かっ」
「ぴっ! ちょうど目の前の縁に引っかかっているぴよ。引っ張ってみるから、もうちょっと腕を伸ばすぴよ」
うめき声を出しつつ、限界まで背伸び。とたんに普段使わない筋肉たちが、突然の労働に悲鳴を上げる。
よく考えたらピヨが登った屋根の上から舌を押し出して、僕が下でキャッチすればいいんじゃないのか?
そう提案してみたが、なぜか断られた。言及したかったが、今の体勢は喋るのもしんどいので諦めた。
「よいぴょ、よいぴょ……もうちょっとぴよ」
早くしてくれ……全身がつりそうだ……!
首筋が痛くて顔を下げると、小屋の壁に不自然なへこみが出来ていた。そう言えばここ、昨日ワニが有珠杵の蹴りでぶっ飛ばされたところだ。僕の腕の傷は消えたのに、壁のへこみはそのままなんだな。
「ぴょー……れっ!」
気の抜けるような掛け声の直後、頭頂部にこつんと固いものが落ちてきた。張り詰めていた糸がぷつん、と切れるように力が抜けて、しりもちをついてしまう。
「あたた……落とすなら落とすって言え」
「ごめんぴよ。でも見た感じ怪我はしていないから安心するぴよ」
瞬時にして定位置に戻ったピヨが、落下地点をさすさすしてくれる。怒るほど痛かったわけじゃない。だけど、舌と想像するにはほど遠い感触。かと言って石ころのような硬さや重さでもない。何が当たったんだ?
周囲を確認すると、さっきまでなかったものが落ちている。
でもそれは、舌でもなく、原石と言える固形物でもなく、思い描くイメージとはあまりにもかけ離れている物体だった。
「まさか、これが……
拾い上げたのは、手の中に納まるサイズで、銃の形をしていて、半透明で中は空洞。軽い引き金を引くと、しゅこ、と空気が押し出された。
「どう見ても……水鉄砲なんだけど」
簡素な造りで安っぽい。使い古されたように摩耗していて、ところどころ亀裂が入っている。水を入れたら確実に漏れるだろうな。
「舌が水鉄砲になったってことか? なんで? 質感もプラスチックと変わらないし、結晶のけの字もないぞ」
「ピヨだって意味分からないぴよ。でも気配の元はこのおもちゃに間違いないぴよ」
詳しい話は聞かされていないんだっけ。ここまで名称とかけ離れた形状なら、あらかじめ教えておいてほしいものだ。これでいいなら文句はないけど。
水鉄砲をブレザーのポケットに入れて、筋の伸び切った右腕を回す。
「なんにせよ目的物も回収したし、これでお前の役割も完了だな」
一息ついて、取り囲む金網から遠い空を眺める。
沈みゆく太陽が黄金の輝きを放っていた。浮かぶ雲に光を反射させ、夜に飲みこまれまいと地平にしがみつき、存在を主張している。この世界に未練があるかのように、美しく燃えていた。
「いつ、帰るんだ?」
「未定ぴよ。未だに連絡もつかないぴよ」
「そっか」
僕の波乱に満ちた日々も、終わりの時が見えてきた。夕日が目にぴりりと染みる。
「頑張った報酬とかあるのか?」
「一応、ごほうびが用意されているぴよ。本当にもらえるのかどうか分からない、大層な代物ぴよ」
思いつくのは超高級トリの餌くらいだ。
「よかったな。僕も褒美が欲しいよ」
「ユートだって新しい人間関係が得られたぴよ」
まったく望んでいないし、もらっても嬉しくない。
安価に見定めたその価値を、ピヨは説明する。
「人の絆はかけがえのないものぴよ。あるのかないのか目に見えないし、ちょっとしたことで失ってしまったり、疑ってしまうような儚いものだけれど……大事にしたいと思って
大切にって、どうすればいいんだ?
相手に対する印象なんて千差万別だし、互いの評価なんて一致しない。そこをすり合わせて関係を良くしていく方法なんて、他人に無関心を貫いてきた僕が知るわけないだろ。きっとまた、独りになってしまう。
「それと誰かのために一生懸命になれる心も、すごく尊いぴよ。ユートは名前の通り、どこまでも優しい子だぴよ。よぴよぴ~って、してあげるぴよ」
「しなくていい。過大評価だし……そんな立派なことをした自覚はない」
元をたどれば、有珠杵の呪いを解こうとした理由は自分のためだ。
平穏で平凡なこれまでの生活に戻るため、頭の上に住み着いたわけの分からないひよこと離れるため……だったのに。
なのに今は、望みが叶うことを拒んでいる自分がいる。今の生活を失いたくないと、元の道に戻りたくないと願っている。
僕は何のために頑張っていたのだろう。一週間前はあれだけ戻りたいと努力していたのに、もうすぐ取り戻せる日々は、価値を感じないものへと変貌していた。
その理由を、僕は受け入れたくなかった。
どれだけ拒否しても、戻るしかないのだけれど。
「ユート、暗くなる前におうちに帰るぴよ」
「そうだな」
ずっと連絡が来なければいいのに。
心の底で願う。
「来たぴよーーーーーっ!」
「どぅわっ⁉」
家の扉に手を書けたとき、弾けるようにピヨが声を上げた。
「ずーっと連絡していたのにどーして繋がらなかったぴよ! ……ピヨのせいって、そんなの知らないぴよ!」
独り言を聞く限り、ようやく神様のところと連絡ができるようになったらしい。僕の願いはあっけなく閉ざされた。
「結晶は回収したから、さっさと人を寄こすぴよ……人手が足りない⁉ じゃあんたが来ればいいぴよ!」
ひよこのくせに結構な位置からの口調だ。神様も敬称をつけないし、どういう立場なんだろう。なんて、僕にはもう関係ないか。
リビングにコンビニの袋を置く。ピヨと話しながらの夕食は、あと何回だろう。
これから平日はまた一人だ。夜に落ちた部屋の風景が一層寂しく見えた。
先に洗面台で手を洗う。せっけんで指の間から指先まで丁寧に洗う。帰ってきたら手を洗えと、ピヨに毎日言われたおかげで習慣化したことのひとつだ。
鏡を見れば、未だに激論が繰り広げられていた。ぴーちくぱーちく、人の頭の上で容赦なく駆け回り、羽をばさばさと空にはためかせている。
初めて出会った朝を思い出した。ここで必死になって捕まえようとして、結局どうにもできなくて、遅刻しそうになったっけ。
授業中は居眠りしそうになったらつついてくるし、上着を脱いだらハンガーにかけろってうるさいし、授業道具は前日に準備しろだの、夜更かしするなとか……まったく、うるさくって仕方がなかった。
隅に置かれた洗濯カゴには、僕の衣服が山になっている。もう何日分だろう。替えの下着も残りわずかだったな……ピヨが帰る前に一度、洗濯をしてみるか。
ピヨが帰るのはいつだろう。明日? 明後日? もし今日だったらどうしよう。なんて言えばいいんだ。しんみりするのは嫌だし、感謝の言葉を言うのも……なんか癪だ。変な空気にもしたくない。
だから笑ってさよならを言おう。
一人で十分やっていけるから心配するなと、いつもの調子で言うんだ。簡単なこと……。
そのときを思い描くほど、胸が締め付けられていく。また、原因不明の症状がぶり返したのか。息苦しくて、こみ上げるものがあって、目頭が熱くなる。
最後に心配されたくない。顔面に何回も水をかけ、無理やりに気持ちをごまかす。
べしゃべしゃのひどい顔だ。
「大体、子どものおもちゃなら初めからそう言うべきぴよ」
ピヨと向こう側のやりとりはまだ続いていた。
「回収した結晶の形ぴよ? 水鉄砲にしか見えないぴよ」
僕はブレザーのポケットから
「壊れていないか試してみろって言われても……水を入れればいいぴよか? 水道水でいいぴよ?」
やれと指示はないけれど、興味があったので話に沿ってみる。
頭の部分のキャップを取って、蛇口の水を入れた。やはり亀裂から水が漏れてしまう。素早く撃っても一発で水切れだ。
「それから……自分か相手の頭に向けて撃つ? そしたらどうなるぴよ?」
ピヨのやり取りのままに、僕は自分のこめかみに銃口を向けた。
顔はべしゃべしゃだから、さらに濡れたところで気にならない。発射されるのだって、ただの水道水だ。万が一にも危険はない。
引き金に指をかける。
「……嘘を洗い流して、真実を浮かび上がらせる、ぴよ?」
パシャ。
水がかかったと感じた直後、目の前がシャッターを切ったように黒く閉じた。
目を開けると、自分のベッドの中にいた。
部屋は暗い。夜だ。いつの間に寝たのだろう。
意思とは関係なく上体が起きる。自由に動かすことはできない。まるで主人公視点のアクションゲームをしているような感覚。でも間違いなく、この体は僕のものだ。
部屋の扉から薄明かりが差していた。その向こうから微かに声が聞こえる。
体はベッドを抜け出し、ゆっくりと扉に向かって歩く。
夢……じゃない。
僕はこの光景を知っている。覚えている。
行っちゃだめだ。
自分に言い聞かせるも、足を止めることはできない。設定された動きに従うように、リビングへと
聞いちゃだめだ。
扉へと近づくにつれて、何を言っているのか分かるようになってくる。
中から聞こえるのは二人の会話。どちらもよく知っている声だ。
見ちゃだめだ!
息を殺し、そっと扉を開け、隙間から覗く。
見えたもの。それは捨てることができず、奥底に沈めた記憶。
嘘であればいいと願った、現実。
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