20 不純な聖域

 僕と那須は、話の流れに任せてその場を離脱――とまではいかなかった。


「取材でも許可があっても、無人の家屋に立ち入っての不審な行動は控えること。また見かけたら、今度は学校に連絡するからね」


 国前さんに見張られながら自転車を取りに戻り、さらに公園の入口まで見送られて、土産とばかりに軽い説教までもらってしまう。

 僕のせいじゃない……隣でへらへら笑っているゲスエロ男のせいだ。謝れ。


「任せてくださいって! 俺たちだって将来のある身、内申に傷はつけられません。おとなしくJCやJSの写真を撮って帰ります……やだなー冗談っすよ」


 頼むから黙ってくれ那須。吐く言葉がヘリウムガスより軽くなってるから。国前さんが救いようのない残念なものを目の前に、二の句も告げない沈痛な面持ちが見えるだろ? 


「ユート、『じぇーしー』とか『じぇーえす』ってなにぴよ?」


 頭の上からのんきな声が質問してくる。お前はいいな、高みの見物で。

 いま聞かれても答えられないし、後で聞かれても説明しにくい。

 

「那須君、だったよね」


 首をもたげ、眉間を指でもみほぐす国前さん。これ以上関わっても得がないのに……それでも職務を全うしようとする姿に尊敬と同情を覚える。警察官って大変だ……。


「迷惑防止条例って知っているかな? 正当な理由もなく相手に撮影機能のついた機器を向けちゃいけないの。女子中学生とか女子小学生に関係なく」


「お巡りさん目が笑ってないっすよ。さすがの俺もわいせつ行為で退学にはなりたくないですから。いやいやマジでマジで」


 気苦労のため息が吐き出される一方で、


「はーそういう意味ぴよかあ。最近の若者はなんでも省略して、ピヨはそーいうの良くないと思うぴよ」


 そっち? と思いつつ、ピヨも僕もゲスな部分は気にかけなくなっていた。朱に交わって赤くなったのか、毒されてモラルの標準値が低下してしまったのか。


「じゃあ公園の記念撮影ならいいですよね? せっかく知る人ぞ知るゴールデンスポットに来たんですから」


「ゴールデンスポット? この公園が?」


 ブランコ、鉄棒、シーソー……特に変わった遊具はない。おばあさんが小さな孫と手をつないで歩いていたり、小学生がわいわい遊んでいたり、中高生が友達同士で談笑していたりと、いたって普通の公園だ。


「どこがゴールデンぴよ?」


「ここは幼稚園・小学校・中学校・高校の中心に位置する住宅街。ゆえに様々な人々が行き交い、いろんな世代の女の子が集うんだ。見ろよ、小さな天使たちの無邪気な笑顔を……これぞ楽園、まさに聖域サンクチュアリ! なんと素敵な都市開発! ってわけで、その筋の専門家には有名な土地なんだ」


「キヨオミみたいなやつの願望を満たすための町づくりじゃないぴよ」


 真っ当な意見は僕だけが聞こえている。不純な聖域もあったもんだ。


「人のこといろいろ言うけどさ那須、お前こそ年下好きなんじゃないのか?」


「いや、基本的に俺は年上が好きだから。優しく包み込んでほしいタイプだから。あ、ちょうどあそこにいる人なんて理想的」


 指さした交差点には、黒いジャケットにパンツルックのスレンダーな女性が電話をかけていた。


「あんな美人に俺のすべてを肯定してほしいもんだ。もしくはもてあそばれたい……『お姉さんがオトナのアソビを教えてア・ゲ・ル』みたいな⁉ くふぅ~、いまなら俺、妄想でご飯三ごうはイケちゃうなー!」


 どんぶりを搔き込むジェスチャーで興奮を示す。聖域のけがれは増す一方だ。


「若いねえ」


 対して国前さんは、冷ややかな視線で交差点を眺める。


「いかにも遊んでいそうな女じゃないか。ああいうのは男なんておもちゃとしか思っていないんだから、やめておきなさい」


「お、人生経験豊富そうな発言。ぜひご教授願いたいっす」


「仲村君も、友達は選んだ方がいいよ」


 僕も那須を無視して、事実をしっかりと告げる。


「彼と交友関係はありません。彼を公然わいせつで捕まえても僕は困りません、むしろ早く逮捕してください」


「おいおい照れるなって大将。俺たちはマブのダチ、二人でひとつ、天下取ろうぜって屋上で桃園の誓いを立てた仲じゃないか」


「お前と屋上なんて行ったことねえわ! 桃の木もないし、生死を共にしたくもないし、あと一人連れて来いよ!」


「お巡りさん見ました? 友情がなけりゃこんな勢いのあるツッコミできませんよ。大将は照れ屋でツンデレで三国志に詳しいんです」


「肩組んでくんなっ、それと言うほど詳しくない!」


 ぬるっと回してきた腕を振り払う。こいつのポジティブな解釈を上回る対応ができない、自身の力量の無さが悔やまれるばかりだ。


「仲がいいのは分かったから、変な理由で写真は撮らないでくれ。レンズを向けて防犯ブザーでも鳴らされたら本当にタダじゃ済まないからね」


「防犯ブザー? それってみんな持ってる物なんすか」


 国前さんが公園の中央で遊んでいるランドセル集団に目を向ける。


「みんなカバンの側面にぶら下げているだろ」


「遠目にはキャラクターのキーホルダーに見えますけど」


「最近の防犯グッズはデフォルメされていたり、日用品みたいなデザインにしている物だってあるんだ。持ち歩きやすいようにね」


「へぇー、俺はガキの頃なんて持ってなかったなあ」


 僕も持ち歩いたことはない。周りでも携帯していた子はいなかったと思う。


「警察が言うべきことじゃないけれど、世の中どんどん物騒になっているからね。親からすれば、我が子の安全を願って持たせるのは当然だよ。もしものときなんて突然やってくるんだから」


「まったくぴよ。子供でも、いざって時に自分の身を守るのは自分しかいないぴよ」


「それでも危険が迫っているときに鳴らすのはなかなか難しいものだけどね―—そう言えば仲村君」


 国前さんが思い出したように言う。


「君が気にしている女の子、何て名前なんだい?」


依緒いおです。セーラー服で髪は短め、背は低めかな」


「ふぅん。見つかるといいね、依緒ちゃん」


 噂をしていれば、大体あいつの方から現れることばかりだ。いまもちょっと、出てくるんじゃないかと思ったけれど、姿は見えない。


「あの、すみません」


 僕ら以外の声に、那須が「むほっ」と喜びを漏らす。

 さっき交差点に立っていた女性が国前さんに声をかけてきた。見た目通りのクールなしゃべり方をする人だ。


「道を尋ねたいのですがよろしいですか?」


「は、はははいっ、どっ、どちらまででっしょうか! ほらっほら、君たちはもう帰るんだ、写真は撮っちゃ駄目だからね!」


 急におどおどし始めた国前さんは僕らから離れ、女生と一緒に交差点へ向かった。

 なーんだ、と那須は調子のよかった態度を崩す。


「偉そうな口ぶりだったのにきょどってんじゃん。大したことないな」


 遠くから眺めても、国前さんがそわそわしながら女性に対応している。


「人を問題児扱いしといて、自分だって公園の女子を見る目がやらしかったじゃねーか。アウトだっつーの」


「え、そうだった?」


 那須の扱いが完全に正しいのは置いておくとして、道案内している国前さんを見る限り、年上が好みっぽいと思っていた。


「ああ、俺の秘められた第六感シックスセンスが告げている……あのおまわりはロリコンか、制服マニアか、ニーハイフェチか、あるいは複数の適合を持つハイブリットタイプ・ポリスメンか……⁉」


「名誉棄損で訴えられるぞ。物騒な世の中なんだし、自分の目の前で何かあったら責任問題になるからだろ」


 あるいは単なる子供好きかも。いずれにしても、迷子を保護したり、パトロールを怠らないなど、職務に忠実な人だ。


「ま、性癖なんてみんな違ってみんないいけどさ。それより依緒ちゃんだったか、大将の用事ってその子絡み?」


「用事ってほどでもないんだけれど……」


 ただ様子を確認したかっただけだ。元気な様子を見られればそれでいい。

 ややこしくなりそうなので那須を関わらせたくないのだが……やはりというか、興味津々でこちらを見ている。


「やっぱり『お兄ちゃん』って呼ばれるのか? 血のつながっていない妹ってどんな感じ?」


「知るか。依緒はそんなんじゃない――」


 唐突にブレザーの裾が引っ張られる。後ろを振り返ると依緒が立っていた。毎度、心臓に悪い登場をする。


「名前を呼ばれたのは聞こえたんですけど……うまく出てこれなくて」


 変わった表現をするが、警察嫌いで近づきたくなかったということだろう。怯えたような顔色も、震える指先もきっとそのせいだ。

 それより、いつもと全く変わりがない姿にホッとする。


「どうした大将?」


 那須が眉をひそめてこちらを見ていた。こうなっては仕方がない……当たり障りのない紹介をしよう。僕は依緒を隣に立たせる。


「さっき言ってた―—」


「やっぱりまだいた。早く帰りなさいって言ったじゃないか」


 口を開いた直後に国前さんが戻ってきてしまう。


「話し足りないなら交番に行こうか? とりあえずクラスと出席番号、ご両親の連絡先から聞かせてもらおうかな」


「じゃーな大将また明日学校で! お巡りさんもお勤めごくろうさまでーす!」


 那須は自転車にかけ乗り、急いで公園を出て行った。逃げの一手と判断したら早いなあいつ……しかし、僕にとっては好機だ。国前さんに事情を話し、依緒を保護してもらおう。僕への不信感も晴れるし、一石二鳥。


「ちょうど良かったです、この子が……え?」


 つい数秒前まで隣にいた依緒がいなくなっていた。

 目を離したとはいえほんの一瞬。離れるならさすがに気づくレベルの距離だった。


「消えた……ぴよ……」


 その通り。

 依緒は泡沫のように現れ、そして消えてしまったのだ。

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