18 洪水のように襲い来る愚話

 空き部屋に人がいるか確かめたい。

 半ば強引で急ごしらえの説明だったが「路希先輩に取り入ることができる」という成功報酬に眼がくらんだ那須にとって、理由はどうでもよくなっていた。


「恋は盲目とはよく言ったものぴよ」


 僕の右肩で落ち着くピヨに「どういうことだ」と小声で問う。


「どう見てもキヨオミはロキに好意を寄せているぴよ。好きな人に近づけるチャンスができるなら頑張っちゃうぴよ。ユートは本当に鈍いぴよねー」


 悪かったな。肩のほこりを払うようなしぐさでピヨにデコピンしてやるが、中指は空を切る。頭の上でぴぴぴとあざ笑う鳴き声を、僕はため息で吹き飛ばすしかなかった。


 「好き」という感覚が、僕にはどうにもよく分からない。

 どういう心理状態が「好き」なんだろう。女子を見て「きれい」や「可愛い」と感じることはあっても、その相手と何かしたいとは思わない。多分この辺りが好意の分水嶺ぶんすいれいなんじゃないかと予想している。


 きっと那須の行動原理は人間として当然なんだと思う。それを理解できない僕の方がおかしいんだ。なんだか自分がロボットのように感じてしまう。人間味のない人間。不便はないから改善の必要性も感じない。


 いつか自分にも理解する日が来るのだろうか。誰かを好きになる日が来るのだろうか。「好き」という感情が人を変えるのなら、僕も変わってしまうのだろうか。だとしたら、少し怖い。

 でもそんな日は今のところ、一生来ない気がしている。


 熱心に玄関周りを観察する名探偵の後ろ姿を見ながら、そんなことを考えていた。


「ドアには鍵。横の格子窓も空かない。窓はりガラスで中は見えない。周辺に不審物はない」


 那須は事実をひとつずつ口に出して確認する。ドアの周りにあるものと言えばチャイムと窓以外に、玄関灯、電気メーター、砂埃でくすんだ消火器くらい。すべて備え付けのものだ。


「ドアポストから中の様子を見る限り、中に人がいる痕跡は一切見られない。何の変哲もない昔ながらの六畳一間だ」


 ここ毎日見ているので、すっかり頭に焼きついてしまった光景。路希先輩の言葉を思い出して確認したが、見える範囲で靴は置いてなかった。


「裏に回ってみようぜ」


 建物の反対——部屋の窓側へと移動する。那須は窓のふちに手をかけるが、スライドさせることはできない。


「こちらも施錠され中も覗けない」


 僕は見学したので知っているが、内窓に和障子風の磨りガラスがあって、外からの視線を防止している。だから部屋の中を見るには、投函口を覗くしかないのだ。


「さて一通り見たけど、名探偵はどう推理してくれるんだ」


「ふっ。謎は全て解けているのだよ仲村警部殿」


 前髪をふぁさっと流し、なんか腹の立つ笑みを浮かべる那須。どうりで口調がおかしいと思ったら、名探偵という役に没入しているようだ。僕は乗っからないけどな。


「ドアと窓、すべてに鍵がかかっている。つまりこれは…………密室だ!」


「うん知ってる」


「おいおいあっさりだな。『どういうことかね那須君⁉』とかリアクションしてくれよ。ノリが悪いな大将は」


「溜めてまで発言する内容じゃないだろ」


 そして僕に向かって指をさすな。それ犯人を暴くときにやるやつだろ。

 入れないことは分かりきっているし、今も室内に誰かいるのはピヨの感知能力で確認済みだ。那須には伝えないが。


「しかし仲村警部殿、その密室に『隠された通路』があるとしたらどうですか?」


「か、隠された通路だと……どういうことだ?」


 しまった、驚いてそれっぽいセリフをしゃべってしまった。


「部屋に敷かれた畳の下、実は地下通路が隠されているのです!」


「へ、ぇ……」


「横穴を近隣の書店やレンタルショップに繋ぎ、通路を使ってエロ本やエロDVDを盗む計画が水面下で進んでいるのです! きっと犯人Xはレジで店員から『うわ、こんな趣味の持って来るとかヤバ』って思われるのが嫌で犯行に及ぶのでしょう。動機はこれしかない!」


「穴掘ってまで観たいもんか……?」


「観たいに決まってるだろ! 人の性欲を舐めてはいけない、エロを求める気持ちは人に大いなる力と奇跡をもたらします! 警部殿、今すぐ地域一帯の警備を強化してください。もしも容疑者が逮捕された場合の押収物は私が責任をもって確認します。絶対に呼んでください、絶対に!」


「前代未聞の事件だな……」


 すごくつまらないB級ホラー映画を観たあとに味わう「時間を無駄にした」という虚無感と同じ感覚を僕は今、味わっている。

 洪水のように襲い来る愚話ぐわ——しょーもない創作物語が、脳内から語彙力を奪い取っていく。しょーもない。本当にしょーもない。


「どうやら私の超推理を聞いた衝撃で、言葉を失っているようですな」


「お前の想定と違う方向で思考が飛んでったんだよ。いいかげんにしろ」


「だってさあ、こんなの空き部屋以外に答えがあるか?」


 那須は閉じた窓をコツコツと叩く。


「どうせ出入りしていた人間の正体は大家、部屋が明るく見えたのはそのときに明かりをつけたか、街灯の反射を見間違えたんだろ。ネットの書き込みなんて嘘や空想ばっかりで信用できねーし。逆に面白く仕立てた俺の脚色を褒めてもいいんだぜ」


 世界の終わりが来ても褒めることはないが、那須の意見はまったくもって一般的回答だ。調べる限り、誰もいないという状況証拠しかない。


「逆に誰かいるとして、何の目的でいるんだ? その前にどうやって入った? ドアも窓もこじ開けたようには見えないし。合鍵でも持ってるんじゃないのか」


 目的と侵入方法。ふたつの疑問点は僕も前から不思議に思っていた。

 仮に憑りつかれた人間がファントムに脅迫されているにしても、やはり意図は不明だ。判明させても結晶回収に直結するわけではないけれど、理屈が通らない部分が気にかかってしまうのは性分としか言えない。


「合鍵かあ……」


 鍵を持っている、というのは合理的な理由だ。そうなると、大家を除いて怪しいのは前住人。けど、鍵って新しい人が住む前に取り換えるもんじゃないのか?


「次の入居者が住む前に鍵を交換するのは普通ぴよ。でも退去後すぐに変えるかどうかは大家次第で分からないぴよ」


 ピヨも前住人が怪しいと思い立ったようだが、決めつけるには根拠が弱い。


「だいたいよ、大家も気がつかないもんかねえ? まあ無人のオンボロアパートだし、ほったらかしなのかもしれないけど」


 那須が外壁に走る細いひび割れをなぞる横で、それはないと心中で断言する。

 筆村さんは日課で各部屋の掃除をしていると言っていた。毎日のメンテナンスは欠かさない。だからこそ、部屋に誰かが立ち入った違和感に気がつきそうな気もする。

 そして修繕中という話は、数日変化のない室内を見て、ますます信じがたい。


「フデムラは何かを隠しているぴよ」


 それは都合が悪くて、入居予定者に言えないこと。知られたくない事実。

 鍵を握っているのは大家だ。いよいよ筆村さんへのアプローチを避けられなくなってきた。次の問題はその方法だな。


「とにかく、だ。これだけ調べりゃ冠理先輩も納得するしかないだろ」


「施錠確認しかしてないけど……でも助かったよ」


 時間と精神力は削られたが、やるべきことは決まった。那須がいなければ見えてこなかっただろう。調子に乗るだろうが一応感謝しておく。


「だろ、そーだろ! だから例の件、よろしく頼みますぜ大将……へへ」


「分かったから悪徳商人みたいな顔してすり寄るな、もみ手の動きが気持ち悪いほど滑らかだから!」


 部屋の正面に戻り、僕たちは置きっぱなしだった鞄を肩に下げる。


「本当に誰もいないのか……?」


 沈黙するドアに投げかける。矛盾を成立させる要素が室内にあるのだろうか。


「なんだよ大将、俺の超推理を疑ってるのか」


「疑う以前に信じてないから。今はたまたま不在なだけかもって」


「なるほど、犯人は現場に戻るって奴だな。じゃあメッセージを残すか」


 那須はルーズリーフを取り出し、サインペンで紙いっぱいに文字を書く。


「これでどうよ」


「『お前の悪事と性癖はお見通しだ。正義の高校生探偵より』……すごく痛々しい文章だな。これをどうするんだ?」


「決まってるだろ……シュートっ!」


 ルーズリーフは必殺技風の掛け声とともに、投函口に飲みこまれていった。


「おい、大家さんに怒られるぞ」


「俺たちが書いたなんて分かんないし、どうせいたずらだと思って捨てるよ」


 いたずら小僧丸出しのワクワク顔で胸を張る那須。頭の上からは呆れた鳴き声。


「ユートはいい歳してこんないたずらしちゃダメぴよ」


 やるわけがない。まあどう見ても悪ふざけだし、入れてしまったものは仕方ない。筆村さんも本気にはしないだろう。


「だがこの手紙がのちに運命を左右することを、僕はまだ知らなかった……」


「変なナレーション入れるな!」


「入れてほしそうな顔してドアポスト見てたからニーズに答えたんだよ。あーでも楽しかったな。探偵ごっこなんて小学生ぶりか?」


「僕はやったことないから同意を求めるな」


 こっちは本気で調べてたんだけど……遊び感覚って思われても仕方がない。


「やることやったし撤収だ。そうだ、駅前でなんか食っていこーぜ」


「帰らないよ。僕にはまだやることがある」


「えーアパート調査だけじゃないのかよ。他に何があるんだ?」


「それは——」


「君たち、こんなところでなにしてるんだ」


 遠くからかけられた声に、僕たちはびくりと肩を震わす。

 

「……なんだい、また君か」


 立っていたのは僕の苦手な警察官、国前くにさきさんだった。

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