10 砂糖をまぶしたような甘い言葉

「私があのアパート……第二孔雀荘くじゃくそうを知ったのは去年の話だ」


 そんな名前だったのかと思いながら、僕はソーセージのパイを頬張る。対面に座る路希先輩の手にはチョコレートがコーティングされたドーナツ。

 昼食がドーナツショップに決まったのは、他の店が混んでいたからという理由だ。もう少し早く動いていれば、ファミレスに入れたかもしれない。

 

「ネットで心霊に関するサイトを巡っていた時に書き込みを見つけてな。明確な住所と写真がアップされていたので、見つけるのは容易だった」


「一応聞きたいんですけど、なぜ心霊サイト巡りを?」


「ライフワークだからだ」


 呼吸することと同等であるかのように述べると、ドーナツをひと齧りする。僕もメロンソーダでパイとツッコミを飲み下す。


「この子は青春を謳歌おうかしているぴよ……」


 青春と呼ぶには暗黒だ。つぶやかれたピヨの皮肉はもちろん伝えない。


「書き込みは複数。一室の窓に恐ろしい形相の人影を見たとか、興味本位で入ってみたら不幸が続くようになったなど、この世の理から外れた現象のオンパレード……これぞ私の求めていたロマンあふれる心霊スポットじゃないか!」


 あふれないよそんなとこに。


「私はさっそく現地へおもむき周辺の聞き込みと撮影を行った。だが有力な証言も得られず、大した写真も撮れず仕舞い……情報の真偽を確かめられないまま調査は終了。歯がゆかったよ」


 何をどうやって聞きまわったのだろう。「あのアパートに幽霊が出るって本当ですか?」なんて調べる女子高生なんて、お巡りさんに連れていかれるぞ。僕みたいに。


「しかし、だ。あれから約一年。優斗、君は私にチャンスを与えてくれた」


「チャンスっていうのは、後輩の家探しにかこつけて室内の写真を撮ることですか?」


「時は来たのだ!」


 よく分からない意気込みとともにトレーの上で力強く拳を握る。もう片方の手にかじったドーナツ。


「去年は大家に室内撮影を頼む理由がどうしても思いつかなかったが、今回は優斗の協力で合法的に入室、調査を行うことができた。すべて君のおかげだ。ありがとう……ありがとう!」


「協力という形になっていたんですね」


「お礼と言っては何だが、今日は私におごらせてくれ。足りなければ追加してくれて構わないぞ。いやあ、今日のドーナツは格別に美味しいな」


 にこにこ笑顔でドーナツを咀嚼そしゃくする年上の先輩。僕の方が奢るつもりだったけれど、しなくてもいいような気がしてきた。

 この人の前で協力か利用かと議論することに意味はない。腹が立たないのは、それを知っているからだ。


「でも事故物件の部屋なんてさすがに住みたくないですよ。これ以上やかましい奴に憑りつかれるのはごめんです」


「ぴぃー? 誰のこと言っているぴよ」


 お前のことだとぼけるな。

 自称『天の使い』であるピヨだって性質的に心霊現象みたいなものだ。天使は霊体に分類される、みたいなことを本で読んだこともあるし、同類だ同類。


「事実なら伝えていたさ」


 あと一口だけ残ったチョコレートドーナツがトレーの上に置かれる。


「だがサイトの書き込みは巷談こうだんにすぎない、現時点では」


 昼時の店内は活気と喧騒に満ち、あらゆる言葉が飛び交っている。


「情報というものは伝播でんぱされるほどに人間の意思が肉付けされ、虚飾に満ちていく。それは情報の真偽を覆い隠し、耳にした者の思考をもてあそぶ。噂好きな私だが、不確かなものを渡して相手の判断を妨げるほど、不誠実な人間じゃないと自負しているつもりだ。優斗、特に君に対しては」


 路希先輩の真っ直ぐな瞳が僕の心に差し込んだ。こういう人なのだ。自分に正直であり、かつ他人に対しても正直に接する。こういう人だから許してしまう。


「言っただろう。私は相手の意思に反してまで求知心を満たしたいわけじゃない。そして協力を惜しまず、利益をもたらすと」


 砂糖もミルクも入れていないコーヒーが、つやめく唇に注がれる。


「気を悪くしないでほしいが、常識的に考えれば未成年が独りで家を探すのは難しいだろう。私が不動産屋の立場なら児童養護施設を勧めるが、そうしたくない理由があるのだろう?」


「……はい」


 淡々とした中に温かみを感じ、正直な気持ちが出てしまう。


「だとすれば、仲介を挟まず大家と直接交渉するほうが、まだ可能性はあるんじゃないか——と、私の祖父が教えてくれた」


 訪れた不動産屋は両指の本数を優に超える。そしてすべてが交渉にすら至らない。


「そこで孔雀荘だ。どこの不動産屋サイトにも掲載はないが、アパートの入り口に入居者募集の貼り紙は出されていた。借り手を探している、つまり交渉の余地はある。記載されていた電話番号にかけると大家への直通で、そこから部屋の下見を取り付けることに苦労はなかったよ」


「腹違いの姉弟設定が功を奏したから、ですか」


「現実離れしている設定の方が、意外とすんなり受け入れられるものだ」


 理屈が正しいかどうかは不明だけれど、設定を自然に解釈させたのは路希先輩の演技力だろう。先ほどだって、目の前でいきなり泣き始めたときはさすがに動揺してしまった。

 涙ながらに語れば、言葉は真実味を帯びる。勉強になった。


「そうは言っても先輩が高校生ってバレたら……もしかしてその格好、大家に会うからじゃなくて」


「歳の差が際立つだろう? 弟よ」


 ぱちっとウインクが飛んできたので、僕は首をかしげて避けた。

 探求心のためにここまで努力を惜しまないとは、いよいよもって本物だ。


「ロキはいい女優になるぴよ」


 それよりスパイの方が向いている。変装と演技でどこにでも潜入しそう。


「それで心霊現象の証拠は見つかったんですか」


「そのための撮影だ。シャッターに収めていることに期待してくれ」


「僕は存在しないことを証明してほしいです」


 ふたつ目のドーナツに手をつけながら、スマートフォンの画面状で指を車のワイパーのように動かす。室内だけでも相当な撮影量だった。外観の写真と合わせれば、かなりの枚数が保存されているに違いない。


「先輩が見たサイトには昔の出来事とか書かれていたんですか?」


「凶悪な殺人犯が死体を隠していた、借金を苦に一家心中、浮気した男を殺して女も後追い自殺……どれも近寄りたくない話ばかりだった。いずれにせよ、心霊現象を引き起こしているのは地縛霊だろう」


「じばく霊」


 自分でも声に出して、持っている知識を掘り起こす。

 言葉を知ったのは小学生の頃。図書室の怪談本にひらがなで書いてあったのを見て、取り憑かれたら爆発する幽霊だと思っていた。恥ずかしい話である。今は勘違いこそなくなったが詳しくは知らない。でも、


「地縛霊はその場所に未練があったり、死んだ自覚がない霊が土地に憑いた霊だ」

 期待通り解説が始まった。

「その魂に刻まれた無念を晴らすため、縛られた土地に訪れるものに祟りを起こす。悪霊の一種といえる」


「幽霊っていろいろいるぴよか?」


 ウインクを避けたときとは逆方向に首を傾ける。僕だって幽霊っぽいものを見たら「幽霊だ」と一括りにしか思わない。


「霊の種類なんて全然知らないよ」


「知らないかそうかでは説明しよう!」


 拾っちゃった! もしくは自分じゃないと知っていて拾った⁉ いや多分こっち!

 路希先輩が眼鏡の端をくいと引き上げる。レンズの奥の瞳はキラキラと輝きに満ちていた。


「霊と言っても生きている人間にいものと悪いものがある。

 善霊なら憑いた人間を護ってくれる『守護霊』が代表的だ。血縁者の魂が憑りつく『先祖霊』や、特定の分野を補助して才能を導く『指導霊』がそれにあたる。

 悪霊なら、さまよいながら生者に憑りつき悪影響を及ぼす『浮遊霊』、精神を変異させる『動物霊』、俗にポルターガイストと呼ばれ物を動かし音を鳴らす『騒霊』、生きている人間の欲が怨念となる『生霊』がまず思いつくところだな」


 すらすらと滑らかに、ベテランのニュースキャスターが原稿が読むかのように口上する。


「広い意味では自然的存在である『精霊』や、愛着ある物に憑りつく『付喪神つくもがみ』も霊として挙げられるが……今回の件では地縛霊、もしくは浮遊霊が妥当な線だな。では質問を受けつける」


「じ、十分よく分かりました。ありがとうございます」


「そうか……気になったらいつでも聞いてくれて構わないぞ」


 ちょっぴり寂し気に座席に背中を預けると、再び写真のチェックに戻る。


「ここで写真に映っていれば実物も見せられるのだが……今のところ見当たらないな。やはり昼間は幽霊の活動時間外なのだろうか」


 僕は僕で、休日を満喫していそうな親子が入店してきたのを眺めつつ、グラスにささったストローをくわえる。ケミカルな色のメロンソーダは甘くて刺激的だ。


「少し時間がかかるかもしれないが、良い報告を待っていてくれ。撮影した写真はあとで送る。不可思議なものが映りこんでいたら教えてほしい」


「見るのが怖くなることを言わないでくださいよ……良い報告は僕にとっての、ってことでいいんですよね?」


「決まっている」


 顔を上げた路希先輩の表情に、高校生とは思えない色気を感じた。それは普段と異なる見た目のせいか、興味に陶酔とうすいするせいか、それとも……。


「私が願うのは優斗のより良い人生だ。だからなにも心配はいらない」


 たっぷりと砂糖をまぶしたような甘い言葉を唱え、魔女は指先をぺろりと舐めた。

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