29 希望をもたらす憶測
ピヨの目的は分かった。だけど僕が関わる理由はどこにもない。
食べ終えた容器をコンビニ袋に突っ込み、ソファに深く腰掛ける。ここまで来て話せないとは言わせない。今こそ聞かせてもらう。
窓の外には、しとしととベランダを打つ雨音。自然と、壁掛け時計の秒針に耳を澄ます。
「…………人間の協力者が必要だったぴよ」
慎重に言葉を発するピヨ。
「協力者?」
「神の使いと言っても能力は微々たるもので、この土地にも詳しくないし、探し物も大変で……ご覧の通り、ピヨはちっちゃくて可愛いだけのか弱い赤ちゃんぴよ?」
知らんわ。続きを促す。
「効率よく『
「初めからピンポイントだろ」
高いところに住んでいる人間から目につくのは分かる。だけど、
「上の階もこのフロアも、住んでいる人間なんて他にもいる」
「厳密に言うと、初めに目についた子供がユートだったぴよ」
もっと噛み砕いてくれないと分からない。
「大人は仕事で忙しいから結晶探しに向いていないぴよ。協力者の理想は、適度に時間を持て余した学生、かつ、口先で上手く丸め込めそうな子どもぴよ」
「そんな都合のいい奴いるかよ」
「都合のいい高校二年生男子の名前、聞きたいぴよ?」
投げたブーメランが綺麗に刺さった。知ってますお前の真下にいる奴のことです。しょぼーん。
「すぐに
「ちょいちょい本音を漏らすな。この階にいる子供って僕だけなのか……でも今の説明だと年齢は関係ないんだろ? だったら働いていない大人の方がもっと自由で適任だと思うけど」
「それ、時間をかけて探すような人材ぴよか? 結晶を探す前に職を探すべきぴよ」
我ながら愚問と反省する。
しかし、ここまでの話でいろいろと察しがついた。背もたれにそり返って、頭のてっぺんを意識する。
「ピヨが選んだ人間にしかピヨを知覚できない。僕がワニを認識できるのもお前の力ってことか」
「うむ、協力者として申し分ない理解力ぴよ」
図らずも適性を発揮してしまった。自分のばか。
とにかく、だ。素直に飲みこめないが、飲み下すしかない。なぜなら初めに目についたってだけで
「しょうがない」
立ち上がり、残りのお茶を飲み干す。
「なんとか回収する方法を探さないとな」
「えっ? 意外にも前向きぴよね」
「意外でもなんでもないだろ。結晶を回収すればピヨは帰るんだから」
ピヨの目的は『
「つまりは、僕の平穏で平凡な人生が帰ってくるってわけだ。だったらやるしかないだろ」
「まあ……そうぴよね……」
歯切れの悪い言葉を聞きつつ、弁当の空容器をレジ袋ごとゴミ箱に捨てる。
ピヨの懸念であり現状課題。それは——
「ワニ、だよな」
唯一にして最難関。避けては通れない問題。
こっちは無力な男子高校生が一人と、小言を言うだけのひよこが一匹。
対してワニは透過能力を常時発動し、脱水症状の特殊攻撃に巨大化もできる。そのうえ弁も立ち、ついでに息も臭い。
実物の鰐でさえ人間が敵うはずもないのに、その上位互換みたいなワニにどう立ち向かえと言うのか。いよいよ現実味のある判断力が欠如してきた——いや、ピヨと出会ったときに失くしたな、そんなものは。
倒すべき敵。だけど現状は初期状態のパーティーでボスに挑むようなものだ。
これがゲームのシチュエーションなら、弱体化イベントがあったり攻略のヒントが提示されたりするんだけどなあ……待てよ、そう言えば……。
「ピヨ、たしかワニに『お前の能力は結晶から借りてる』みたいなこと言ってたよな。あれもハッタリか?」
「手元に置いているなら、何かしらのメリットがあるかもと思ってカマをかけただけぴよ。『あれは悪用されても困るモノ』って神の言葉を思いだぴて」
あれだけ嘘に執着する相手に嘘をつく。
土壇場での悪あがきが功を奏し、僕は生きながらえた。
「あのとき、ピヨのカマかけをワニは否定していない」
むしろ興味を持ったかのように、仮定として話を続けた。
その前に指摘された論点のズレは無視し、そのあとの「僕が呪いを解く」って
「話に乗っかってきたのは、事実を指摘した証明だったとしたら」
圧倒的優位に立つワニからすれば、見当違いだと流せばいいだけの出まかせ。それをしなかったのは、実際に『
ワニの力の源は結晶である。そう仮定すれば。
「むぴぴ……結晶を取り上げれば、ワニは能力が使えなくなるぴよ……?」
「都合のいい憶測だけどな」
でも一考の余地はある。仮定を主軸に類推を広げていく。
「能力っていうのが、有珠杵の呪い全般に関わるとしたら、嘘に関する
「上手くいけば
「……ってことは、結晶を回収すれば、有珠杵を呪いから解放できる!」
僕は思わずガッツポーズをとってしまう。
都合の良い考え方なんて分かっている。だけど光明の見えない現状にとっては、希望をもたらす憶測だ。
「ま、その回収方法がないんだけどな……」
「問題はそこぴよねぇ……」
早々に行き詰まり、互いに黙り込む。
行き場のない視線がキッチン内を渡り歩き、冷蔵庫の扉で立ち止まる。そういえばと、帰宅して早々に冷やしておいたリンゴを取り出した。案の定、全然冷たくない。
母さんが食後にリンゴを剥いてくれる習慣が体に染みついたのか、リンゴの味が恋しくなるときがある。いつもはアップルジュースで欲求を満たしていたが、今日はせっかくスーパーに寄ったので、現物を買ってきた。
皮を剥こうと、流し台の扉を開ける。
「……ピヨたちはワニについての情報がなさすぎるぴよ」
思っていたよりも早く、ピヨが口を開いた。
「だから、鰐という生き物の生態について調べるぴよ」
「それは現実の鰐のことか? 何の意味がある」
ワニの飼育許可申請手続きは知っているのに、根本的なところは知らないのかよ……と思いつつ、今度は引き出しを開ける。
「ロキが説明していたぴよ。怨念の強い悪霊ならより実体に近いって。なら生態や弱点も同じ可能性が高いぴよ」
「覚えているけれど……対策になるのか? そもそも悪霊かどうかも不確かだし、舌が二枚ある鰐なんて存在しないだろ」
神の使いが高校生のオカルト知識に頼るのもどうかと思うが、それだけピヨも現状を打破したいのだろう。続いて食器棚の引き出しを順番に開けていく。
「ユートはさっきから何しているぴよ?」
「ないんだよ、ナイフが」
どこを探しても果物ナイフが見当たらない。
「ぴえっ……まさかユート、リンゴの皮が剥けるぴよか⁉」
「できるわそれくらい! 皮を一本につないだまま切ることだってできるんだぞ」
腕前を見せつけてやりたいが、肝心のナイフがなければ披露できない。
「包丁もない……捨てちゃったのかな?」
「にしても代わりの包丁がないのは不便ぴよね」
「ないものは仕方がない」
諦めて、水道水で洗った赤い表面に歯を立てる。シャリっと良い音が響き、白い果肉が姿を見せた。酸味が混じった甘みが口内に広がる。
リンゴ一個で医者いらず。本日の栄養バランスは完璧オブ完璧だ。これで不意の体調不良も起こるまい。
流し台の前に立ち、小気味よい音で咀嚼をつづける。目をつぶっても想像できるほど見慣れたリビングを眺めながら、ピヨの提案をかみ砕く。
情報が有益かどうかなんて、まずは手に入れなければ判別できない。
「……できることからやるしかない、か」
情報収集ならインターネットでも可能だ。けれどより詳しい情報を求めるなら、適した場所がある。明後日は土曜日で学校は休みだし、久しぶりに行ってみるか。
そうなると問題は天気だけど……有珠杵を見習うか。
テーブルの上、チェストの上、ソファの上、テレビ台の周囲を順に見て回る。
「今度は何を探しているぴよ?」
「いや、テレビのリモコンどこかなって」
ナイフの次はリモコンかよ。室内から消える理由ってなんだ?
「ぴ? リビングのテレビって映るぴよか?」
「逆になぜ映らないと思ったんだ」
「誰だってそう思うぴよ。今までつけたことあったぴよ?」
そういえばピヨの前ではないな。観るにしても自分の部屋のテレビだ。
でもリビングの液晶テレビは最近買い替えたばかりで、傷一つついていない。
結局リモコンは見つからないので、テレビ本体の電源スイッチを押す。
カチ。カチカチ。カチカチカチ。
何度押しても、画面は漆黒と沈黙を貫く。
「えーっ、いつ壊れたんだよ……?」
母さんは故障を知っているのだろうか。もしかしたら、もう新しいテレビを注文しているとか……明後日聞いてみるか。
テレビから離れながら、りんごを芯だけの状態にする。ヘタを掴み、ぶら下げてみたそれを眺めていると、気持ちまで細々としてくる。
「もし……ワニをどうにかできなかったら……」
誰かを助ける。その言葉は重く、背負うには大きすぎる。
約束を果たせなかったとき、有珠杵にどう責任を取ればいいのだろう。
吐いた言葉が今頃になって喉に詰まる。確実性のない言葉を口にするのが、こんなにも精神を圧迫するなんて初めて知った。
「だ~いじょうぶぴよっ」
「望まぬ結果を想像するより、上手く行くことを考えた方がいいぴよ。ユートは責任感が強すぎるぴよ」
責任感が強い……僕が?
「それ自体はとても素晴らしい個性ぴよが、反面、自分に厳しすぎるぴよ。周りに迷惑をかけられない、上手くやらなきゃと自分にプレッシャーをかけちゃうんだぴよ」
言われていることに実感が湧かない。他人と関わることを避けている僕に、責任感という言葉は無縁だと思う。
「僕はそんなできた人間じゃない。ワニに対抗する術だって見つけられるかどうか」
「一人で何とかしようとせず、もっと周りを頼るぴよ。ロキだって協力的だし、なによりユートには超絶キュート&ラブリーで、懐が深くて、頼りがいの
まるで意味が分からない。けれど——
「お前はすごいな。いつも自信に満ち溢れていて」
「ピヨもすごいぴよが、ユートもすごかったぴよ。さっき神社でワニに切った
柔らかい羽で頭を撫でられる感覚は、物理的にも精神的にもくすぐったい。
「ぴよぴようるさいなあ……あのときは無我夢中だったんだよ。ってか、指導役は建前なんだろ」
「もうその肩書は不要かもしれないぴよね」
「ってことはようやく自由か。やったぜ」
僕は軽やかなスローイングでリンゴの芯をゴミ箱に捨てた。
「だぁーからそういうとこぴよ! なんでそのまま捨てるぴよ! 生ごみは生ごみで処理しないと虫がわいて不衛生ぴよ!」
「手のひら返し!」
「さっきも言わなかったけれど、お弁当の容器は最低でも水洗いしてから捨てないと匂いの元になるぴよ、というかすでにゴミ箱から特有の匂いが漂っているぴよ! 埃だってあちこち溜まっているし、いい加減掃除するぴよ!」
「もーうるさいうるさいっ! 週末に母さんが全部綺麗にするから大丈夫だって」
いま分かった。こいつは
真の解放を目指すなら、結晶を回収するしかない。そしてこいつを神様のところに追い帰すんだ。
平穏で平凡な世界を取り戻すまであと少し。
僕は着実に物語の終わりへと近づいていた。
見えている景色が幻想の希望だとも気づかずに。
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