22 庶民の心臓に悪い実行力(1)

「着いたわ。私たちの思い出の場所に」


「ものは言いようだな」


 有珠杵と僕はコンクリートに縁どられた池に並んで腰かける。茂った緑林と、その葉から漏れる陽光が、神聖さにも似た空気を生み出す。

 ここは校舎裏にある小さな庭園。生徒たちには箱庭と呼ばれている場所だ。活用する人間はいないので、敷地内には誰もいない。


「仲村君と初めて会った場所なのよ。それはもうメモリアルスポットと呼んでも過言ではないわ」


「僕のメモリーには今でも、お前が池に浮かんでいる場面が色濃く残っているよ」


「望外の喜びね。そのまま保護してお気に入りフォルダに区分してちょうだい」


 目の前の笑顔は冗談か本気か……前者であることを望む。

 どちらにせよ、入水自殺しようとした場所に憂いは感じていなさそうだ。本来あるべき生活を過ごせているのだなと、まるで親心のように安心してしまう。

 

「ピヨの思い出は、きゃっぴぃ~なドッキドキ人工呼吸ぴよ」


「それは即刻消去で頼む」


 真剣な人命救助だったとはいえ、僕の中では黒歴史認定しているんだ。思い返せば恥ずかしさしかない。墓の中まで持っていこう。


 僕は購買で買ったパックのアップルジュースにストローをさし、ツナサンドのラッピングを開ける。


「うぉ、すごいな。お前の弁当」


 対して、有珠杵が取り出した弁当箱の中身に驚く。


 二段式の箱の上段には、色彩あふれるおかずが詰まっていた。肉、魚、野菜がすべて入っており、それぞれが食欲をそそる艶を放っている。下段のご飯は白米ではなく、豆のようなものが数種類混ざっている。五穀米というやつだろうか。量も多い。

 祝い事でもあったかのように豪勢な彩り。店で買えば千円は余裕で超えるだろう。


「お母さんが張り切って作るのよ。嬉しいし美味しいけれど、教室で開けるとみんなが覗きに来るから食べにくくて仕方ないわ」


「きっとコフレが普通の生活に戻ったから嬉しくて、腕によりをかけているんだと思うぴよ」


 ワニから解放されて、食欲が良くなったとか言ってたもんな。親にしてみれば娘が元気になって嬉しくないわけがない。


「仲村君はいつもそれだけなの? 燃費がいいのね」


「わけあってエコロジー強化月間なんだよ」


 三角形の先端をかじると、厚く挟み込まれたツナが口内に溢れ出る。このボリュームで百二十円は、コンビニやスーパーで真似できないコストパフォーマンスだ。


 始めは腹の虫がたびたび鳴いていたが、続けているうちに今の食事量に慣れてくれた。それこそ、弁当を作れば経済的にも安上がりだし量も増やせるが、ピヨもそこまでは要求しなかった。それにもう家には電子レンジも炊飯器もない。


「わけって、どんなわけ?」


「……まあ、いろいろ」


「そう……いろいろ、なのね」


 それ以上の追及はなく、黙ったまま箸先で黄金に輝く卵焼きをつつく。話したくない雰囲気を察してくれたのはありがたいが、会話が途切れてしまい微妙な空気が立ち込める。これは責任をもって元に戻さねば。


「で、教室で言ってた話って?」


「ここのところ、何度も部室に足を運んでいるみたいじゃない。土曜日には路希先輩食事をしたとか」


「先輩から聞いたのか。結晶のこととか、いろいろ相談に乗ってもらってるんだ」


「またいろいろ……」


 焼き魚の切り身をピンクの箸が突き刺す。


「私の約束は断っても、先輩と会う時間は確保するのね」


「別に遊んだわけじゃないって。むしろこっちがお願いして、いろいろ手配してもらったんだ」


「じゃあ仲村君の方から、心霊スポット巡りと昼食にドーナツを提案したってこと」


「提案……?」


「さぞ楽しかったでしょうね。私と違って」


 会話の間、切り身は無残にも細切れにされていく。路希先輩は土曜日のことをどう伝えたんだ?


「きっとロキはユートの事情を伏せて説明したぴよ。おそらくアパート見学は超自然現象研究会の活動ってことにしたんじゃないぴよか」


 話し過ぎると僕の家庭事情に触れてしまうと、脚色してくれたのか。路希先輩らしい気遣いだ。様子を見るに、有珠杵は引っ越しの件を知らないようだ。


「ただピヨとしては『昼食にドーナツを食べた』という情報を伝えた点に、起爆剤を投下したというか、ロキのいたずら心が垣間見えるぴよ……くぴぴ」


 なにを自分だけ分かってる風に笑っているんだ。それに、


「お前なんで不機嫌なんだよ。八つ当たりされた魚の切り身が原型を留めてないぞ」


「明鏡止水をつねとする私が心を乱すわけないじゃない。それにさわらの塩焼きをどう食べようが私の自由よ」


「そうだけどさ……ほら、有珠杵は習い事で忙しいから声をかけづらくってさ。昨日も先輩が連絡したら稽古があるから部活に来れないって返したって聞いたぞ」


「そんなものどうにだってなるし、するわ。稽古は大事だけど最優先事項じゃない」


「僕の用事よりは上だろ。もっと自分の日常を大切にしろ」


 僕はずっと手に持っていたままのサンドイッチを包装の上に戻す。


「せっかくワニの呪いが解けて本来の生活に戻れたんだ。僕のことなんて気にかけないで、元の生活……あるべき生活を大事にした方がいい」


 願いを委ねた言葉だった。

 僕が取り戻したかった日常はもう永遠に手に入らない。だからこそ、日常を取り戻した有珠杵には、それを大切にしてほしかった。


 用の済んだ僕とは関わるべきじゃない。そう伝えたかったのに―—


「勝手なこと言わないで」


 どこが明鏡止水だと言いたくなるほど、有珠杵は怒りのこもった目を向けてくる。


「私にとって何が大切か、なにを何番目に優先するか、決めるのは私自身。誰かに指示される筋合いはない」


「う……すいません」


 まったくの正論に謝罪しか出てこない。


「そして私の最優先は、仲村君にあのときの恩を返すことなの」

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