22 庶民の心臓に悪い実行力(2)

「今の生活に戻ることができたのは仲村君のおかげ。もちろんピヨにも感謝してる」


 有珠杵は僕と、僕の頭の上を礼を向ける。きっと先月まで見えていた黄色いふわふわを思い描いているのだろう。


「この数週間で、失っていた自由の尊さを痛感したわ。あなたたちがいなかったら、私は今も凍りついた時間を過ごしていたと思う。それも自業自得なのだけれど」


 自嘲気味な表情が背中に揺蕩たゆたう池に向けられる。水面は陽光を反射し、きらきらと輝く。


「私は恩を返したいの。呪いから解き放ってくれた恩を。じゃないと、この衝動は収まらないのよ」


「落ち着け有珠杵、ちょっと顔が近い」


「この気持ちは仲村君にとって迷惑?」


 お弁当箱ひとつ分の距離まで近づいてきた鬼灯ほおずき色の瞳は、微かに潤んでいた。ささいな刺激であふれて、こぼれてしまいそう。


「私のエゴ? 助けてくれた相手のために何かしたいと思ってはいけないの? 力になりたいと願うことは許されないの?」


 いつもの有珠杵らしくない言葉が並ぶ。


「事情を聞こうとしてもはぐらかされるばかり……辛いわ」


 僕はぶつけられる感情をどう返していいのか分からなかった。

 それは怒っているでもない。悲しいとも違う気がする。懇願こんがんの源流にあるのは、何という名前の気持ちなのか。


 僕の頭の中にそれを具体化する言葉は浮かばない。「あるはずのものが見つけられない」という歯がゆさもなく、近しい表現すら出てこない。まるでそれに関するカテゴリーが丸ごと抜け落ちているような感じ……だろうか。

 気持ちを許さない友達付き合いをしてきた弊害へいがい、なのかもしれない。


 見返りが欲しくて有珠杵を助けたわけじゃなかった。

 あの時は『僕自身の呪いを解く』という目的の達成条件に『有珠杵の呪いを解く』ことが必要だっただけで、不純と言えば不純な動機だ。


 有珠杵の眼をちらりとうかがい見るが、理解できないことが申し訳なくて直視できない。どうすりゃいいんだよ……。


「ユートは自分のことになると、とことんニブチンぴよねえ」


 困惑電波を受信してくれたピヨが、僕の肩に降りてきた。


「でもヒントはあげないぴよ。ロキの時はアドバイスしたから、今回話すか話さないかはユートが決めないとだめぴよ」


 助けては気軽に使う言葉……だったな……。


 慣れないことをするのは緊張する。程度が分からないから、相手に迷惑だと思われるかもしれない。不快に思われるかもしれない。だけど話さないことを選んでも、反感や失望を買うかもしれない。

 眼前には僕の言葉をじっと待つ有珠杵。選択しなければ時間は進まない。


「…………別に楽しくもなんともない話だぞ」


「楽しいか楽しくないか決めるのは私だし、聞かなければ判断できないわ」


「つまらなくても責めるなよ」


「すべての責任は私が取る。だからもう少しだけ、私のことを信じてほしい」


 返ってくるのは迷いも嘘もなく、はぐらかせないほど真っ直ぐな強さ。このあと、どんな前置きをしてもすべて破壊して距離を詰めてくるだろう。降参だ。


 路希先輩のときと同じ内容を繰り返した。昼食がエコロジカルなのは残された貯金を節約しているため。路希先輩の部室に通っていたのは家探しのためだったと修正し、現在は結晶探しで孔雀荘の一室を調べていることも話した。


「……わかったわ。住居を用意すればいいのね」


 聞き終えた有珠杵はすぐに電話をかけ始めた。


「お父さんに言って仲村君の部屋を用意してもらう」


「なんでそうなるんだ……えっ本当にかけてる⁉ マジか、うぉぉい切れ切れ! まず一回話を聞いて有珠杵さん!」


 いまの止めなかったら冗談抜きで伝えていただろうな……こんな世間ずれしてるやつだっけ? やっぱりお金持ちのお嬢様なのか、庶民の心臓に悪い実行力だ。


「冷静に考えてくれ。お前の両親に僕の家を借りてもらう理由がないだろ?」


「あるわ。仲村君自身も大変だったのに私を助けてくれた。それだけで十分よ」


 有珠杵の呪いに関わっていたときは、自分が大変だと自覚していなかった。実は記憶がなくなっていたから……と言ってもややこしいし、言いたくない。


「心配しないで。私の家にはお金があるの。少なくとも生活に不自由のない部屋を用意できると思う。家賃も高校卒業までは保証してもらうよう掛け合ってみるから」


「自分でそういうこと言っちゃうんだ……じゃなくて、まず両親が納得しないだろ」


「するわ。なぜならお父さんもお母さんも、私を目の中に入れても痛くないほど溺愛できあいしているから。お願いすれば大抵のことは叶えてくれるし、もちろんお金に糸目はつけない」


「自分でそういうこと言っちゃうんだ……」


 そういう気持ちは思っていても胸に秘めておけ、もう嘘をつけない呪いは解かれているんだぞ。

 もしかして正直に話すことが癖づいてしまっているのだろうか。だとしたら、有珠杵の今後の人間関係が不安だ。


 とはいえ本心だからこそ、無下に断るのは気が引ける。


「さすがに無償で借りてもらった家に住むのは落ち着かないって。それに話してなかったけど、新しい部屋は見学に行ったアパートに決めているんだ」


「そうだったのね……なら家の心配はないと」


「そうそう。だから改めて、気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとう」


 これで話はおしまい。そう締めたつもりが、有珠杵は質問を重ねてきた。


「アパートはここから徒歩でどのくらいかかる場所にあるの」


「いつも自転車だからな……って、なんでそんなこと聞くんだ?」


「放課後行くからに決まっているじゃない。今日の稽古は夜だから時間もあるわ」


 ……あれ、話が飛んだ? いや、一緒に孔雀荘へ行くなんて話は一度もしていない。なのに有珠杵は理路整然と答える。


「さっき話していたじゃない。アパートの中に憑りつかれてた人間がいるから会いたいって。私のときみたいに、ファントムが内包している『願いの結晶ラヴィッシュダスト』を手に入れるために、毎日孔雀荘に通っていると」


「言ったな」


「部屋の中にいる対象者と接触できれば仲村君は助かる。上手く目的は達成されれば時間ができる。私と駅地下にある焼きたてチーズケーキが絶品と噂の専門店に行くこともできる。つまりはそういうことよね」


「待てチーズケーキってなんだ」


「だったら私がすべきことはひとつ。部屋に閉じこもった相手を見事に引きずり出してご覧に入れるわ。ふふ、放課後が楽しみね」


 聞いてないし……一体なにを想像してうっとりしているのだろうか……。


「鳴かぬなら鳴かせて見せようホトトギス。快刀乱麻かいとうらんまを断つように解決してあげる」


 有珠杵は握っているピンク色の箸を、かわいいタコさんウインナーにぶすりと突き刺した。

 一抹の不安しかない。

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