33 気弱なクジャク(1)

 


 もともとの部屋は玄関を上がればすぐに畳の六畳一間。左手にはトイレや風呂場、右手には押入れ。台所は玄関の隣――だった。


 それが今は押入れが天井に。壁は一面の畳でおおわれている。玄関の扉や窓、台所はすべて横向きに設置されている。


 畳には雑誌、動物のぬいぐるみ、丸まった毛布、お菓子の袋、三脚、ビデオカメラなどが乱雑に置かれたまま固定されていた。閉め切られたカーテンも横向きで固定されたまま。

 世界一強力な接着剤のアピールをしているなら納得だけど、絶対に違う。


 同じく壁となった天井――ややこしいな――には、ひも状のコードで吊ってあった室内灯が真横になって浮いている。白い人工の光で照らされる室内を見て、外が暗いことに気がついた。陽が落ちている。

 コードに触れると柔らかい針金のように曲がり、離した状態で固定された。


「無重力……ってわけじゃないし、僕には重力が働いている。前にテレビゲームのコマーシャルでこんな演出見たな」


 それは部屋全体が突如として回転する大掛かりな内容だった。僕がいる場所も同じ現象が起きたとしか思えない。


 つまり部屋が九十度回転した。僕は押入れの外に引っ張られたのではなく、押入れから落ちてきた・・・・・のだ。


「一体どうなってるんだ」


「ピヨにもさっぱりぴよ」


 打ちつけた腕をさすりながら、今や地面になった壁の上に立つ。見渡すほどに平衡感覚を奪う光景に、身体のバランスが上手く保てない。畳の壁に手を添えて自分を支える。


「立ってるだけで疲れる部屋だ。気力が奪われる感じがする」


「しっかりするぴよユート! そういうときは愛らしくて極上の毛並みを持つピヨを撫でて心の平穏を保つぴよ!」


「体毛を擦りつけるな! 癒しの押し売りはお断りだ!」


 頬に確かな気持ち良さを味わいつつ、肩まで降りてきてくれたピヨに感謝した。

 しゃべるひよこのおかげで僕は毎日異常に身を置いている。部屋が回った程度、慌てることじゃない――そう自分に言い聞かせると、幾分落ち着く。


「黒旗さんがいない……というか、僕たちが別の場所に移動したって考えるべきか」


「相変わらず結晶の気配は部屋全体から感じるぴよが、比べ物にならないほど強くなっているぴよ」


 日常には存在しない空間も、僕たちを二〇一号室から移動させたのも、結晶の力としか思えない。その力を操るのはファントム。


 いる。間違いない。


「ここにいたら何をされるか分からないぴよ。一度外に出るぴよ」

 

 僕は横たわっている玄関に飛びついた。


「……ダメだ開かない、閉じ込められた!」


「クァゥ……だ、出すわけないだろ」


 警戒心が背筋を突き抜ける。振り返ると極彩色の鳥が品定めするような眼を向けていた。


「こっ、ここはボクだけの世界だ。ボクの許しなく好き勝手はさせ、させない」


 青を基調とした鮮やかな原色の体毛。閉じた羽は白黒のまだら模様にも見える。流れるように背中から床に垂れる部分は、魚鱗と針葉が折り重なっているようだ。

 前に画像検索で見た姿が実態としてたたずんでいる。


ワニの次は孔雀クジャクかよ」


「ぼっぼ、ボクを見て驚かないのか?」


「あいにくと人語をしゃべる動物には慣れっこなんだ」


 若干腰は引けているが、舌は強気に回ってくれる。

 壁から手を放して両足で床を踏みしめた。靴を手放していたことを思い出す。この部屋には転がっていない。


「クァゥ……な、なんなんだ、こいつ」


 クジャクは長く太い首を引っ込め、身を縮こませる。わずかながら羽が震えていた。しゃべり方でも見て取れるが、怯えているのだろうか。威圧感がまったくない。

 こっちこそ「なんだこの気弱なクジャクは?」と言ってやりたい。


「ど、どうやって部屋に入った」


「鍵を開けてもらったんだ」


「そっ、そんな……鍵はかけろって念を押したのに……で、でも、ボクが見えるなら、お前で間違いない」


 細い首を伸ばし、僕にくちばしを突き出す。


「わ、渡せ。鍵を」


「鍵……? 何の鍵だ」


「しら、しらばっくれるな。おっお前が持ってるんだろ。あ、あれがないとボクは安心できないんだ!」


 地団駄じたんだを踏んだ足の爪が畳の表面をぼそぼそにする。


「ユートは家の鍵と自転車の鍵くらいしか持ってないぴよ」


「クァァ……ひ、ひよこがしゃべった」


「お前に言われたくないぴよっ!」


「キュウァ! きゅ、急に怒鳴るなよ……びび、びっくりするだろ」


 豆鉄砲でも食らったようにたじろぐ。圧倒的体格差でひよこにビビるな。


「ぼ、ボクが欲しいのは『箱』の鍵だ。はっ早く出せ」


「そんなもの持ってないぞ」


 まず箱ってなんだ……そういえば依緒も箱を開けたいとか言ってたな。


「もぴもその鍵を渡したら代わりに何かくれるぴよか?」


「ず、図々しいひよこだな」


 そうなんだよ、と思わぬところで共感してしまう。敵意を感じないこともあって親近感すら湧いてきた。


「ま、まあいい。鍵を渡すなら、なんでも持っていけ」


「サンキューぴよ。でもこんな状態じゃ床に何が置いてあるか分からないぴよ」


「そ、それもそうだな。それなら――クゥァァァァァッ!」


 クジャクが高らかに鳴いた直後、立っていた場所がゆっくりと傾き始める。


「お? お……うおぉぉああぁああなんだこれっ!」


 勾配こうばいの変化に立っていられなくなり、僕は近くの柱にしがみついた。

 地面が垂直の壁になったところで動きが止まると、天井の押入れは壁へ、畳は床に戻っていた。孔雀がいることを除けば、どこにでもある日常の空間だ。


「すごいな……こんなアトラクションがあったら大繁盛だ。大儲けできるぞ」


「か、金なんていらないし、目立つのもい、嫌だ。ボクは自分の世界にいられれば、それで、いい」


 お前の姿で人目を引くのは避けられないと思うが……変なやつ。


「チョロいクジャクぴよね」


 ピヨが僕に耳打ちする。


「これで押入れの結晶を取りに行けるぴよ」


「そういう魂胆こんたんか」


「あとは小粋な会話で場を和ませながらそれとなく近づくぴよ」


 なんだよ小粋な会話って。

 しかし真っ向から戦うことに比べればやりようはある。相手は会話が成立するうえ、ひよこにもビビる臆病鳥。不用意に刺激しなければ攻撃もない。今のところは。


「ぴっぴっぴ……結晶に触れたらこっちのもの、あとはピヨにおまかせぴよ」


 ピヨの能力で結晶の力を封じれば、ファントムの能力も無力化する。そうすれば結晶の回収と共に、僕らは元の場所に戻れる――はずだ。たぶん。きっと。


 都合の良い算段だが、異次元空間からの脱出方法がない以上、この作戦がもっとも現実的に思える。結果を信じて上手くやるしかない。

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