22 呪いの正体

「追いつけたぴよっ!」


 昇降口を降りた先で有珠杵を見つけた。

 第一声はどうする? なんて声をかければいい? 頭上で息を巻くピヨに対して、僕の足は前に進むことを躊躇っている。


 正直に言えば、怯えていた。

 殴られた上に別れの言葉も浴びせられた。きっと口なんてきいてもらえない。


「校門のところで捕まえぴ……よ?」


 ピヨの言葉が途切れたのは、校門付近に現れた人だかりに気を取られたからだ。


「時間ありますかー? 見学していきませんかー?」


 ジャージや各競技のユニフォームを着た生徒が、声掛けやビラ配りを始める。


「部活の新入生勧誘だ」


 毎年恒例のイベントらしく、去年の新学期も同じ光景を見た。

 遭遇しなかった日を考えると、勧誘していい曜日や時間帯が定められているのかもしれない。


「ザ・青春、新学期ならではの風景ぴよねえ」


「そんないいもんじゃないぞ。あれのせいで去年は校門を抜けるの大変だったんだよ……ターゲットは新入生だから、今年は多少楽だと思うけれど」


 赤いネクタイを締めた一年生、あとは体躯の良い生徒を中心に、がつがつ声をかけているのが遠目にも分かる。あれじゃ通りぬけるだけで一苦労だろうな。

 他人事ながらうんざりしていると、先を歩く有珠杵の足が回れ右をして、校門とは別方向に歩き始めた。


「帰らないぴよ? あっちはたしか……校舎裏だったぴよね」


 数日前にシロツメクサを探した場所に出られる。その先は箱庭へ続く。


「まさか、また入水じゅすいする気ぴよ⁉」


「落ち着けって。また飛び込んでも僕が引っ張り上げるから」


 今度は裾をまくって裸足で入るけどな。だけど濡れないのが一番だ。

 僕たちの不安が現実にならないでくれと願いながら、後を追う。




 誰もいない校舎裏を迷いなく進む有珠杵。

 僕はその後方で植え込みに身を隠し、適度な距離を保つ。


「ストーキングしている気分だ……」


「そう思うならさっさと追いついて話しかけるぴよ」


「どこに行くのか気になるだろ」


 建前でピヨを黙らせる。さて、なんて話しかけたらよいものか……。


「箱庭以外に何があるぴよ?」


「グラウンドに出るけど、行き止まりだぞ」


 初めからグラウンドに行くなら、校舎の裏手から行くのは遠回りだ。誰かと待ち合わせってわけじゃないだろうし、やはり目的は箱庭か?


 考えを巡らせながら追いかけていると、反対側から黄色い声で話す三人組の女子生徒が歩いてきた。全員二年生だ。

 みんなスカートは膝より上、服装も崩していて、鞄にもそれぞれが個性的なデコレーションを施している。


「スクールカーストの上位層って感じぴよね……朝の校門チェックは機能していないぴよか?」


「校門手前で正して、校内に入ったらまた乱すんだろ。常套手段だ」


 手間がかかっても自分を主張したいのだろう。僕とは相反するスタンスだ。

 一生交わることはないな、と割り切った女子たちに一瞬、有珠杵の歩みが止まる——が、方向転換することなく邁進を再開。


「よく果敢に突っ込むな。僕なら用事を思い出したフリをして戻るか、壁に寄ってスマホを触りながらやり過ごすのに」


「チキンすぎるぴよ……」


 ひよこに言われる筋合いはない。万が一にも絡まれたら厄介だ。

 平穏を守るには、過敏すぎるリスク管理が重要なんだよ。戦場で生き残るのはいつだって臆病者だ。


「清楚な佇まいのコフレとは対極のタイプぴよね」


 ただし口を開かなければ、だけどな。

 飾り気のない有珠杵に対し、自分の個性を着飾る女子三人組。対極の女子たちがすれ違う。


「あれ~? ゼロ子じゃん?」


 明るい髪色に巻き髪の女子が声を上げる。そう言えばあいつ、クラスじゃゼロ子ってあだ名なんだっけ。

 絶対零度の完璧女ミス・アブソリュートゼロ。略してゼロ子。同じクラスか別クラスか知らないが、あだ名は僕が思っているよりも浸透しているようだ。


「待ちなよ、ゼロ子でしょ。聞こえてないの~?」


「……聞こえているわ」


 同じく足を止めて、律儀に答える有珠杵。 


「あちゃー、なんで返事しちゃったぴよ」


 僕も同じ気持ちだ。いくら対極だからって、磁石のように引き合うなよ。聞こえないフリをして歩いていけば良かったんだ。

 有珠杵は馬鹿じゃない。絡むと厄介な相手かどうかの判断くらい、できそうなもんだけど……。


「何か用事? 呼び止めただけなら失礼するわ」


 不敵とも取れる一言が癇に障ったようで、巻き髪の隣を歩いていた女子が、有珠杵に距離を詰めた。ビビットピンクの派手なつけ爪が、本人よりも存在を主張する。


「んだよその言い方。チョーシ乗ってんじゃねぇぞ」


「乗っていないわ。軽率な歩き方はしていないし、得意げにもしていない」


 杓子定規な受け答えは、第三者の僕にも慇懃いんぎんに聞こえた。

 ピンク爪は顔半分を歪めたかと思えば、両手を腰に当ててあざける。


「ハッ、どーせまた男でも漁りに行くんだろ」


 毒素を貯めたようなネイルを光らせ、馴れ馴れしく有珠杵の肩に手をかけた。


「こいつさぁ、高校入ってからすんげー数の男食ってるんだぜ。なぁ?」


「私は食人主義者カニバリストじゃない」


「……あぁ? 誰が蟹の話をしてんだよ。意味分かんねーこと言いやがって」


 今の会話で知能の優劣がはっきり見えた気がした。そりゃ学校じゃ絶対に教えない言葉だけどさ……。

 表情一つ変えない鉄面皮を崩そうと、ピンク爪はさらに悪評を公開する。


「学年じゃ有名だぜ。男に金ばらまいていい様に使ってるって。そうなんだろ?」


「ねつ造よ。お金で男をどうにかできるのなら、詰め寄ってくる男に渡して二度と話しかけないでと頼んでいるわ」


「そういう態度が気にくわないんだよ!」


 有珠杵の背中が、校舎の壁に押し付けられる。おぶさっていたワニは、壁に挟まれる直前にするりと足元に降りた。そして変わらず傍観に勤しむ。


「一年の時からお高くとまりやがって。それでモテまくって困ってる……? 何様のつもりだ、ムカつくなぁ!」


 怒気をぶつけながら、有珠杵の胸ぐらを掴み上げる。

 ヒリつく空気が、巻き髪の「うわぉバイブス鬼あがってるぅ~」という場違いな高揚にかき混ぜられ、混沌とした緊迫感を孕む。

 女子怖っ。リアルにこんなことあるの?


「お前に寄ってくる奴はたくさんいる男の一人かも知れないけどな、そいつを好きな女だっているんだよ……コクりたくても、お前がいるからチャンスがないんだよ……金持ちなんだろ、だったら他人から奪ってんじゃねぇよ!」


「そっかぁ。好きな男子がいてもゼロ子になびいているなら、告白しても結果が見え見えだもんねぇ。つまり横取り女じゃん。存在が最低じゃ~ん」


 私怨を感じるピンク爪の非難。その内情を理解しているのか、巻き髪が含みを持って焚きつける。

 自分の並べた言葉にますます激昂し、胸ぐらを掴む手がわなないている。


「どうせ金で男を釣ってんだろ。お嬢様ビッチが」


「私はお金で男を虜にする尻軽女じゃない」


「ハッ、なら処女かよ?」


 歪まない鉄面皮がうなだれ、黒髪がヴェールのように表情を隠す。


「………………経験はないわ」


 途端、品のない笑いが上がった。


「ギャハハ! こいつ真面目に答えやがった!」


「さっすがお金持ち~、はじめても庶民には安くないってことねぇアハハハ!」


 目の前の光景を見ていると、やり場のない感情がこみ上げる。くだらない質問で笑っている女子にも、すべてに受け答える有珠杵にも。


「さっきから真面目に答える必要なんてないぴよ! 全部無視すればいいぴよ!」


「お怒りごもっともだけど髪の毛は抜くな」


 けん制しつつも、心中ではピヨに同意する。

 僕の時のように質問するな、といったところで無駄なのは分かる。でも、答えたくないなら口を開かなければいい。


 校舎の壁に追い詰められ、下卑た笑いを浴びる有珠杵。垂れ下がる黒髪の隙間から、赤らめた頬と噛みしめた唇が覗き見えた。

 そんな思いまでして、どうして馬鹿正直に答えた?

 適当に流すなりごまかすなりすれば問題ないはず……。


 ——————それができない、としたら?


 流れ出る疑問が不意にき止められる。

 今になって初めて、ある疑問が浮かび上がった。


 なぜ、質問を禁じていたのか。

 なぜ、答えたくないであろう質問にすべて答えているのか。


 僕はずっと『質問』を主軸に有珠杵の言動を考えていた。

 でも都合が悪いのは、その先にある『答え』だとしたら。


 バラバラに保管されていた情報が驚くほどスムーズに再構築され、一つの仮説を組み立てる。

 余った部品はない。質問劇の内容も矛盾なく合致した。


「なあ、ピヨ」


 僕はたどり着いた証明問題の解を述べる。


「もしかして有珠杵は『質問に正直に答えなければいけない』んじゃないのか?」


「……ぴ?」


「どんなに都合が悪いことでも、真実を口にしなければいけない。だから他人に質問をさせなかった」


 そのために自身の発言は縛られる。周囲との接し方も改める必要があった。さらに言えば、質問を受けない確実な方法は、他人との縁を断ち切ること。

 怖いくらいにすべてが繋がる。パズルのピースが、どれを手にとっても連結できるような感覚。


 それこそが有珠杵恋振を縛る制約ルール。呪いの正体。

 だけど。


「正直に答えなかったら、どうなるんだ……?」


 更なる疑問が口を突いて出る。

 真実の回答を強制されているようには見えない。なら、制約ルール違反に罰則ペナルティがあるのだろうか。

 今までの会話を思い返すが、有珠杵が真実を口にしていたかの確認なんてできない。きっと、まだ足りないピースがある。


 なぜ有珠杵はあの場から離れない? 甘んじて嘲笑ちょうしょうを受ける必要がどこにある?

 できることなら、今すぐ走って逃げてくれ。

 願うように念を送る。


 動いたのは、今まで傍観していた三人目だった。

 黒い立体型マスクをつけた女子が、騒ぎ立てる女子二人の間に割って入る。目が座っていて、グループの中で異質な空気を纏う。


「男ってさ。黒髪ロングに性的興奮を覚えるんだって」


 黒マスクの声に抑揚はない。自分の発言にすら興味がないように聞こえる。

 やる気なく動いた手が、いきなり目の前で揺れる髪の毛をひっ掴んだ。

 容赦のない行為に、さすがの有珠杵も呻き声が漏らす。


「切ろっか。これ」


 もう片方の手が肩下げ鞄をまさぐる。

 取り出したのは、ステンレス製の事務用はさみだった。

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