26 個鳥的なお願い

 依緒が幽霊——物体を透過できる存在なら、鍵のかかった部屋に入るなんて造作もないこと。正体を明かした今なら、その特性を惜しみなく披露してくれるだろう。


「それができたら困っていません」


 僕の提案は至極当然の答えによって閉じられた。依緒はマイペースで天然っぽいが、決して頭は悪くない。すでに試していて当たり前だ。


「なんで無理なんだ? 人間の身体をすり抜けられるなら、アパートの壁だって通り抜けられるだろ」


「普通は出来ますよ。おじゃましまーす」


 そう言って依緒は隣の部屋の玄関までとたとた走っていき、閉まっている扉を通過して姿を消した。これが依緒にとっては『普通』らしい。

 

「おじゃましましたー」


 今度は扉からにゅっと身体が現れる。ゲームでたまにある『壁すり抜けバグ』のようだ。


「って感じなんですけど、この部屋だけできないんです。おじゃましまぃてっ」


 先ほどと同じように問題の部屋に入ろうとすると、おでこが扉にはじかれる。


「うぅ~……なぜか入れないんですよ。まったくもう」


 額をさすりながらほっぺたを膨らませる。頭以外の場所で試してくれても良かったのだけど、気を使ったパフォーマンスと受け取っておくか。

 詳しく聞くと、壁も窓も天井も通り抜け不可で、侵入経路はないらしい。


「なんだか『入れるわけないだろ、お前だけは絶対に入れさせないぞ!』ってイジワルされてる気がします。」


「安心しろ依緒、施錠されている時点で誰も入れさせない心づもりだ。しかし幽霊でも入れない部屋か……結晶の作用、って結びつけるのは短絡的か?」


「……なんとも言えないぴよね。イオは『願いの結晶』って聞いたことあるぴよ?」


「はいせんせー、聞いたことありません! 日曜日の朝にやってるアニメの新しいおもちゃですか?」


 明るく元気に否定する中学一年生。どんな受け答えにも胸を張るところがまだまだ幼い。


「古い水鉄砲のおもちゃとか記憶にないか? アニメは関係なくて」


「ああ、特撮の方ですか? そんな武器あったかなあ」


 これは心当たりがないな。表情を見る限りボケ倒しているとは考えられない。結晶探しだけでも手に余る現状で、依緒が幽霊だなんてこれからどうすれば——


 これから、なんてあるのか?


 僕は自称、記憶喪失の家出少女が心配だった。でもそれは依緒を「人間の中学生」だと思っていたからだ。飲まず食わずの連続野宿なんて身体を壊すし、家族も心配しているに違いない……そんなことを考えていた。


 だけど前提は違っていた。

 依緒はもう、この世にいない。


 事実から無意識に目をそらしていたのかもしれない。どこにでもいる中学一年生の女の子にしか見えない以上、生きていると思い込みたかったんだ。


 でも見えるのは僕だけ。依緒は誰の眼にも映らない。こんなにも元気に笑って話すのに、生者と絶対的な隔たりがある存在。

 死者と意識すればするほど、生きていた時の最期さいごを想像してしまう。まだ子どもなのに、どうして命を失ってしまったのだろう。事故か、それとも―—


「やっぱり幽霊だと気持ちわるいですか?」


 変わらない調子で突然の問いかけ。僕はどんな顔で依緒を見ていたんだ。


「わたし自身も全然自覚がないんですよ。未だに人間なんじゃないかって思ってますもん。壁をすり抜けられるのもなんかこう……透明になる能力に目覚めた? 的なだけじゃないかって。そんなわけないかー」


 はにかんだ表情にどこか寂しさが差して見えるのは、僕の思い過ごしだろうか。


「他の幽霊さんはどうなんでしょう? 自覚とか記憶がなかったりするのかな。帰るおうちがないのかな」


 両手を自分の顔の前に出し、手のひらと甲を何度も見返す。


「鏡に映るのは知っている自分なんです。目も鼻も口も毎朝見る形だし、入学する前に買ってもらったヘアピンもちゃんとついてるように見えます」


 依緒が僕の眼をのぞく。


「優斗さんにはどう見えていますか? 実はしわしわのおばあちゃんだったら、気を使わずに言ってくださいね。年相応のしゃべり方にしますから」


 意味の分からない仮定を裏付けるように、僕の脳裏に言葉が浮かび上がる。


 魂とは無形のもの——肉体に納まっていた記憶が死した後、その形を再現しているんだ——魂が真似まねるのは器の形だけとは限らない——形がないということは逆に言えば、どんな形にもなれると言うことだからな。


 魔女の言葉が少女への返答をさえぎる。一瞬の躊躇ちゅうちょが依緒に「まさか」の隙間を与えた。曇る顔色。

 違う、僕はそんなつもりじゃ……。


「そんなことあるわけないぴよ」


 僕の手に乗っていたピヨが、あっけらかんとした大声で嫌な空気を吹き飛ばす。


「イオは可愛い女の子にしか見えないぴよ。お肌スベスベだし、ショートの髪型も似合ってるし、金色の髪留めもオシャレな今どきの元気いっぱいはなまる女子中学生ぴよっ」


「ほんとですかピヨせんせー⁉ ……よかったあ」


 胸に手を当て、ふぃーっと息を吐く。たまらなく不安だったのだろうか、依緒はへなへなとその場に腰を下ろしてしまった。


「ユート」

 いつの間にか左肩に戻ってきていたピヨが、耳元でささやく。

「ドーナツショップでロキから聞いた地縛霊の話、覚えているぴよ?」


 地縛霊はその場所に未練があったり、死んだ自覚がない霊が土地に憑いた霊。

 その魂に刻まれた無念を晴らすため、縛られた土地に訪れるものにたたりを起こす。


「イオが祟りを起こす悪霊にはもちろん見えないぴよが、未練のせいで土地に縛られているなら、ピヨは自由にしてあげたいぴよ」


 個人的なお願いと付け加える。人じゃないから個鳥的なお願いだろ。

 「具体的にどうするんだよ」僕も小さな声で問い返す。


「地上に留まる理由……未練を断ち切ってあげるぴよ。イオの心残りといえば」


「この部屋に入ること、か」


 幽霊すら拒む超常的な密室空間。この中に依緒を縛る理由がある。そして結晶も。


「どのみち結晶を探すためにも入らなきゃいけない場所だからな。目的は変わらないけど……本当にそれで依緒は、その……救われるのか?」


「分からないぴよ。でもピヨたちにできるのはそれくらいしかないぴよ。ユートはどう思っているぴよ?」


「そんなの……同じだよ、ピヨ先生」


 ここまで関わってしまった以上、今さら知らんぷりは目覚めが悪い。それに来月からここに住むんだ。恨みを買って祟られるかもしれない要因など、解消しておくに越したことはない。


「だけど肝心の入る方法が未だにないんだ。少しでもいいから中に入るきっかけがあれば」


 僕の言葉は突然の急ブレーキ音に遮断された。

 遠くはない。アパートのすぐそばだ。


「ぴえっ⁉ 事故ぴよか?」


 衝突音はなかった。遠くで聞く分には大ごとになっていないと思う。代わりに怒鳴り声が響いている。

 この声、どこかで聞いたことがあるような……。


「……大家さん?」

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