37 終末処理場の戦い

 下水処理場の屋上。夜間照明に照らされながらベンチに座る、路希先輩の姿があった。校外なのに、制服にとんがり帽子と黒ケープの部活動スタイルだ。

 かく言う僕も制服だが、これは単に着替えるのが面倒だっただけ。


「十五分前行動とは感心だな、優斗」


「どうしていつもの格好をしているぴよ?」


 ピヨの疑問を代弁すると、魔女は片手を腰に当て、もう片方の手を高らかに掲げた。なんだそのポーズ。


「これから行うのは儀式なのだぞ。ここで正装しないでいつするのだ⁉」


「いつもしているじゃないですか」


 放課後は魔女スタイルの路希先輩しか見たことがない。それから、学生服は魔女の正装じゃないと思う……なんて指摘は、次々とポーズを変える路希先輩の耳には入らないだろうなあ。

 遠い目をすれば、燃えるような夕焼けが、濃紺の空に押しつぶされていた。


 月曜日の夜六時三〇分。河川近くの終末処理場。その屋上で解呪儀式を執り行う。


 一昨日の夜に送られてきた連絡だ。初めて有珠杵の呪いを認識した場所。そこで呪いを解くなんて、因縁めいたものを感じた。

 そして僕が思っている以上に、屋上は地域住民にとって使い勝手がいいらしい。


「悪霊を祓う儀式……一度やってみたかったんだ……たぎるぞ滾るぞっ! くぁかかかぁ~!」


 いつも以上に不気味な笑いを浮かべる路希先輩。どれだけ楽しみにしていたのかは、先ほどから外面に出ずっぱりのハイテンションでうかがえる。

 

「あの……なんで今日なんですか? それにこの時間って」


「儀式は魔力が満ちる、満月の日に行うものだと決まっているだろう」


 天を指す指の先には、うっすら雲がかった丸い月が浮いていた。


「今日を逃してまた一か月待つのは長いからな。天気は回復したんだ、執り行わない理由はない」


「昨日から嘘みたいに晴れたぴよ。久しぶりにおひさまパワーを充電できたぴよ~」


 ピヨがはしゃいでいるように、朝から雲一つない青空だった。これから降るって可能性もまずないだろう。


「ところで先輩、今日は結構大掛かりなことをするんですか?」


 そう思ったのは、ベンチの上に大きなリュックが置いてあったからだ。山登りでもするような大型リュックには、いろいろ仕込んでいるように見える。


「準備自体に手はかからないが、いろいろと物入りでな。あとは主役を待つばかりだ……と、噂をすれば」


 路希先輩の視線が僕の肩越しに移る。

 振り返ると、凛とした眼差しで僕たちを見据える有珠杵が立っていた。左肩には眠そうに瞼を半開きにするワニの頭が乗っている。今日はいるな。


「一か月ぶりだな、有珠杵恋振」

 後輩を泰然たいぜんと迎える。

「私のことを覚えてい……てくれると嬉しいぞ」


「もちろんです、冠理路希先輩。魔女の格好をした三年生なんて他にいませんから」


 どこか慇懃いんぎんに聞こえてしまう有珠杵に対し、言葉を選んだ路希先輩は優しい。疑問形にしなかったのは、呪いを気遣ってのことだろう。

 今日の主役は僕らの前に来ると、自分を晒すように腰元で手を広げた。


「手紙の通り、シャワーは浴びてきました。服装はこれでいいのかしら?」


「うん、注文通りだ」


 ブラウス、スカート、留め具のない靴——パンプスだっけか。それに小さなバッグ。すべてが飾り気のない白で統一されていた。


「先輩、あの服装にはどんな意味があるんですか?」


「白は神聖な色、穢れを退ける色だ。呪われた者から悪霊を引きはがしやすくするための正装と言っていい」


「じゃあ髪型も?」


 黒髪をツインテールにまとめていた。腰まで垂れる二本の絹束が夜風にたなびく。

 本人に尋ねたつもりはないのだが「家ではこの髪型なの」と気疎けうとい声で答えが返ってきた。昨日はしてなかったぞ……あ、風呂上がりで乾いていなかったからか。


「不都合なら解きますが」


「差支えはない。ではさっそく始めよう——の前に」


 路希先輩は有珠杵に了承を求めた。


「呼び方なのだが、下の名前で呼ばせてもらっていいだろうか?」


「構いません。大切な名前なので、呼んでいただけるとありがたいです」


 僕にもわざわざ許可を取っていたな。フルネームで呼ぶのはなぜだろうかと思っていたけれど、ちゃんと許可を得てからとは、変なところで律儀な先輩だ。


 テニスコートの中央に移動し、いよいよ儀式の準備が始まる。


「儀式ってどんなことするぴよ? ちょっぴりワクワクするぴよ」


 ピヨのわくわく感はよく分かる。悪霊を祓う儀式と言われて想像するのは、地面に魔方陣を描いて呪文を唱える光景。良い結果が浮かばないのは、漫画やゲームでは大抵そういう・・・・結果になるからだ。

 今回ばかりは、テンプレートな展開を裏切ってほしい。


「まずこれを胸元に構えてくれ。持つ者を悪霊から守ってくれる魔除けだ」


 路希先輩が有珠杵に手渡したのは、装飾の施された一本の短剣だ。見覚えがある。


「その短剣って、櫻さんの店に置いてあった商品ですよね」


「実は優斗と別れた後、どうしても欲しくて買いに戻ってしまったんだ……うん、様になるな」


 長く黒い髪、白い服の女子に銀の刃、金の装飾。一枚の絵のような構図を、悦にるように眺める。

 でも短剣は模造品で魔除けの効力がない。持つ意味はあるのだろうか。出自を知っている僕のためにか、路希先輩が補足を添える。


「儀式はその形自体にも効力がある。例えレプリカでも、形を整えることで、悪霊を祓う力を生むことができる」


「ぴぃー? よく分からないぴよ」


 僕にも理解できない。ついでに言えば、有珠杵も不思議そうに解説を聞いていた。知識のない人間からすれば、オカルトとはそういうものかもしれない。


「つぎに空気を浄化し、解呪の場を整える」


 言いながらドラッグストアのレジ袋を取り出し、透明なビーズがたくさん詰まったボトルを有珠杵の足元に置いた。


「ちょっと待ってください先輩」


 また声をかけてしまったが、これは物言いをつけなければならない。


「その地面に置いたやつ……『空間消臭剤 リビングの嫌な臭いに 九十日間用』って書いてあるんですけれど」


「淀んだ空気は悪霊にとって活力になるからな。綺麗にして居心地を悪くする。しかも『清らかな新緑の香り』だ、無香料よりも効果が高いはず」


 匂いじゃないんですよ問題は。あとここは屋外です。

 それと有珠杵、気持ちは分かるけれど不信感は一旦引っ込めてくれ。


 消臭ビーズは澄んだ空気を生産してくれるが、場を取り巻き始めた不穏な空気はどうにもできない。

 さらに路希先輩は宙にスプレーを噴射し始めた。ボトルのラベルに書かれた文字は「しっかり消臭」。フルーティな香りが広がる。


「どんだけ匂いにこだわるんですか⁉」


「とにかく悪霊の居づらい場所にして、追い出すんだ」


「トロピカルなフルーツの香りを嫌う悪霊なんています⁉」


 甘い果物の香りで満ちる中、ワニはB級以下の海洋生物パニック映画でも見るような目で、僕たちを眺めている。何だこの茶番は? そう思っているに違いない。


「古来から果物には魔除けの効果があると信じられてきた。ヨーロッパでは柑橘系の果物とハーブを組み合わせて、香りのお守りを作るらしい。だからこのスプレーにも、少なからず効能が認められるはずだゲホッ」


 むせるほど噴射しなくても……今この場を取り巻いているのは甘い果物の香りではなく、胡散臭さだ。

 きっと知識自体は正しいのだろう。けれどそこに「自分なりの解釈や創意工夫」を取り入れてしまうから、ふざけているように見えてしまう。


「方向性のブレた熱意は、なかなかに指摘しにくいものぴよ。ロキは良い子だけになおさらぴよ」


 ピヨは心底難儀な問題と捉えているようだ。僕らは素人なので特に伝えづらい。


「つき合っていられないわ帰っていいかしら」


「待ってくれ有珠杵!」


 お前はあっさり口に出すなあ!


「私は複数人のプロに除霊を依頼したけれど、神聖な香は焚いても、空間消臭剤を散布した専門家はいなかったわ」


 だろうな。いたらクレームをつけて返金を求めるレベルだ。

 たしかに路希先輩はプロじゃない。年上なのに申し訳ないが、ポンコツ魔女っ娘と言われても仕方のない行動だ。

 だけど彼女には切り札がある!


「先輩、聖水を見せてもらってもいいですか?」


「私は手が離せないから、勝手に出して構わない」


 四つん這いになって、チョークでコートに魔方陣を描き始めた路希先輩を尻目に、僕はリュックの中をまさぐった。

 該当する容器を取り出し、有珠杵に見せる。これが泣く子も悶絶する聖水だ!


「聖水は透明な液体よ。それにペットボトルで管理するものじゃないわ」


 白濁色で満たされた二リットルサイズのペットボトルを見せるや否や、的確におかしな点を述べる。うん、それは、そうなんだけどさ……。


「それに多すぎぴよ。こんなに量はなかったはずぴよ」


 前にピヨと部室で見た時は二つのビンに分かれていたが、混ぜ合わせても量としては五〇〇ミリリットルあるかないか。何が増えたんだ……?

 いや、それよりも肝心なのは中身。僕は細心の注意を払ってキャップを緩めた。


「ぎゃぴぃー! 息を止めるからちょっと待つぴよ! すぴゅぅー……」


「この破壊力を体感すれば有珠杵も希望を持つはずだ。慎重に嗅いでくれよ」


 生命活動に支障が出ない距離を測り、爆弾を扱うようにキャップを開ける。さあとくと味わえ、人類史最強の聖水の芳香を!


「…………これがどうしたの?」


 なん……だと?

 目に見えて匂いを嗅いでいるのに、平然としていやがる……そんな馬鹿な。もしかしてこの液体じゃないのか? 僕は危険を冒して鼻を寄せ、細く息を吸う。


 …………。


「におい、しないぴよね」


 同じくおかしいと感じたのか、肩まで降りてきたピヨも首をかしげる。かつて僕たちを地獄の底に叩きこんだ猛臭が、その片鱗すらない。僕は路希先輩に声をかけた。


「どうしたんだ? この時間は予約を入れてあるから誰も来ないぞ。それと、使用後の魔方陣を掃除する道具は準備してあるから心配するな」


「ぴぅぅ……気配りはできる子なのに努力の方向性が……」


 残念そうに涙ぐむ気持ちは分かるが、聞きたいのはそこじゃない。


「これ聖水ですよね? 以前の臭気はどこにいったんですか?」


「くぁかか。よくぞ聞いてくれた!」


 チョークを置いて立ち上がると、肩掛けケープを翻し、僕に向かってフレミング左手の法則みたいな指を突き出す。


「それこそ至高にして究極! 二種類のベースを合成し、さらに神聖な素材を加え、なんやかんや改良した結果、異臭を消し去ることに成功したのだ!」


「「「なんやかんや⁉」ぴよ⁉」って何……?」


 満場一致で引っかかる。いや、問題は言葉のチョイスじゃない。


「なんで消しちゃったんですか! あれこそ聖水の神髄、兵器たる所以だったのに……ピヨにも効果抜群だったじゃないですか」


 その時はピヨを悪霊扱いしていたので、聖水の臭気で苦しむ=有珠杵の悪霊にも効果ありと推測していた。

 あんなに大騒ぎしたのに、路希先輩はきょとんとしている。


「いや、私はピヨのリアクションを確認できないし。臭いにやられているなんてひと言も言っていなかったじゃないか」


 ………………言ってない。ピヨにも嗅ぎ取れることや、効果が抜群ですと伝えたことは覚えている。けれど、「ピヨが聖水の臭気でやられている」とは言わなかった。だから路希先輩は、聖水の神聖な力が効いていると受け取る。

 すっかり伝わっている気でいた……完全なる認識違い! ケアレスミス!


「せっかくの切り札が……得体の知れないなんだか嫌な水に……」


 僕は得体の知れないなんだか嫌な水の重さに耐えきれずひざを折る。吹きかかるため息に見上げれば、道端に落ちている生ごみに対する目つきの有珠杵がいた。

 

「別に期待していなかったから。騙された方が悪いと反省しているわ」


「早とちりするな。僕はまだ嘘つきになっていない」


「ごっこ遊びで何を変えられるというの?」


 ざらついた言葉は路希先輩には聞こえていない。夢中で魔方陣を描いていた。

 聖水が無力化した今、解呪儀式に結果を求めることはできない。正直なところ、想定内ではある。

 

「信じろって言ったろ。もう我慢しなくても良くなる」


「私がいつ、何を我慢したのよ」


 僕から視線を外す。心当たりがありますと言っているようなものだぞ。

 苦しみぬいた月日を証明する一滴の涙を、僕は忘れない。


「ユートもピヨもがんばるから、今度は叩いちゃだめぴよ」


 気がつけば、いま立っているのは先週、有珠杵にペットボトルで殴られて沈んだ地点。口の中に苦みが広がる。


 あの時と違い、僕は有珠杵の本心を知った。もう泣かせない。

 因縁の終末処理場の戦いで、忌々しい呪いを終わらせる。


「期待はしない……でも、幸運のお守りの効果は信じてもいいわ」


 贈り物、気に入ってくれたんだな。じゃあ幸運を顕現させるために頑張らねば。

 僕はやる気をみせるようにブレザーを脱ぐと、頭をぺちぺちと叩かれる。


「ピヨはひとつ気になることがあるぴよ」


 指示された通りに手を出すと、よいぴょと降りてきたピヨが、よちよちと歩いて僕の手の甲までやってきた。ピヨが正面に見据えるのは、ここまでのやりとりに一切興味を持たないワニの鼻先。


「ワニ、お前は嘘を崇め奉るように執着しているぴよが……その割に、嘘をついたところを見たことないぴよ」


 ワニは顔色一つ変えない。おいおい……大丈夫か?


「軽々しくつかないほど嘘が大事ぴよ? それとも、実は嘘がすっごくへたっぴだから言わないぴよ?」


 固そうな瞼が持ち上がり、ワニの瞳孔が一瞬だけ開いた。


「すぐにばれる嘘なんて可愛くて、微笑ましく許しちゃうぴよ。そう考えると、お前は嘘をつきたくてもつけない、哀れな爬虫類ぴよね」


 濁ったポイズンイエローの瞳を小さな体のピヨに向け、鼻先を僕の手へとにじり寄せる。吹きかかる息遣いが生暖かい。

 震えるな。自分の右腕に念じる。


「ぴぴぴ、ってことは嘘がヘタだから、嘘は必要ないとか言っているぴよね~。なら隠さなくてもいいように、ピヨがみんなに教えてあげるぴよ」


 小っちゃな翼を大きく広げ、声高らかに叫んだ。


「自分は嘘がへたっぴでーす、嘘をつく才能がありませーんっぴよ!」


「調子に乗るなよ雛鳥ィィィッ!」


 怒号とともに牙を剥き出し、僕の右腕に食らいつかんと大口を開けた。

 折り重なった二枚の舌、その片方が口先とともに突き出る。


 ——ずいぶんと安い挑発にかかったな!


「ユート!」


 ピヨの合図よりも早く、僕はワニの口へ腕を突っ込んだ。

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