38 意外で劇的なエンディング

「対抗策、あるんだな」


 時間は遡る。前日、有珠杵の家から帰宅した後のこと。


 ピヨが有珠杵に言った「優斗にはワニに対抗する手段がある」という言葉。とっさの言葉にしては妙な説得力を感じ、カマをかけてみる。

 

「あ、あれはユートをフォローするための出まかせぴよ」


 洗面台の鏡の前に立つと、頭を後ろにして、丸いおしりを向けている姿が映っていた。やましさを体現しているようなもんだぞ。

 言いたくないなら、言わせる流れに持っていくしかない。


「僕はワニに触れることができる」


 あえて気づいていないフリをしていた情報を公開すると、ちょんと立ったしっぽがピクリと揺れた。こいつ、隠し事がヘタだな。


 あいつは取り憑いた有珠杵の体も、投げつけられた物体も透過する。でも僕にだけは直接触ることができる。神社で手を叩かれたときから、もしかしてと思っていた。

 向こうが触れるならば、こっちだって触れる。じゃないと理屈に合わない。


「……ピヨがそばにいるから、だと思うぴよ」


 しぶしぶ前を向いたその顔は、何とも居心地が悪そうだった。


願いの結晶ラヴィッシュダストを回収するための力が、二十四時間ずっと接触しているユートにも影響している……だから結晶のパワーを利用しているワニに干渉できる。きっとそんな理屈ぴよ」


 接触の話は誘い水だから掘り下げない。聞きたいのは具体的な対抗手段だ。


 隠していることを話さなければ、明日はカード一枚だけで勝負を挑む。

 脅すようにピヨの目を見つめる。鏡越しのつぶらな黒目は、たっぷり十数秒を使って、降参するように伏せた。


「ピヨはユートも大切ぴよ。危険な目に遭わせたくないぴよ」


「危険を冒せば、有珠杵をどうにかできるかもしれないんだな?」


 畳みかける追及に根負けしたピヨが口を開く。


「もしものときの特別な力があるぴよ。発見したエネルギーが勝手に漏れ出て、周囲に影響を及ぼしていた場合、動力を止めることができるぴよ」


 例えるなら、ブレーカーを落として強制的に機械を停止させるような方法らしい。


「ってことは、ワニの持っている結晶に触れば、呪いを無力化できるってことか? それって十分な対抗手段じゃないか」


「でもピヨが直接、結晶に触れなければ力が発動しないぴよ」


「どこを触ればいいんだ?」


 おそらくピヨは結晶の場所を把握している。

 探知能力は目的物との距離が近いほど正確だと言っていた。以前は食われる寸前まで迫ったのだから、その時に特定しているはず。


「……二枚あった舌、その上の舌から気配を感じたぴよ」


「そこに触れば、ワニの動力供給を遮断できるんだな」


 手が届く範囲ならやりようはある。


「あらかじめ指先にピヨがスタンバイして、ワニが口を開けた瞬間、僕が舌を掴みにかかるのはどうだ? お前は無力化に集中できる」


「馬鹿なことは考えないで欲しいぴよ」


 僕の明日の行動がけん制される。


「捨て身で誰かを助けようなんて、そんなのは違うぴよ」


「噛まれる前に触ればいい」


「噛む方が速いに決まっているぴよ!」


 小さなくちばしを尖らせて反対するが、僕はあながち無理でもないと思っている。


「ピヨの方が速い。なんたって残像が残るくらいだからな」


 初めて頭の上から降りてきたときに見せた移動速度は、ひよこのそれとは思えないほど速い。

 もうひとつ。神社でワニが賽銭箱の上から飛びかかってきたとき。大口を閉じる速度に比べて、開く速度はかなり遅かった。不意を突けば先手をとれる気がする。


 この二つが勝算の根拠だ。都合のいい計算なんて分かっている。でも明日までに用意できる唯一の手段はこれしかない。実行にはピヨの協力が不可欠だ。鏡に向かう。


「身勝手な作戦だし、ピヨも危険な目にあわせると思う。だけど他に思いつかないんだ。もちろん、ピヨを怪我させるつもりもない。ええと……」


 スムーズな頼み方が分からない。思えば、人生で誰かに頼った場面なんてなかった。しかも、身の危険が及ぶ前提の頼み事なんて虫がよすぎる。

 それでも、有珠杵との約束を守りたい。

 葛藤を抱えつつ、なおも相手に尽くす言葉を探す。


「僕一人じゃできないんだ。そりゃ、もっと上手いやり方があったかもしれないし、勝手に宣戦布告をした僕が頼める義理なんてないけれど……」


「まったく、しょうがないユートぴよ」


 まとまらない文章をばっさりと斬ったピヨが、やれやれと僕を見下す。


「ここまで来て他人行儀されたら逆に寂しいぴよ。ユートがやりたいなら、ピヨも一肌脱ぐしかないぴよ!」


「初めから一糸もまとっていないけどな」


「くだらない茶々はノーサンキューぴよ。コフレのためにもがんばっちゃうぴよ!」


 ばっさばっさと羽をはためかせ、意気込みを見せる。

 了承を得られた。あとはやるべきことをやるだけだ。


「問題は、どうやって口を開かせるかだな」


 さすがにこじ開けるのは無理だろう。開けるように誘発したい。


「ピヨに任せるぴよ。ユートは開いた瞬間に手を突っ込むことに集中するぴよ」


「どうするんだ?」


「執着の強い奴ほど、些細な誹謗ひぼうにカチンとくるものぴよ。だから、あらゆる悪口を言いまくって、反応したらねちねちほじくる、陰湿で粘着質な『口』撃を展開するぴよ!」


 とても嫌な戦法だ。だけど相手がワニなら心置きなくやってもらって構わない。

 口が開くことを前提に、僕は僕のやるべきことに全力を注ごう。




 挑発に乗ったワニが目いっぱいに大口を開け、僕は最速で腕を伸ばす。

 以前見た通り口の開きは遅く、舌も想定以上に掴みやすい位置まで出ていたおかげで、右腕が噛まれる前にうねる舌を掴むことができた。


「いっくぴよぉぉぉぉぉぉぉ!」


 僕の指先に立って、ワニの舌にくちばしを叩きつけた瞬間、全身から淡い桃色の輝きが放射された。まぶしくも幻想的な光。

 ワニの体がびくりと跳ね、口が閉じる寸前で動きを止める。


 ナイスだピヨ! これでワニを無力化した! 


 そう思った矢先、激痛が走る。停止したと思った牙はゆっくりと閉じていた。

 関節まで突っ込んだ右腕に、ずぶずぶと、シャツをすり抜け、スローモーション映像のようにワニの牙がめり込んでいく。


 穿たれた二の腕から湧くように血があふれ出し、白いシャツを瞬く間に赤へと染める。衣類の下では、太い釘で何度も何度も何度も何度も刺し貫かれるような痛みが続く。奥歯に全力をかけて痛苦を堪える。


「何しているの⁉」


 さすがの有珠杵も事態に取り乱す。


「きっ———ァァアァぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁ‼」


 悲鳴を上げたのは僕でもピヨでも有珠杵でもなく、路希先輩だった。長い悲鳴を出し尽くすと、その場に卒倒する。ワニが見えない人間からすれば、何もしていないのにシャツが血まみれになっていく猟奇的現象。気絶だって無理もない。


 牙が肉に沈みこむと、ワニは噛んだ腕を軸に下半身をねじる。嫌な予感がした。

 鰐は体を回転させて獲物の肉を引きちぎる——デスロール。

 衝動的に左手の指を濁った眼球へ突き立てた。痛みに口を開けた隙に腕を引き抜く。もんどりをうって有珠杵の肩からずり落ちるワニ。同時に僕も倒れ込む。


「ユート! 大丈夫ぴよ⁉」


「見た目よりは浅い……っ。心配するな」


 傷口が覆い隠されているおかげで、やせ我慢しやすい。

 実際のところ叫ばずにはいられないほど痛い。それでも一応指は五本とも動くし、こらえれば腕も動く。

 今にも泣きそうな顔で、噛まれた場所をさするピヨ。


「ごめんぴよ。思ったよりパワーが出なかったぴよ」


「謝るなって。あの様子は確実に効いている」


 不意打ちで決められたらベストだったが、それでも十分な成果だ。

 地面に落ちたワニは形相激しく僕らを睨みつけ、カチカチと牙を鳴らす。威嚇するような唸り声に、常に持っていた余裕はないように聞こえた。


「殺しておくべきだった……二度目はないぞ」


「やってみろ。近づけばもう一発お見舞いしてやる」


 左手を突き出し宙を握る。拳の上にはピヨ。ワニは距離を保って警戒を続ける。

 相手は初めの一撃で「触れられたら得体のしれない攻撃を受ける」と経験則を植え付けられたはずだ。用心して不用意な開口はしないだろう。


 張りぼての優勢を装っているうちに、次の策を講じなければ。力や素早さを生かして噛みつかれたら打つ手はない。だからこちらが「舌にしか攻撃できない」と悟らせず、力勝負を封じ込める。


「こっちには人質がいるんだぜ」


 膠着状態から脅しをかけてくるのも予測済みだ。対策は考えてある。


「有珠杵、質問されてもごまかさないでくれ。正直に答えれば呪いは発動しない」


 僕とワニの間で頷く有珠杵。制約ルールさえ理解していれば、罰則ペナルティは発動しない。対策は容易だ。


「正直に、かぁ?」

 ワニの毒気で濁った眼が有珠杵を映す。

「じゃあ聞こう。お前は小僧に嘘をついたことがないのか?」


 思わせぶりな質問に中身はない。困惑させて嘘やごまかしを誘発し、呪いを発動させて優位に立つつもりだろう。単なる揺さぶりだ。僕に不安混じりの視線を向けてくる有珠杵。


「嘘つきは地獄で閻魔に舌を引き抜かれるんだぜ。よぉく、考えろよ」


 考える必要はない。僕には嘘を言われた記憶なんてないからだ。ハッタリで不安を煽っているだけ。


「無視するつもりか? 俺は質問をごまかされているのか?」


 時間切れでごまかしと決めつける。姑息な手段だ。「ある」と答えれば、呪いの発動を許可してしまう。言うべき言葉は一つしかない。

 心配するなと頷いてやると、有珠杵はワニに向かって答えた。


「嘘はついていないわ」


「コフレ駄目ぴよ!」


 一瞬遅れてピヨが叫ぶ。

 ワニが、笑う。


「ゴゥルル……嘘を、ついたな」


「————ッ! どういうことだ⁉」


 有珠杵と出会ってから今まで、会話中の質問は出来るだけ避けた。したとしても、答えにくいことは聞いていない。すべて正直に答えていたはずだ。該当する発言は一つだってない。


「ピヨ、僕は嘘を言われた覚えなんてないぞ!」


「たしかに嘘は言っていないぴよ……でも」


「でたらめだ! ワニのでまかせ……」


 有珠杵の表情は青ざめていた。嘘を、ついていたのか? どこでついたんだ⁉

 

「初めて小娘に会ったとき、何をされたのか思い出してみろ」


 今度は僕に向けられた問いかけに、急いで記憶を掘り返す。

 初めて会ったのは学校の箱庭。有珠杵が池に飛び込んで、僕が助けた。息をしていないと思ってすぐに人工呼吸を——


「驚いたよなあ。意識不明だと思ったら、息を止めていただけなんて」


 死んだ『芝居ふり』……!

 言葉にしなくても嘘はつける。発言だけに執着して、完全に見落としていた!


「いや、違う……あのときは僕が勘違いしただけだ! 有珠杵だって死んだと思い込んで」


「取り繕うな。あれは嘘だった、と思ったろ?」


 深淵の裂け目のような瞳孔が、僕の弁解を貫き崩す。見透かされている。


「相手が嘘と認識するのも制約ルール違反と言ったよな。よって罰則ペナルティを与える」


 ワニが滂沱ぼうだの涙を流し、有珠杵がその場に崩れ落ちた。

 僕は承諾も得ずに有珠杵のバッグを開ける。やはりペットボトルが入っていた。有珠杵の半身をかかえて、すぐに飲み口をあてがう。


「しっかりしろ有珠杵!」


 テニスコートの中心で、雲に隠れた満月にさえ届きそうなわらい声を上げるワニ。


「ゴァラララ! 人は無意識に嘘をつく、他者を騙すことに罪の意識がないからだ! それこそが人間のあるべき姿、生きるために嘘は当たり前だという確固たる証明! さあ嘘を認めろ、人を騙すのは善く生きる最良の手段だと世界に叫べ!」


「嘘で……人を傷つけてはいけない」


 有珠杵は朦朧とした意識で拒む。


「おばあちゃんは……悪い嘘を許さなかった」


「いい加減認めろ!」


 なおも涙を流し続けるワニが、前足を地面に叩きつける。


「この世から消えた人間が残すものなど足かせにしかならない! お前は死者の言説に縛られて、生き方を捻じ曲げられ、多くの物を失った。人生に邪魔な言葉ゴミはさっさと捨てろ!」


「そうさせたのはお前だろうがッ!」


 どこまでも自分勝手な主張、マッチポンプも甚だしい。

 許せない……だけど有珠杵の命を握られた以上、ヘタな手出しはできない。


「おい小僧。余計な動きを見せたらこいつを干からびさせる。雛鳥も分かったら腕から離れろ」


 ピヨが頭の上に戻ったのを確認すると、ワニがゆっくりと僕たちに近づいてくる。一歩ごとに体が肥大化していく。


「まずはガキの腕を噛み千切る——そのあとは残っている手足だ——舌の痛みも引いてきた」


 目の前ににじり寄ってきたときには、人間一人を簡単に丸呑みしそうなほどの巨体へと変貌していた。丸太のように膨らんだ尻尾が地面を打ちつける。気のゆるみが一瞬で最悪の事態へと逆転させた。


 呪いが発動すれば防ぐことはできない。だからこそ、奇襲を仕掛ける以上に呪いの対策を練っていた。相手が予測通りの行動をするたびに、余裕と油断が増えていき、肝心なところで足元をすくわれた。僕は馬鹿だ……!


「やめ……て」

 僕の腕の中で、か細く求める。

「認める……から……。嘘は……必……よ」


「折れるな!」


 屋上に響き渡る大声で遮る。

 僕の勝利条件には有珠杵の心を折らないことも含まれる。祖母を裏切る発言は、遺恨となって有珠杵に最悪の選択をさせるかもしれない。


「お前の大切なものを譲るな! 大好きなおばあちゃんに貰った言葉だろ!」


 残りの気力をありったけ込めて励ました。

 がむしゃらな喉の使い方に疲弊を覚え始めたとき、有珠杵の手が、僕の手に重ねられる。


「だけど……死なせられないよ……仲村君」


 初めて名前を呼ばれたことが、こんな状況下でも、なんだか嬉しかった。そんなことで心を満たされてしまい、変に気持ちが落ち着く。

 だから、諦めがついてしまった。


「おいワニ。抵抗しないから涙を止めてくれ」


 右腕を差し出す。忘れていた痛みが一斉に噛まれていたことを伝えてくる。


「僕の手足で良ければやるからさ、それで有珠杵を許してやってくれないか」


「ぴぃ⁉ なに言っているぴよ!」


「できればひよこも逃がしてやってくれ。こいつは一羽じゃなにもできないから、抵抗はしない」


 どんな手でも使う。そう決めたときから決めていた最後の取引。確実性はないけれど、ただ果てるよりはマシだ。


 他人に無関心で大した人生を歩んでこなかった人間が、最後に誰かの役に立つ。それだけで自分に価値があったと思える。綺麗な幕切れ。しかも最後はワニに喰われて終わるだなんて、意外で劇的なエンディングじゃないか。

 つまらない人間にしては上々の終わりだ。だらだらと生きるよりもいい。


 ピヨ。次はちゃんとした協力者を探せよ。

 髪の毛をやたらと引っ張られる。鳴かないでくれ。


 有珠杵。美人なんだから性格も良くしとけ。

 僕のワイシャツにぎゅっとしわが寄る。泣かないでくれ。


 ワニの開いた口の中で、舌がうねり踊っている。


「分かった、と言っておこう。ただし、俺は嘘つきだ」


「約束を破ったら悪霊になって、その舌に千本の針を刺してやるよ」


 最後の強がりを吐くと、ワニのあぎとが静かに僕の腕をくわえ込んだ。

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