12 うちにそんなお金はありません

 公園では見つけられなかったので孔雀荘の敷地かと来てみたが、こちらにも依緒の姿はない。


「これでいそうな場所は全部探したな」


「たった二か所ぴよ。別の場所にいたらどうするぴよ?」


「そんなこと言い出したらキリがない。公園とアパート以外じゃ出くわしていないんだから他に心当たりもないし。結論、僕はからかわれていたってこと」


 もっとも可能性の高い未来が訪れた。ま、妥当なところだな。


 修繕中の部屋を前に昨日のことを思い出す。年下とあんなにしゃべったのは初めてかもしれない。中学一年生に主導権を握られっぱなしだったのは高校二年生として情けない。今後は年下にも毅然とした態度で接しよう。いい人生経験になった。


「昼ご飯は二日続けてドーナツか」


 正午にはまだ早いが、ずっとぶら下げていてもしょうがない。早めの昼食にして、午後は地下鉄の駅近くで部屋を探してみよう。


「ユート、もしかしてちょっと残念ぴよ?」


「そうだなあ。どうせならご飯ものやラーメンが食べたかった」


「お昼ごはんの話じゃないぴよ。ちゃんとお話ししたかったんじゃないぴよ?」


 ああ、依緒の話ね。


「ああいう明るく振舞う子に限って、事情を抱えているものぴよ。ピヨははっきりしたところが聞きたかったぴよ」


「お前はひよこのくせに心配性だな」


「ひよこと心配性は関係ないぴよ。ユートは心配性のひよこを見たことあるぴよ?」


 僕が頭の上を指さすと、頭皮をぺちりとはたかれた。なんでだ。


「仮にあいつに事情があったとしても、僕らが首を突っ込める立場でもないし、理由もない。せいぜい話を聞くくらいが関の山ってところだったけど……なんにせよいないんだから、ここまでだ」


「うぴぃ……そうぴよね」


 しょげた声を出して静かになる。お前が気にしていたら僕だって区切りがつけられないんだぞ。だからこれ以上引っ張られないでくれ。


「さて、ドーナツ食べたら隣の駅に移動するぞ。あ、飲み物ないな。先にコンビニに寄るか——」


「なんじゃ坊主。今日も来とったのか」


 公園に戻ろうとすると、アパートの角から筆村さんが現れた。黄色い蝶ネクタイは相変わらず。手にはデパートの紙袋を下げている。


「話し声が聞こえたと思ったらお前さんだったか。誰か他におるのか?」


「いえっ、電話です。電話していて」


 ピヨとの会話をカムフラージュするためのイヤホンを外す。危ない、つけっぱなしで良かった。


「こんなところで何してるんじゃ」


 目元に刻まれたしわが一層深くなる。住人以外が敷地にいたら疑って当然だ。とりあえずそれっぽい理由を述べる。


「近くに来たついでに、もう一度見たいなと思いまして。筆村さんは?」


「大家が貸家かしやを見に来るのは当然じゃ。ほれ、こういう不要物を捨てたりな」


 ドアの投函口に挟まれていたチラシを抜くと、手持ちの紙袋に放り込む。


「ったく、チラシ不要の文字も読めん学のない奴が多くて困る」


「本当ですね、真面目に勉強しなきゃ駄目ですよねー……じゃあ僕はこれで」


「ほれ、入れ。どこの部屋も中は変わらんから心配いらん」


 自然な流れで退散しようと思ったが健闘虚しく、筆村さんはドアを開けて僕の入室を待っている。

 別のいいわけにしておけばよかった。断って機嫌を損ねるのも怖いよなあ。


「住む可能性を考えれば、大家と良好な関係を保っておくのは大切ぴよね。急ぎの用もないし、好意として受け取っておくぴよ」


 貴重な契約確定物件だもんな、大事をとるか。

 しぶしぶ——という雰囲気は出さないけれど——部屋に入る。


 どの部屋も間取りは同じと言っていたが、本当にそのままだった。違うのは窓の景色くらいなので、見学の意味がない。


「自由に見てくれて構わん。どっこいせ……と」


「? フデムラが畳の上に置いたのは何ぴよ?」


 ピヨが関心を示したのは、筆村さんが紙袋から取り出した中身。黒い円盤のようなもので、上部のスイッチを押すと、モーター音とともにゆっくりと滑り出し始めた。


「もっ、もぴかして自動で床の掃除をしてくれる噂のロボット掃除機ぴよか! 実物を初めて見たぴよ!」


 そういえばこいつは機械の知識だけ薄いんだっけ。家にはなかったけれど、別に珍しいものでもない。


「あれで吸い取っているなんてすごいぴよね! センサーとかで動いているぴよかね! 電気代はどれくらいかかるぴよ⁉」


 うるさいなあ……興奮しすぎだろ。


「便利な道具は使ってこそ。テクノロジー様様じゃ。ぶつかっても怪我はせんから気にせず歩け」


 再びどっこらしょ、と台所の戸棚を背もたれに腰を下ろす。定期的に掃除しに来ているようだ。


「今日は姉さんと一緒じゃないのか?」


「あ……っと」

 昨日の設定を思い返す。

「僕一人です。用事のついでに立ち寄ったもので」


 住むならこの先も姉が居続けることになるのか……面倒な設定だ。

 さらに質問されたら困るなと身構えたが、筆村さんは「そうか」とつぶやき黙ってしまった。ロボット掃除機が壁にコツンと当たり向きを変える。


「学校は楽しいか」


 きっかけもなく別の話題が振られる。


「ほどほど、です」


「勉強できるに越したことはない。真面目に通え」


 また沈黙。なんとなくぎこちない空気が流れる。

 な、なんか気まずい……僕からも何か話題を出した方がいいのだろうか。いや、出さないとこの雰囲気は打破できない。


「ぼーっと突っ立っているなら座っとけ」


「あ、それじゃあ、失礼します……」


 ぎこちなく筆村さんの隣に座らせてもらう。見学もしないとなると、何のためにここにいるのか。


「すごいぴよー……前についている羽みたいなのが小っちゃいお手てみたいにちょこちょこ動いて、かわいい生き物みたいぴよ。欲しいぴよー」


 うちにそんなお金はありません。ピヨはまだロボット掃除機にご執心だ。


「どうして第二孔雀荘って名前なんですか?」


 特に気になっていたわけじゃないが、間を埋めるために聞いてみる。


「ふたつ目に建てたアパートだから第二。孔雀ってのは富や繁栄とか、人気をもたらすを縁起の良い鳥らしい。そこにあやかって名付けた、と聞いた」


「筆村さんが名付けたんじゃないんですか?」


「わしは譲り受けただけじゃ。もう十五、六年くらい前になる」


 ということは、建物はそれ以上の築年数ということになる。外観通り、歴史のあるアパートらしい。


「手入れはしておるが、周りに新しいアパートが増えるとどうしても見てくれが劣ってくる。おかげで幽霊屋敷と騒ぎ立てるやからもいて腹立たしいわい」


 まさに昨日はしゃいでいたうちの先輩あねがその輩です。大変申し訳ありません……。


「建て替えろだの取り壊せだのうるさいが、わしの土地をどう使おうがわしの自由。文句を言われる筋合いはない」


「そうですよね。外見に比べて中は全然ボロくないですし……あっ」


 失言に口を閉じて表情をうかがうが、石のような顔つきに変化はない。気に障ったわけじゃないのか……? 顔色がうかがえないのはどうにも喋りにくくて困る。


「この辺りは暮らしやすそうか」


「は、はい。地下鉄の駅周辺はいろいろな店があるので便利ですね。でも公園近くの交番の人が言ってました。この辺は事件や事故で物騒だって」


「ふん、どうせ国前くにさきあたりに吹き込まれたんじゃろて」


 だれ? 初めて聞く名前にきょとんとしてしまう。


「あそこの交番にいる食えん顔のおまわりじゃ……まあええ」


 節くれだった指で綿毛のような顎髭を撫でる。


「開発で幹線道路が通ってから公園の一帯は車が増えた。ここらは子供が多いから、交通事故の可能性も高い……だがそれを知っていながら危機管理体制は低いまま。相応の安全を伴わない発展は不幸を生むことを、御上はまるで分かっておらん」


 吐き捨てるような言葉の中にいきどおりが詰まっている。 


「それで子供に注意するように交差点で言っていたんですね」


「……別に特別なことはしとらん。車に気をつけん子供も悪い」


 いや、昨日見た子供たちは青信号で渡っていましたよ。他に気をつけようもないし、怒鳴って注意する違反は何もしていなかったでしょうに。


「命を失ってからじゃ遅い。坊主も気をつけろ」


「はい……」


 ロボット掃除機が合図を鳴らして停止する。


「終わったぴよー。安全運転でお利口さんな機械ぴよ」



 掃除も終わったということで部屋を出る。結局雑談しただけだ。


「住むと決めずとも、また見たくなったら連絡しろ」


「ありがとうございます。でも連絡先を知らなくて」


「姉さんから聞いておらんのか。なら教えておく」


 促されて電話番号を交換する。僕よりもはるかに手慣れた指さばきも驚いたが、持っている機種が最新型だったり、SNSアプリのIDも教えてくれたことだ。


 若い奴らは電話が鬱陶うっとうしいと思っとるんじゃろ? という気遣いがあってのことだが、そんなことはないし、むしろ筆村さんくらいの年齢でスマートフォンを十二分に活用していることが驚きだ。


「昨今のおじいちゃんはみんなハイテクに詳しいぴよ?」


 うーん。世の平均は知らないけれど、老人=機械にうといというイメージは偏見かもしれない。自宅にロボット掃除機なんて当たり前なのかも。


「わしは他の部屋の掃除に行くが、坊主はどうする」


「十分に見学したので、帰ろうと思います」


 これでようやく解放だ。お腹も空いたし、公園に戻ってドーナツを食べよう。心残りもない……。


「どうした」


 筆村さんが、なんとなく隣の部屋を見ていた僕の視線を捕まえる。


「わしが来た時もあの部屋を見ていたな。何が気になる?」


「いえ、気になるってほどでもないんですけど」


 なんでだろう、なーんか目が行ってしまう。

 修繕とは何を直しているのだろう。前の住人によるものであれば、つい最近まで住んでいたってことなのか。


「坊主」

 室内で話していたよりもひそめた声。

「このアパートに住むなら他の部屋は気にするな」


「それは、どういう……?」


 質問する僕に背を向ける。


「いや……こんな古臭い家より、今時の家の方が暮らしやすい。ただそれだけじゃ」


 筆村さんは鉄階段を上がって二階の部屋に入ってしまった。

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