25 中身のない時間は流れたあとで悔やむもの

 家出少女依緒いおは幽霊である。


 この仮定を正しいとするならば、今まで不可思議だった事象の多くに説明がつけられる。


 存在を知覚されない——見えないのなら路希先輩や那須、国前さんが依緒について一切触なかったのは当然だ。その場にいないと同義なのだから。


 初めて依緒に会ったときベンチに座っていた女子中学生たちや、休日の公園にいた主婦たちがどうして怪訝けげんそうな顔を向けていたのかも納得がいく。僕があたかもひとりでしゃべっているように見えていたからだ。考え直すと顔が熱くなる。


 食事の必要がないのも幽霊なら当然だろう。幽霊に健康の概念を当てはめるのもおかしいが、とにかくいつも変わらず元気だった。


 変化がないと言えば、衣服もそうだ。

 外で何日も過ごせば汚れて当たり前、布地が白であれば特に目立つはずが、依緒のセーラー服は常に「真っ白」だった。透明ゆえに汚れが付着しない、と考えるべきなのか。


「わたしのことじーっと見てどうしたんですか? 美人だなって思ってましたか?」


 有珠杵が帰った後。アパートの前で僕と二人きりになった依緒が、後ろ手を組みながら僕の顔を見上げる。透明だが、僕の目に映る質感はどう見ても人間のそれだ。足もあるし……と視線を下げていまさら気がつく。影がない。

 これもまた存在が透明であること——古来より生者ではないとされる証なのかも。


「おっきくなったら優斗さんの彼女さんたちみたいに、お姉さん感あふれる魅惑のからだに成長する予定です。こうご期待!」


「念を押すが、有珠杵や路希先輩とはそういう関係じゃないから。お前の将来性を信じるから、僕の主張も信じてくれ」


 依緒の声が僕にしか聞こえていないとはいえ、彼女さん「たち」は人聞きが悪い。


「それよりお前、自分が見えてないとか、物に透けるとか知ってたんだな?」


「知ってましたー。言えよって顔してますね」


 いたずらが上手くいった子どものように笑う。


「でも言ったら、さっきみたいにびっくりしちゃうと思って黙ってました」


「気を使ってくれたってことか」


「わたしは空気の読める子ですから。ふふーん」


 背伸びをして胸を張る仕草は、褒めてほしいってポーズだろうか。分かりやすい性格だ。発言の意図が理解しにくい有珠杵にちょっと分けてやってくれ。


 公園でドーナツの袋を受け取らなかったのも、本当は掴めないことを隠すためだったのだろう。適当な発言をしているわけじゃないらしい。


「初めて憑りつかれた幽霊が気遣い屋とは、ラッキーと喜ぶべきか……」


「わたしは憑りついてませんよ。優斗さんが公園とかアパートに遊びに来た時だけ声をかけてますから」


「遊びに来てるわけじゃないんだけどな……そういえばはじめて会ったとき、なんで僕に声をかけてきたんだ?」


「優斗さんだけがわたしを見てくれたからです」


 依緒が一歩前に出て、僕との距離を詰める。見上げる瞳にきらきら光るのは夕日の反射なのか、それとも依緒自身からこみ上げてくる輝きなのか。


「ブランコに座っていた優斗さんと目が合ったとき、すごく嬉しかったんですよ。やっとわたしのことを見てくれる人に会えたから」


 誰からも認識されない、つまりは世界から無視されているようなものだ。寂しいとか孤独って言葉じゃ表せない心細さがあったに違いない。偶然とはいえ、あの場にいてよかったなんて思ってしまう。しかし、


「なんで僕だけが見て、触れるんだ?」


「それはたぶんピヨの影響だと思うぴよ」


 言いながらピヨが左肩まで降りてくる。


「まあ考えられる理由はそれしかないよな」


「でもピヨにもはっきりした原因は分からないぴよ……なんでぴよかねえ……」


 ピヨが僕に頭に住み着いたことによる影響はファントムを知覚・接触できることだけだった。結晶の反応とは無関係な幽霊が見えるのはどうしてなんだ。仮に認識できるとしても、依緒以外の幽霊が見えない理由に説明がつけられない。

 いや実際に幽霊がどの程度の数、存在しているのかなんて知らないけれど。


 考えていると依緒の焦点が僕の左肩に定まっていることに気がつく。すごく欲しいおもちゃを見つけたときのような目だ。

 まさか。


「ぴ?」


 同じく視線に気がついたピヨも、依緒の顔を見返す。

 ピヨが左の羽をゆっくり広げると、依緒も鏡のように右手を上げる。

 同じように右の羽を広げると依緒も手を挙げ、両手を大きく広げたポーズになる。

 

「……ぴよっ?」


「ぴよっ?」


 ピヨが首をかしげると依緒も声をまねて首をかしげる。そして羽をはばたかせ、


「ぴよーっ!」


「ぴよーっ!」


「もう分かったよ! なんだこれ⁉」


 耐えきれなくて突っ込んでしまった。中身のない時間は流れたあとで悔やむもの。


「お前、ピヨのことが認識できるんだな。最初から見えてたのか?」


「もちろんです!」


 元気いっぱいに答えてくれる。


「頭に乗せてる僕が言うのもおかしな話だけどさ、まず最初につっこむ、いや質問するポイントじゃないか?」


「もちろん聞きたかったです。でも自分からひよこさんのこと言わないし、人前でも話したりしてなかったから、触れちゃいけないと我慢していました。だけど今はしゃべってたから見てもいいかなって」


 じゃあ今まではヤバい奴だって胸に秘めながら話してたのか? さすが空気の読める子、優しい子。気遣いがありがたすぎて心がちくちく痛いよ……。

 

「ねえねえ、ひよこさんのお名前はなんですか?」


「ピヨの名前はピヨぴよ」


「ピヨさん! 触ってみたいなあ……だめですかぁ?」


「しょーがないぴよねえ、今日だけ特別ぴよ? ユート」


 言われて僕が依緒に向かって手のひらを差し出すと、ピヨがちょこちょこと腕を伝って指先に到着する。依緒が目を輝かせながらゆっくりとピヨの頭をなでる。


「わあ、すっごくふわふわしてる!」


「そうぴよ、ピヨの毛並みはひよこ業界でナンバーワンでオンリーワンぴよっ」


 見た目がひよこなだけで本当のひよこじゃないだろお前は。業界を荒らすな。

 きゃいきゃい喜びながら撫でる依緒に水を差したくなかったので黙っておく。


「わたしも頭に乗せてみたいな」


「それは残念だけどサービス外ぴよ」


 いいようになでられていたピヨがはっきりとノーを出す。ちょっと残念そうな依緒を見かねて、僕は口を挟んだ。


「別にいいじゃないか。なんでお触りはオッケーでライドオンはNGなんだよ」


「ピヨはユートの指導役だから離れるわけにはいかないぴよ。それに離れた瞬間、ユートがダッシュで逃げる可能性があるぴよ」


「そんなことするわけないだろ」


 否定する一方で、その手があったかとひざを打つ。


「しどうやく? なにをする役なんですか?」


「分かりやすく言えば先生みたいなもんだ」


「じゃあピヨせんせいだ! さっきは言葉を教えてくれたし、国語の先生だね!」


 依緒はまたピヨの頭を撫でる。しかし、ピヨの反応はいまひとつ乗り気じゃない。「そ、そうぴよね」と複雑な声で肯定する。撫でられすぎて疲れたのか? 動物もむやみに触るとストレス溜まるらしいからな。


 そろそろ話を戻そう。幽霊なら試してもらわなきゃならないことがある。


「依緒。身体が透明だったらこの部屋にも入れるよな?」

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