23 視える者と視えざる者(1)
「仲村君。念のために確認するけれど——」
孔雀荘の外観を目の当たりにした有珠杵は、心配そうに僕を見た。
「住居の『居』と廃墟の『虚』は違う漢字なのよ」
「知っとるわ! ここはちゃんと維持・管理されてる建物だよ!」
疑いの眼差しを維持する有珠杵は、黙ってアパートを見上げる。建物が現実に存在していることを確認しているようだ。
そりゃあ周囲の集合住宅とは一線を画すボロさだけれど、さすがに廃屋は言い過ぎだ。筆村さんが聞いたら
「室内に生活スペースは確保されているの? 外から見る限り、玄関ホールも入りきらないようだけれど」
「一般住居にあるわけないだろ。選ばれし家庭だけのオプショナルだ、そんなの」
「冗談に決まっているじゃない」
真面目な顔つきはそのまま、染みや痛みを浮かべる木製のドアに手を押し当てる。
「でも、雨風を凌げる部屋じゃなければ体調を崩すわ」
「雨漏りはないと思うけど……中は意外と綺麗なもんだぞ。ほら」
僕はスマートフォンに室内写真を表示する。以前、路希先輩が送ってきた画像だ。
「狭い……うちの浴室より狭い」
「お前んちの風呂場が広すぎるんだよ」
「やっぱりお父さんに電話する」
「するな頼む! ていうか目的は僕の新居視察じゃないだろ……ピヨ、どうだ?」
続けてもけなされる一方の会話を切り上げ、ピヨに室内の様子を探ってもらう。
「反応がないぴよ」
「えっ、今日はいないのか?」
「それは部屋の中を覗いたらはっきりするぴよ」
意味が分からないまま投函口のカバーを押し上げる。室内は相変わらず何もない。
「やっぱり……結晶の反応が現れたぴよ」
「どういうことだ?」
狭い視野から観察を続けながら、ピヨに言葉の意味を聞く。
「昨日も一昨日も、投函口から覗いた直後に反応を感じたぴよ。最初は室内にいるファントムが力を使うタイミングと偶然重なっただけだと思っていたぴよが……三回も続くと必然と考えるべきぴよ」
「それってつまり、僕の『部屋を覗く』ってアクションに合わせて結晶の力を……ファントムが能力を使っているってことか?」
言いながら、今までの認識とそぐわないことに困惑する。
ファントムは憑りついた人間に対して、力を使っていると思っていたからだ。
「じゃあ向こうは、こっちが見ているのを分かってる……」
「今までさんざん覗いていたし、気づいて当然ぴよね」
「でも僕の身体はなんともないぞ」
もしもファントムが僕に対して能力を使っているのであれば、体調に変化があるはずだ。でも今まで具合が悪くなったことはない。
「戸惑っているようだけれど、結局相手は中にいるの? いないの?」
ピヨと僕の会話——正確には、僕の言葉だけ聞こえていた有珠杵が確認を求める。ちょうどいいと僕は頭の中を整理しつつ、今まで集めた情報を伝えた。
ある意味、彼女はファントムに関しては僕やピヨより専門家だ。一年間、憑りつかれていたのだから。
「なんだか機械的ね。投函口から覗くことが結晶の発動条件になっているみたい」
ここでも有珠杵は冷静に情報を分析する。気分を害する様子はない。
「聞いても……いいか? 有珠杵が憑りつかれていたときのこと」
「ワニは明らかに自分の意思で力を振るっていた」
躊躇なく言葉が返ってくる。
「発動条件という言葉に当てはめれば『嘘をつく』ことが該当するけれど、能力行使のタイミングは任意だった」
有珠杵に憑りついていたワニは『嘘をついた人間の身体から水分と塩分を搾取する』という能力を持っていた。
そして今回。結晶の力が発動しても僕は脱水症状になっていない。さらに言えば、嘘をつく言動もなかったはずだ。有珠杵の経験則は当てはまらない。
「やっぱり中にいるファントムは、ワニとは別に考えなきゃだめなのか……」
今まで立てた仮説はいずれも確証を得ない。ここまで調べて確かなことは「室内から結晶の反応がする」という一点のみ。手がかりが少なすぎるんだ。
せめて向こうから——部屋の中から反応があれば。
見られているのが分かっていて、なぜ僕に
「考えるより実際に確かめた方が早いわ。任せて」
有珠杵はドアの前に立つと、玄関チャイムを鳴らした。
ピンポーン
「…………出るわけないよな。警戒されてるわけだし」
ピンポーン ピンポーン
「憑りつかれた人はどんな状態なんだろう……部屋に閉じこもっている理由も分からないままだし」
ピンポーン ピンポーン ピンポーン ピンポーン
「もしかして出られない……? だとしたら、拘束されているのか、脅迫されているのか……それとも……」
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポピンポピンポピンポピンポピンポーン
「一回ストップだ有珠杵!」
僕は小刻みにチャイムを押す手首をつかんだ。
「これだけ鳴らして返事がないなら押す意味ないって」
「そう。なら別の手段ね」
今度は軽く二回、ノックをして呼びかける。
「すみません、誰かいらっしゃいませんか?」
「ぴぇ……あれだけ鳴らしておいて、よくおしとやかに問いかけられるもんだぴよ」
コンコン コンコン
「そういえばユート、もう一点はっきりしたことがあるぴよ。投函口から覗くのをやめて少し経つと、結晶の反応が消えるぴよ」
「消える?」
コンコン コンコン コンコン コンコン
「いまもそうぴよが、昨日キヨオミと裏側の窓から見たときも、いたずら書きを投げ込んだときも反応はなかったぴよ。だから向こうがこっちのアクションに対して反応するのは『投函口から覗く』って行為だけぴよ」
「なんでだ……向こうは僕らが近くに来ても気づいていないってことなのか……?」
コンコンコンコンコンコンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンゴンバンバンバンバンバンバンバンッ!
「落ち着け有珠杵いったいどうした⁉」
拳を振るう腕には結構な力がこもっていた。女子の片腕に対して、情けないが両手で対抗して止める。
「私はノックして呼びかけていただけよ。非があるのは応じない相手」
「僕だったら怖くてやり過ごすか通報するぞ」
家のドアを手のひらで叩いたり、拳で撃ちつけてくる相手なんて、単純に恐怖でしかない。鳴かぬなら鳴かせてみせるんじゃなかったのか? 全然スマートじゃない。
「いつまで黙っているつもり? 人として恥ずかしいと思わないの? ご近所に迷惑だと思わないの?」
「借金の取り立て屋みたいなこと言うなよ……」
「人の道から外れた人を見つけたら蹴り戻してあげるのがロック。おばあちゃんが言っていたわ」
「客観的に見て僕らの方が非人道的な言動だけど……事情があって出てこられない可能性もある。穏便な手段で頼む」
「だったら、こうするしかないわね」
有珠杵は深く息を吐くと、ドアに向かってゆっくりと身構えた。
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