32 絶対的強者(2)

 からかわれている。

 僕が不快を表情に出すと、黒旗さんの口角はより深く吊り上がった。思った通りに動く人形を操っているような顔だ。


「証拠ならあるわよ。中村優斗くん」


 二本の指で放り投げられた物が、手裏剣のように僕の胸元へと届く。


「これは……僕の生徒手帳」


 反射的にブレザーの内ポケットをまさぐる。

 ない。出す機会もないし、出した覚えもない。


「いつの間に」


「私の心を傷つけた罰金代わりよ」


 抱き着かれた時だ。全然気がつかなかった。


「もしかして部屋の鍵も」


「今どきディスクシリンダー錠なんて開いてるのと一緒。これで私が泥棒だって信じた?」


 悪びれもせず、むしろ勝ち誇ったような態度に、僕はサイコロの目を恨んだ。


「警察に言います」


「なら少年も同罪ね。警官を足止めして、鍵を開ける協力をしてくれたんだから」


「そんなっ……」


「私は一切脅迫していない。当事者同士の証言しかないから脅されましたって言ってもいいのよ、少年の正義が柔軟で利己的なら」


 足元で畳がきゅぅと音を立てる。


「自分の罪も認めて一蓮托生しようと思ってるなら、年上のお姉さんがアドバイスしてあげる。若いころに負った傷は時間が経っても消えないのよ。ふとしたきっかけで痛みを思い出す古傷となって、いつまでも自分を苦しめるの」


「この女……ユートの性格を見透かしているぴよぅ……」


「少年が裁かれれば当然、この部屋の契約も解消ね。新しい家を探すのも苦労するんじゃない? だって悪い子に家なんて貸したくないもの。学校に居場所はあるかしら? 進学するにも就職するにも大変じゃない? 警察沙汰になったら」


 だから共犯になれ、ということか。結局は脅しだ。


 薄闇に浮かぶ絶対的強者の余裕。部屋に入る前からこの流れを想定していたに違いない。黒旗さんはもてあそんでいるだけだ。

 それが分かっていて一言も返せない自分にも腹が立つ。我が身かわいさに考えを曲げることが悔しい。


「……飲み込むしかないぴよ」


 いつも窮地に活路を見出してくれるピヨでさえ、成すすべがない。

 自分の心境を極力抑えつける。これ以上相手を喜ばせるのは嫌だ。


「どうして依緒を捜しているんですか」


「もちろんお金のため」


「誰から貰うんですか」


「守秘義務。もちろん私が少年の事情を聞く権利もない」


 黒旗さんの手が僕の後ろ髪を撫で、首から背中に落ちていく。


「お互いに目的が一緒だったから協力した。それでいいじゃない」


「ぴっ、食えない女ぴよ」


「分かってくれたらこの話は終わり」


 背を向けると、赤みの落ち着いた窓に立つ。沈む太陽に文句でも言いたいのか、寝床に帰る鳥が恨めし気に鳴いている。


「得るものはなかったわね。ネズミ一匹いやしない」


「この鳴き声は閑古鳥かんこどりかもしれませんね」


「鳥? そんな声は聞こえないけど」


 適当に言った言葉だ。拾わなくていい。


『クァゥ……き、聞こえるんだ……ボクの声が』


「!? 誰だっ!」


 突如響いた声に思わず問い返す。


「急にどうしたの少年?」


「いま、ぼそぼそと声がしたじゃないですか」


「何も聞こえないけど……やだ、いじめ過ぎちゃったのかしら」


 黒旗さんは訳の分からないことをぼやく。空耳――。


『お、お前が持ってるんだな……』


 じゃない。確かに聞こえる。


「ぴぴっ、微かに結晶の反応! 場所は……押入れの中ぴよ!」


 言われたままにふすまを開ける。中は何の変哲もない二段分割の押入れ。上の段には空っぽ。続いて下の段を見ると闇の中、隅っこに薄らぼんやりと光る物体がある。


「もしかして……結晶か?」


 手を伸ばした直後。


『クァゥァッ! 触るなッッ!』


 金管楽器を思わせる鳴き声がしたかと思えば急に体が引っ張られ、僕は押入れの外に放り出された。勢いで身体を壁に打ちつける。


「痛ってて……なんだよ急……に……」


 僕は自分の目と脳を疑う。


「ピヨたちはどこにいるぴよ……?」


 異質や異常なんて言葉を飛び越えた空間が目の前に広がっていた。

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