28 人生初の宣戦布告

 ラヴィッシュ、ダスト?

 想像を描けない言葉に、ワニは牙を剥きだしたまま動きを止める。


「ゴゥルル……俺がその『おもちゃ』の力を借りているとしたら?」


「もちろん没収するぴよ、ユートが」


 …………ぇえ? 今、押しつけられた? 

 脈絡なく登場した自分の名前によって、失っていた自我を帰ってくる。


「ユートがその気になれば、お前から『ラヴィッシュダスト』を取り上げることなんて訳ないぴよ。嘘だと思うなら試してみるぴよ?」


 いやいや……いやいやいや。

 喰われる寸前の状況で丸投げとかありえないだろ。こっちは会話にも置いてけぼりなんだぞ。


「土壇場でさえずってくれるな。泣いているガキに何ができる?」


 僕の眼前、腐臭を放つワニの口内で二枚の舌がはやし立てるようにうねっている。


 できることなんて、何もない——そんな理屈はとっくに蹴飛ばした。いまの僕を動かすのは、筋道を立てた論理ロジックじゃない。


 風前の灯だった怒りの炎が、掻き立てられた衝動に煽られ燃え上がる。

 捨てた保身は拾えない。元の道には戻れない。

 すべてを受け入れてなお、立てる誓いに偽りはない!


「お前の呪いを破って、有珠杵を救ってみせる!」


 人生初の宣戦布告に全身がたぎり、ぜる。今ならどんな無茶でもできそうだ。

 

「もっとマシな嘘をつくんだったな」


 冷徹な言葉と共に、止まっていた牙が動き、襲い掛かる。

 僕はぎゅっと目をつぶり、想像もつかない痛みに身を強張らせた。


 しかし、その瞬間はやってこない。


 ゆっくりと目を開けると同時に、のしかかっていたワニが飛び上がった。

 巨体からは想像もできないほど軽々と後方へ宙返り、再び賽銭箱の上に戻る。

 着地と同時に、体は急速に見慣れたサイズへと縮小した。


「……決めつけるのは早計か。少し付き合ってやろう」


 ニヤリと笑い、ワニは有珠杵の体の陰に隠れる。


「嘘が血液のように循環する世界で何を否定するのか……現実を知るまで、理想に溺れているんだな」


 沼に潜るように、ワニはゆっくりとその身を物陰に沈めていった。

 会話のなくなった空間。木々のざわめきと、石畳の冷たい感触だけが生きていることを教えてくれた。


「首の皮一枚、繋がった……?」


 安堵と共に体の力が抜け、その場で大の字になり空を仰ぐ。

 ぽつり。頬に微かな雨粒が差す。


「ピヨ」


 生き残った喜びを分かつように呼びかける。


「濡れる前にコフレを起こしてあげるぴよ」


 疲弊が垣間見える言葉に従い、社殿の軒下へ向かう。

 賽銭箱に寄りかかる有珠杵の前に立つと、僕の気配を察したのか、声をかける前に目を開けた。


「よく寝たわ」


「そりゃよかったな」


「どうしたの?」


 上目遣いの有珠杵に、僕はできる限り平然を装って「なんでもない」と答える。無意識に目の端を拭った。

 あれだけの騒ぎで目を覚まさなかったのは好都合だ。ワニとの会話は決して気持ちの良い内容じゃない。ピヨも口を挟まないし、黙っておくのが得策だろう。


「降ってきたのね」


 空を見上げた有珠杵は特に慌てる様子もなく、鞄から白い折り畳み傘を取り出す。


「準備いいな」


「天気予報は毎日確認するべきよ」


 開いた傘を僕に向ける。意味が分からないまま、持ち手を受け取ってしまった。


「ジュースのお礼」


 有珠杵は足元のスポーツドリンクを拾い上げる。


「お前はどうするんだよ」


「素敵な夢を見たの。気分がいいからこのまま帰るわ」


 返そうとした傘を受け取らず、階段からぴょんと跳ねるように参道へ下り立つ。


「じゃあね」


 そのまま一人で神社を出て行ってしまった。背中にワニの姿はない。


「よく分からん……まあでも、多少は元気になったのかな」


 真っ白な傘を見上げる。表面を叩く音はほとんどない。


「ピヨたちも濡れる前に帰るぴよ」


 体の重さを感じながら、僕も家路につく。




 リビングの電気をつけて、カーテンに手をかけた。

 窓を叩く雨音に耳を傾けながら、薄闇の向こう側に憂惧ゆうぐを映す。


 有珠杵、本降りになる前に帰れたかな。


 借りた傘のおかげで、僕はほとんど濡れることなく帰宅できた。

 神社から有珠杵の家までは、少し距離がある。いざこざに触発されたワニが変な気を起こさなければいいけど……。


「きっと無事に帰ったぴよ」


 そう思うしかないよな。

 ピヨの言葉にうなずき、カーテンを閉めてソファに腰を鎮める。

 目の前のテーブルに置いたスーパーの袋から、本日の夕食を取り出した。いつもの弁当より器が大きい。


「スーパーの弁当ってコンビニよりボリュームあるな」


「しかも三十円引き、いいタイミングで入店したぴよ」


 値段はともかく、売り場に並んでいた肉厚のチキン南蛮弁当には腹の虫が騒いだ。一日の御褒美のように思いながら、蓋を開ける。

 ……と、湯気と香りが立ち上らないことに違和感を覚えた。弁当は温めてもらって当然と思っていたことに気がつく。


 キッチンの電子レンジに弁当を入れ、適当な時間を入力しスタートを押す。

 ターンテーブルがゆっくりと弁当を回し始めた。


 庫内に当てられる暖色光を眺めながら、手持ち無沙汰に腕を組む。


「ラヴィッシュ、ダスト? ってなんだ」


 質問は予測済みだったのか、淀みなく答えてくれた。


「『願いの結晶ラヴィッシュダスト』。人の意思や願望を増幅させるもの。そう教えてもらったぴよ」


 名前からキラキラしたピンク色の原石を想像する。ロールプレイングゲームのキーアイテムみたいだ。


「誰から?」


「神ぴよ」


 稼働音だけが室内に満ちる。


ペーパー?」


ゴッドぴよ。地上に降りて紛失した結晶を探し出す。それが神から与ったピヨの使命ぴよ」


 質問を重ねる前にブザーが鳴り、電子レンジの扉を開ける。食欲をそそる香りが放たれ、思わずお腹が鳴ってしまう。ちょっと暖め過ぎたかな。

 湯気を立ち上らせる弁当を食卓に据え、横にコーンポテトサラダを並べる。

 おお、今日の夕食はなんと栄養価が高いことか。


「食べながらでいいか?」


「構わないぴよ」


 ダメと言われても食べるけど。

 いただきます。箸が綺麗に割れた。


「ピヨはお空に浮かんでいる、神の住んでいるところから降りてきたぴよ。あっ、もちろん地上から見上げても確認できないぴよ」


「ワニを強気で否定していたのは、自分が本物だからってわけか……はふぃっ!」


 やっぱり暖め過ぎた。だけど……うん、味の染み込んだ鶏肉とタルタルソースのマッチングは想像以上の味わい。肉も柔らかくて咀嚼が楽しい。これはご飯が進む。


「ある日、ちょっとした事故があったらしくて、結晶が地上に落っこちちゃったぴよ。それを探すために、優秀なひよこであるピヨが選ばれたぴよ、えっへん」


 せめて優秀なにわとりはいなかったのか。

 頭の上で浮かべているであろう得意顔にツッコミたいが、肉とご飯の往復運動で忙しいため流す。


「……ちゃんと聞いてるぴよか?」


ひいへふほ聞いてるよ


「なんか、思っていたより反応が薄くてしょぼーんぴよ……もっと『お、お前が神の使いだって~⁉』的な反応が欲しかったぴよ」


 そんなこと言われても……。弁解のため、お茶で口の中をすっきりさせる。


「たぶん、耐性がついちゃったんだよなあ」


 僕自身も、驚きが薄いことに驚いている。

 おそらく濃い毎日が続いたせいで、非日常に対して順応してしまったのだ。


 月曜から金曜まで、得体の知れないひよこと二十四時間一緒に過ごした。教室で一人だけ、頭にひよこを乗せて授業を受けるシュールな絵面には、面白さを感じない。


 そして数時間前には生命の危機も体験した手前、いくら突飛なファンタジーを聞いても、実感には勝らない。神の使い設定だって、ワニが先に出したためインパクトに欠ける。


 事実、僕の関心はさっきからチキン南蛮弁当に向きっぱなしだ。つけあわせのマカロニも美味い。


「落ち込むなって。リアクションが薄かったのは謝るから……そうだ、神様に相談できないのか?」


 なにせ神だ。ワニの一匹や二匹、簡単に対処できるはず。


「実はずっと呼びかけているぴよが……連絡がつかないぴよ」


「なら一度戻って、直接伝えればいいじゃないか」


 頭からピヨを降ろす良い機会だと思い提案したが、それはダメだと却下される。


「ピヨのちっちゃい羽じゃ高いところまで飛べないぴよ」


「じゃあ、どうやって帰るつもりなんだ?」


「結晶を発見したら回収係に連絡する手筈ぴよ。そのとき、一緒に連れ帰ってもらうぴよ」


 逆に言えば、見つけるまで帰れないってことか……結果を出すまで帰らせないなんて、神はひよこ使いが粗い。このポテトサラダのなめらかさを見習ってくれ。


「助けが期待できないなら……あのワニに弱点はないのか?」


「あるなし以前に、なぁーんにも分からないぴよ」 


 つまんでいたコーンの粒を落としてしまったのは、言い方にちょっとイラっとしたから。


「ピヨは結晶を探す簡単なお仕事としか言われてないぴよ。結晶の具体的な特徴も教えてくれなかったし、業務妨害が入るとか、そいつがどんな奴とか、一切教えてくれなかったぴよ」


 使えねーな、神もひよこも。


「あっ今、役に立たねえコイツって思ったぴよね! そんなこと言われても、ピヨだって一生懸命やっているぴよ! 情報は少ないし、連絡は取れないしで大変だけど……頑張ってるぴょ……ぴっ……ぴぇ~ん」


「泣くなって。ピヨのおかげで、僕は今こうしてチキン南蛮弁当を食べていられるんだ。感謝してる」


 さっきのハッタリが、ワニの興味を引くきっかけになったのは間違いない。

 結果として命の恩人……恩鶏おんどりだ。こいつは雌だけど。


「そう言えばワニが結晶を持っているっていうのは、どうやって知ったんだ?」


 外見では分からなかった。胃の中にでもしまってあるのか。


「ぴっぴっぴ。ピヨは優秀なひよこだから、結晶の気配を探知できるのだぴよ」


 その範囲、半径百メートル前後。近いほど明確に感じ取れるらしい。


「人が密集しているとノイズが混じったみたいに気配が鈍くなるぴよが、周囲に誰もいなかったり、目の前にあれば間違えないぴよ」


「……ということはお前、初めて有珠杵に会う前から、ある程度勘づいていたってことだよな」


 ピヨにはたびたび、強引なところがあった。


 路希先輩に頼まれて四つ葉のクローバーを探していた時、ピヨは突然、行ったこともない箱庭に興味を示した。

 池の前で有珠杵の姿を見つけた時も、強引な言い訳で近づこうとした。


 目的のワニに近づくため、僕はまんまと誘導されていたわけだ。


 それと違和感を覚えた会話がもう一つ。

 有珠杵との接触を頼まれたとき、断ろうと考えた僕に「テスト中の助言」という取引を持ち掛けてきた。前日の授業中は「ずるは良くない」と言っていたにも関わらず。明らかに矛盾する言動だ。


 調子がいいなと解釈したが、これも僕にワニを追わせるための誘導だった……そう考えると、得心が行く。


「有珠杵への過剰な執着も、結晶のためだったんだな」

 

「誤解しないで欲しいぴよ!」


 突然荒げた声に驚き、鶏肉最後の一切れが喉に詰まる。


「確かに結晶回収も大切だけれど……それよりもコフレの方が何倍も心配ぴよ。それにピヨだって結晶の気配がワニだったときは、すごくびっくりしたぴよ」


 びっくりはこっちのセリフだ。一気に中身を減らしたペットボトルを置く。


「でもさ、お前の身分とか結晶とか、あらかじめ説明してくれても良かったんじゃないか?」


「それは…………ごめんなさいぴよ」


 食って掛かるのかと思いきや、素直に謝罪が出た。


「折を見て話そうとは思っていたぴよ。最初に神の使いとか言っても、受け入れられるかどうか心配だったぴぃ……」


 またもしょぼーんとした声を出す。今日は一段と喜怒哀楽に富んでいる。

 もしも出合い頭に説明を受けていたら……起き抜けにひよこが住み着いた現実だけでも許容を超えていたのに、そのうえ神様やら結晶の話をされても、理解が追いつかなかっただろう。


 様々な非日常を経験し、順応した今だからこそ、話を受け入れられる。

 きっと、今が最適な『おり』なのだろう。


「別に怒っちゃいない……で、だ」


 ピヨにとって『折』なら、僕にとっても同じだ。

 今こそ問いたださなければなるまい。


「なんで僕の頭に住み着いたんだ?」

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