15 悪魔の声(2)
「今後は結晶に憑りついた悪霊のことを『ファントム』と呼ぶことにする!」
決まったな。そんな路希先輩の心の声が、ドヤ顔にこれでもかと現れていた。僕もピヨもあっけにとられているが、先輩もポーズをとったまま動かない。これは僕がコメントしないと進まない状態? なんと過酷な役回りか。
「あの……それって英語にしただけじゃ」
「違うぞ」
僕に見せている手のひらを自分の眼前に持っていくと、人差し指を残して折りたたむ。なんだろうこのポーズは。
「悪霊は英語でイービルスピリット。ファントムも幽霊という意味では同じ括りだが、他に幻影という意味がある」
新しいカタカナ言葉が出たタイミングで中指が立つ。
「正体不明、実体不明の不確定な存在にふさわしい呼び名だろう?」
「僕はゴーストの方が的確な気がします。悪いことをする存在って感じがして」
「まあ理解はできるが、意味としては主に人間の魂を指す言葉だ。また動物の霊体ならばそぐわない。他にもスペクターやレイスなどの候補もあったが、前者は恐怖心をあおる過去の霊、後者は生霊を指すのでこれも違う。だからファントムだ」
たしかにゴーストという言葉から想像するのは、人型の幽霊が白い布を被っている姿だ。おそらく今までプレイしてきたゲームや漫画に印象づけられたのだろう。
だからと言ってファントムにしても、怪しい人というイメージがある。
しっくりこない僕に、路希先輩は開いた五本指の隙間から不敵な笑みをこぼす。
「さらにこの言葉にはギリシャ語で『見えてくるもの』という意味を持つ。これから存在を解き明かして行こうとする私たちの気概を込めたつもりだ。どうだね?」
どうだと言われても。正直どれでもいい。
「楽しそうなロキを見ていると、無下にできないぴよね」
「えっと、僕もピヨも異議なしです」
オブラートに包んで賛成を伝えると、路希先輩はとても満足したように頷いた。
「我ながら良いネーミングだ……と、話が逸れてしまったな。大家から空き部屋についての話は聞いていないのか?」
「特にこれと言って。あんまり触れてほしくなさそうな口ぶりではありましたね」
実のところ僕の考えすぎで、単純に隣人とのトラブルを避けてほしいだけかもしれない。以前、大きな騒ぎが起こったから釘を刺したとか。もしかして修繕もそれが原因なのかも。そういう意味で、あまり触れてほしくない話題とも取れる。
「あと話した内容といえば、孔雀荘の由来とか雑談ばっかりでした」
「由来? それは聞かせてほしいな」
なんのことはない、縁起を担いで名付けたことを話すと、路希先輩は少しがっかりした表情を見せた。
「そっちの意味だったか。てっきりギリシャ神話からなぞらえたと思ったのだが」
「そういう話があるんですか?」
「孔雀には害をなす存在が近づかないよう監視してくれる、守護に関わる逸話があるんだ。孔雀の羽が『何か』に似ていると思わないか?」
「……まず思い浮かべるのが難しいですね」
言われて容易に想像できるほど身近な動物じゃない。鳥の種類を上げていけと言われたら十四番目くらいにやっと出てくるくらいか。そのイメージも「羽の派手な鳥」という一言に集約される。体なんてほぼ思い出せない。
やはり実物を確認するのが一番。スマートフォンで検索して画像を出した。
どの写真も、真っ青な胴体の何倍にも広がる
「こうして見ると、孔雀の羽ってなんだか怖いですね。模様に見つめられているような気がして……あ、もしかして」
「そう。人間の『眼』に似ているんだ」
言われて、思わず鏡に映る自分の両目を観察する。もちろん羽の模様は色も形も、人間とはまるで異なるが、じっと見ているとなぜかそう思えてくるから不思議だ。
「ギリシャ神話にアルゴスという巨人が登場する。全身に百の眼を持ち、それぞれが交代で眠るため、二十四時間、三百六十度を常に周囲を見張ることができたそうだ」
だがあるとき彼は眠ってしまった隙をついて殺されてしまう。見張りを命じた女神はその目のひとつを拾い上げ、お気に入りの孔雀の羽に飾りつけた……という物語があるらしい。
「そこから、アパートを害悪から護るという意味で名付けたと思っていた。たしかに幸運や人気の象徴でもあるし、家を貸す側なら繁盛を願うに決まっているな」
「ロキは神話にも詳しいぴよ。昔はどの民族も信仰の基礎とされていたし、探検家を目指すには必要な知識かもしれないぴよね」
将来の進路について聞いたことがあった。ここまでしっかり話せるとなると、ちゃんと調べたのだろう。僕もファンタジーに関する本は図書館で読んだけれど、元ネタを知らないものは多い。図書館でその辺の文献を読むのは面白いかも。
「大家の情報も期待できないとなると、あとは優斗が言っていた記憶喪失の中学生を当たるしかないな。私もぜひ会いたいが、今日のこの時間にいるかどうか―—」
言葉をさえぎるように路希先輩のスマートフォンが通知音を鳴らす。
「…………」
水を差されたことを不服に感じながら画面を見た表情がゆっくりと濁り、落胆へと変化した。
「優斗、すまない。どうしても外せない用事が入ってしまった……くぅぅ、行きたかった……行きたかったあぁ……!」
「そんな悔しがるほど? いや、結晶は僕個人の問題なので、相談に乗っていただいただけでもありがたかったです」
「恋振も今日は習い事があると返信があった。次は行けるように調整するらしい」
「そこまでして来る必要ないのに。僕からも気にするなって送っておきます……って、なんですか先輩」
目じりを重たくしたような表情でため息をつくと、無常を思うように明後日の方を見る。
「いやな、つくづく難儀な一方通行だなと憐れんでしまった。もしかしてピヨも似たようなことを感じているんじゃないのか?」
「ほんとたびたび思うぴよ。悪いところではないぴよが、もうちょっと周りに目を向けて青春を謳歌して欲しいぴよねぇ」
また僕に分からないことで通じ合う。そしてどっちも教えてくれない。
一体どういうことなのか、有珠杵に会ったときに直接聞いてみよう。
玄関で外靴に履き替えながら、この後の行動について考える。
まずは孔雀荘に行って結晶の気配―—ファントムだったか、それがいるかどうか確かめよう。できれば部屋に入りたい、だから筆村さんからどうにかして許可をもらう方法を考えないと。変な別れ方をした依緒も気になる。やることが多いな。
あれこれ考えを巡らせながら学校を出たところで声をかけられた。
それはどこかで聞いたことのあるような、思い出したくないような悪魔の声。
「よう、ごぶさたじゃあないか。大将」
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