07 二度あることは三度ある

「おはようございま……先輩、ですか?」


 知っている声だったのに、振り返れば知らない人がいたので頭が混乱した。

 薄手のトレンチコートにワインレッドのベレー帽、肩に下げた小さなバッグは素人目にもブランド物っぽく見える。心なしかボブカットもふんわりしているような。

 とにかく、普段の路希先輩が持つ雰囲気はどこにもない。


「おはよう。待たせてしまったな」


 路希先輩は眼鏡のつるをスッと持ち上げた。レンズの奥の眼は、いつもよりパッチリしている。


「僕もさっき来たばかりですが……眼鏡って珍しいですね」


「普段はコンタクトなんだが、今日はこちらが適していると判断してな」


 ニッと微笑む唇の赤みにつやが走った。どうやら化粧をしているようだ。


「ユート、こういう時はさりげなく褒めるのが男の務めぴよ」


 化粧似合ってますねとか言えばいいのか? 取ってつけたようなお世辞に聞こえそうだけど……どう褒めれば自然に受け取ってもらえるのだろう。


「変……だろうか?」


「あ、いえその、そんなことありません」


 まじまじと観察していたことに気がつき、慌てて仕立ての良さそうな革靴まで視線を落とす。


「いや、なんかすごく大人っぽいからびっくりしちゃって」


 ピヨも頭の上で「とっても素敵ぴよ」と絶賛したのでそのまま伝えると、安心した表情を見せる路希先輩。


「なら良かった。シチュエーションに合わせた服装というのは大切だからな」


 そうか。大家さんと会うなら、きちんとした身なりで来るべきだった。ジーパンにチェックのシャツなんて、普段着もいいとこだ。


「すみません、服装に気が回らずいつもの格好で来てしまいました」


「人となりを見せるんだ。自然体が一番いいと思うぞ。では行こうか」




 待ち合わせをしていた地下鉄駅から歩くこと数分。

 目の前に見えてきた公園に「うわぁ」とうんざりした声を漏らしてしまった。


「どうした優斗、何かあったのか」


「何もないんですけれど……昨日から縁の深い場所みたいで」


 真夜中、夕方に続いて、三回目は午前中の訪問。紹介してもらう物件については何も聞かされていないので、まさか訪れることになるとは想像もしていなかった。


「もしかしたら、ここに住めという天の啓示かもしれないぴよ」


「回りくどい啓示だな。なら夜中に来た時にオススメ物件の間取り図を空から落としてくれればよかったのに」


「神にそんなサービス精神はないぴよ」


 だよなあ。あれば僕の人生を手助けしてくれたはずだ。

 ピヨの適当な言葉に冗談で返しながら、まるで見えない糸に引き寄せられているような偶然だとも思う。ま、二度あることは三度あると言うし、たまたまだろう。

 それより考えるべきは目先のことだ。


「大家さんってどんな人なんですか?」


「私も実際に会うのは初めてだが、電話の声を聞いた限りは年配の男性だった。事情を話したらすぐに対応してくれたあたり、取り付く島はあると思う」


 僕が家を探す理由を知ったうえで見学させてくれるなら、ちょっと希望が持てるかもしれない。でも路希先輩にそこまで話したかな……?


「ちなみに先輩後輩の間柄あいだがらで付き添いというのもおかしな話だから、優斗と私は遠い血縁関係ということで説明した。その辺は適当に話を合わせてくれ」


「分かりました。何から何まで手配していただいて、ありがとうございます」


「礼を言うのは私の方だ。どんな物件なのか楽しみだな、くぁかか」


 僕の用事なのに、休みを返上して付き合ってくれる路希先輩には感謝しかない。そうだ、今日のお昼ご飯は僕が奢ろう。ピヨも出費を許してくれるはず。たしか駅の近くにファミレスとドーナツ屋があった。好きな方を選んでもらおう。


「さて、大家との待ち合わせはこの辺りだ」


「こんな場所で、ですか?」


 足を止めたのは公園からほどなく近い交差点。車の流れは速く、休日のせいか道行く人も多い。路希先輩は横断歩道の向こう側に視線を向ける。


「この時間は交通安全の指導をしているらしい。ボランティアだろうな」


「みどりのおばさん的な人ぴよね」


 黄色い旗を持って通学路に立ち、子供の交通安全に努めてくれる職員。たしか正式名称は学童擁護員がくどうようごいんだったと思う。小学生のときに、学校近くの横断歩道に緑の上着を着て立っていた。笑顔で手を振ってくれたっけ。


 小学校の頃、誰かが先生に「みどりのおじさんはいないのー?」と聞いたら「おじさんは車を見ているんだよ」と教えられ、それが駐車監視員の愛称だと知った。どちらの職員も性別に関係なく就けるらしい……なんてどうでもいい知識が浮かんだ。

 

「無償で子供のために指導するなんて、きっと感じのいい人ぴよ。これは期待しちゃうぴよっ」


 ピヨの楽観的な考えに乗るわけじゃないけれど、もしかしたら今日で決まるかもしれない、なんて考えが膨らむ。実際は部屋と家賃次第だけれど、路希先輩はその辺も考慮して探してくれただろう。本当に幸運が巡ってきたのかも。


「でもそれっぽい人は見当たらないぴよね」


「特徴は聞いていたのだが……連絡してみよう」


 路希先輩がスマートフォンを取り出したとき。


「なにをしとるんじゃあ!」

 

 交差点に罵声が響いた。

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