33 気弱なクジャク(2)

「何度も投函口から覗いてたのに、どうして何もしてこなかったんだ?」


 何気なく話を振りながら、散乱したお菓子に目をやる。動物のイラストが描かれたクッキー、棒付きのキャンディ、食べかけのバニラアイスなどが置いてあった。クジャクのおやつか?


「薄い扉一枚向こうで好きかって騒いでたし、うざかっただろ」


「べ、別に。外の様子は分からないし、こっちからはな、何もできないから」


「ふーん」


 そっけない締め方をしつつ、クジャクの返答を咀嚼そしゃくする。

 このファントムは「活動範囲が室内のみ」「外部の様子を知る手段がない」。つまり外に出れば攻撃を受けないってことだ。


 このクジャク、僕たちをまったく危険視していない。根はいいやつというか、単純というか、なんでも答えてくれそうだ。もう少し深堀りしてみよう。


「取り憑いている人間は一緒じゃないのか?」


「と……取り憑く?」


 クジャクは派手なメイクをしたような瞼をぱちくりさせる。


「ゆ、幽霊じゃあるまいし、そんなことできない」


「取り憑かなくても活動できるのか……」


 被害にあっている人はいない。大きな不安材料がひとつ減った半面、単独で活動できることに怖さを覚える。道を歩いていたらファントムとばったり……なんて、驚かないわけがない。


「クジャクはいつからここにいるぴよ」


 ゆっくり前進するつま先に子猫のぬいぐるみが当たる。他にもメルヘンチックで可愛いマスコットばかりで、オンボロアパートじゃなきゃ女の子の部屋みたいだ。


「クァゥ……いつ、から……?」


 ピヨの質問にクジャクは天井を見上げる。その隙に押入れとの距離を詰めようとしたが、無造作に置かれた映像機類が邪魔で立ち止まるしかなかった。

 立てられた三脚の上にビデオカメラ。接続されたコードを伝っていくと小型の再生プレーヤーが置いてある。部屋の中で撮影でもしていたのか?


「お、お、思い出せない……ずっと、部屋の中にいたから」


「昔からこのアパートに住みついていたぴよ?」


「ち、違う。逃げてきたら、ここにたどり着いた……そうだ、そうだ、そうだ……」


 クジャクはじわじわと思い出すように繰り返す。


「あいつらが……ボクの空間に無理やり入ってきたから……ボクは何も悪いことしてないのに……!」


 尻尾のように垂れた羽がゆっくりと伸び、ピンと張っていく。自分の世界に入り込んでいるおかげでこちらの動きは気にしていない。話し相手はピヨに任せて、僕は目的地到達に集中しよう。


「好きな相手と二人きりで過ごしていただけなのに……なのに……理不尽だ」


「ほぅ、切ない思い出があるぴよね。よかったら聞かせてほしいぴよ」


 ピヨの恋バナスイッチが入ったところで、ビデオカメラの液晶モニターが光を放っていることに気がつく。起動しているようだ。でも孔雀が使っていたとは思えない。


「ボクには愛しい相手がいたんだ。真っ白で笑顔が素敵な……そう、下界に舞い降りたて、天使そのものだった」


 画面に映るのはレンズの先にある部屋の壁……いや、今の位置とちょっとずれている。過去に録画した映像だろうか。

 日付は五月十七日の夜、まもなく金曜日になりそうな時刻でカウントが止まっている。画面にはREC録画中と出ている。故障しているのかな。


「でもボクは見ての通りぶ、不細工ぶさいくだからさ、声をかける勇気がなくて、ずっと遠くから見守っていたんだ」


「ピヨはそんな風に思わないぴよ。純粋で真っ直ぐなところは初対面でもすぐに好感が持てるぴよ。魅力的ぴよっ」


「あ……ありがとう。いいひよこだな」


 さっきはチョロいとか言ってたくせに。見た目は黄色くても腹黒いから気をつけろ、なんてアドバイスをしたくなる。


「最初は見守るだけで満足だったけど、気持ちは日ごとに大きくなっていった。話をしたい、一緒にいたい、ふれあいたい……だからボクは決心したんだ」


「告白したぴよねっ! ぴィヨッ! 男の中の男……オスの中の雄ぴよ!」


「でもき、気持ちは……受け取ってもらえなかった」


「ぴぇぇん……想いは届かなかったぴよね」


「でもボクの気持ちは収まらない、ボクは何度も気持ちを伝えた」


「見かけによらずガッツあるぴよ!」


 ビデオカメラの後ろを通ってクジャクの側面まで来た。押入れまであとちょっと。

 あいつは地面ばかり見て話していて顔をこちらに向けない。さらに都合のいいことにふすまは開きっぱなし。


「で、で、で、どうなったぴよ?」


「結果は同じだったよ……それどころか周りはボクと彼女の仲を裂こうとまでした。だからボクは決死の覚悟で、彼女の手を取って自分の世界に連れてきた」


「ぴぇーいゅ! 愛の炎が燃え上がるラブロマンスぴよーっ!」


「彼女も初めは戸惑っていたけど、次第に話を聞いてくれるようになった……ようやくボクの気持ちが届いたんだ! 勇気を振り絞ってよかった……!」


「恋愛小説みたいぴよーっ! 執筆して出版社に持ち込んでドラマ化ぴよ!」


 なんか鳥類同士で変な盛り上がりを見せてる。山の中か動物園か知らないけれど、クジャクの世界もいろいろあるんだな。僕としては夢中で話し続けてくれればそれでいい。頼むぞピヨ。


 こちらもあとは押入れの手前にある毛布を超えるだけだ。この一帯は特に物が散乱している。あくまでも物色してる感じを出すために、一度しゃがみ込んで気になったフリを見せておくか。焦らず行こう。


「でも……彼女との時間は長く続かなかった」


「続きがあるぴよね。これは二冊に分けて発売すべきぴよ」


 奇妙に膨らんだ毛布の端から何かはみ出ている。


「あいつら、ボクの世界に押し掛けてきたんだ。彼女を取り返すために」


 毛布をめくってドキッとした。なんでこんなものが、という言葉が出る寸前で飲み下す。

 中には紺色の学校指定水着――スクール水着が入っていた。他にも丸めたピンクのエプロンとか、猫耳のカチューシャとか、絆創膏とか、縄跳びとか……なんで?


 さらに奥のほうに肌色の何かが隠れ見える。


「開けられないように鍵をいくつもつけてあるのに、奴らは力づくで扉を壊そうとした。開けるな、誰も入ってくるな、ここはボクと彼女だけの世界なんだ……!」


「急展開ぴよぉぉっ!」


 比喩じゃなく、本当に心臓が口から飛び出そうになる。

 そっと毛布をめくった中には人間の素足。折り重なったもう片方の足は靴下を履いている。露わにしてくとスカート、さらに白いセーラー服が出てきた。


 既視感。

 口から出損ねた心臓が胸の中でドクドクと暴れ始める。


 別人だ。人がいること自体問題だけれど、少なくともあいつじゃない。浮かんだ人相を振り払う。この部屋にいるはずがない。だって入れなかったんだから。


 吹き出る確認衝動が無自覚に腕を操る。毛布がかかっているのは首から上だけ。


「どどどどどうなったぴよ!? 彼女はそのときどうしたぴよっ!?」


「声をかけたけど彼女は深く眠っていて起きなかった。でも置いていくわけにはいかない。それに自分の世界を捨てたくない。外の世界に居場所なんてないし……」


 かじかんだように感覚の薄れた手でゆっくりと毛布を剥ぐ。


「ダメぴよ諦めちゃダメぴよ! せっかく一緒になれたのにぴよっ!」


「でももう、どうすることもできない。ボクは踏み荒らされるボクの世界を悔みながら、何もかも置いて逃げてきたんだ」


 覆われていた毛布から少しずつ相貌が現れる。


「彼女は……どうなったぴよ?」


「分からない。もしかしたら、天国に帰ってしまったのかもしれない」


 毛布を完全に取り去る。

 中にいたのは横たわる依緒だった。

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