14 ここにきてとんでもない二択

 有珠杵うすきね恋振こふれ

 それが箱庭で出会った、鰐を背負う女子の名前。


 テーブルの上に置かれたスマートフォンには、教室机に向かい、どこか陰のある表情で教科書に目を通す有珠杵が映し出されている。休み時間の風景だろうか。


「二年三組に在籍する生徒でちょっとした有名人らしい。同じ学年として話を聞いたことはないか?」


 路希先輩の問いかけに僕は首を横に振る。


「他のクラスのことはあまり知らなくて」


 オブラートに包んだ中身は無関心。四部屋も離れた教室なんて、地球の裏側と同じくらいの距離感がある。


「私が会ったのは一度だけ。彼女がこの部屋を訪れたときだ、先月の中ごろだったと思う」


 ということは春休み前、まだ一年生のときか。


「オカルトに詳しい人間がいると聞きつけて、部室の扉を叩いたらしい。初対面の挨拶もそこそこに訊ねられたよ。『背中に何が“いる”?』と。質問の意図がくみ取れなかったので見た通り、何もいないと答えた」


「え?」


 頭の中に回想の描写が浮かばない。

 有珠杵の背中に何がいるかと問われれば、誰だって鰐と答えるだろう。圧倒的な存在感、黒鉄のような塊は彼女の細身じゃ隠せない、見えないはずがない。というか校内で背負うのは、いよいよ大問題じゃないのか。


「『期待はしていなかった』そうつぶやいた彼女には落胆の色がうかがえた。話が見えないので正解を要求したら、真剣にこう答えたよ」


 鰐に取り憑かれたの。

 冗談の類には聞こえなかったという。

 軽く握った手を口元に置く。探偵が推理するようなしぐさだ。


「オカルトに詳しい私を尋ね、見えない存在に取り憑かれたと話す。これが悪霊でなければ一体なんだ?」


 路希先輩の推論に、僕は声なき声を漏らす。

 あの鰐が悪霊……ピヨと同じ存在?


「詳しく話を聞きたいと申し出たが『何も出来なければ頼る理由はない』と言い捨てて部室を去った。それきりだ」


 魔女は濁っていないガラスの瓶に手を置く。伏せた目は透明な液体の向こうに古い記憶を見ているようだ。


「探求心を煽られた私は、彼女が在籍するクラスを調べて会いに行った。しかしタイミングが悪く捕まえることができない。ならば向こうから興味を持つようにと文献を漁り、悪霊を祓う聖水の作成に取り掛かった」


 持ち上げたガラスの瓶が、僕と路希先輩の間に掲げられる。向こう側の風景は歪みぼやけて見えるが、同時に幻想的な世界を映す。

 僕の存在を知る前から聖水を作っていたのは、有珠杵のためだったのか。


「着手して数週間後、今度はひよこに取り憑かれた後輩——優斗が現れた。僥倖ぎょうこうとしか考えられなかったよ。変な生徒が来たと興味本位で動画を録って本当に良かった」


「興味本位だったんですね……」


 変な生徒だなんて、トイレで聖水を作る生徒に言われたくない。


「さらに優斗が彼女と接触し、ワニを認識できたことで強く確信した。取り憑かれた者は他者の悪霊を知覚できる。ここから二人の置かれた立場や悪霊の性質は同じ、もしくはとても近しいと推測できる。聖水が優斗の悪霊に効果を発揮すれば、有珠杵恋振にも適応される……くぁかか、いま私は尋常じゃない興奮に震えている!」


 勝手にどんどんテンションを上げていく路希先輩を尻目に、ピヨは頷くように首を振る。


「いろいろ納得がいったぴよ。トイレでユートの嘘に喰いついたことも、ロキが呪いを解くと明言したのも、先にワニの話を聞いていたからぴよね」


 校内で話題に上がらないのも普通の人には見えないから。いくら連れまわしても問題視されないわけだ。


 そして、僕が路希先輩に見染められた理由。


「つまり僕は、実験台としてスカウトされた」


 話を聞いて頭のもやが晴れた。得心した僕に路希先輩は意外そうな表情を向ける。


「私が言える立場じゃないが……怒らないのか? 君の境遇を利用する形に、結果的に騙していたと言ってもいい」


「僕は騙されたとは思っていません」


 経緯を知った今も憤りはまったくないし、利用されていたとしても望みが叶えばそれでいい。


「先輩の目的に僕が一枚かんだとも言えます。僕が関わることを選んだわけですから、怒る道理はありません」


 分岐点はいくつかあった。トイレの動画という強制的な要素はあったものの、僕はこの部屋にやってきて、聖水づくりの手伝いを承諾した。すべて自発的な選択だ。


 路希先輩の座るパイプ椅子の背がきぃ、と脱力した音を鳴らす。


「ふむ。優斗は見た目に寄らず大人びていると言うか、達観しているな」


「いやいやロキ、評価が高すぎぴよ」


 頭の上から物言いがつけられる。


「ユートは無頓着なだけぴよ。自分からクラスメイトに話しかけることもないし、家の汚れも気に掛けないし、服はすぐ脱ぎっぱなしにするし」


「余計なことを言うな」


 お前がぴーぴー言うからちゃんと制服はハンガーにかけているし、洗濯物はカゴの中に入れているじゃないか。今朝からティッシュとハンカチを携帯するようにもなった。


「ピヨとしてはもっと周囲に目を向けて欲しいところぴよ」


 じゃないと人生苦労するぴよ、なんて知った風に小言を浴びせてくる。ちゃんと周りと向き合っているっつーの。

 自分を取り巻く人間たち——両親やクラスメイトを見定めたから、関心を持たなくなったんだ。


 僕は怒りの沸点が高いわけじゃない。自分の意思とは無関係に、外側から絡んできて人生をひっかきまわされたり、行動を強要されれば腹立たしい。ピヨのように。


 だけど自分で選んだ行動の結果ならば別だ。


 人生における分かれ道の選択基準は「理屈に合うか」「現状にとって最良か」。その時点でベストだと考える判断を下したのだから、結果として損失を被っても許容できる。むしろ、それで腹を立てる方が理屈に合わない。責任の所在は自分にある。


 路希先輩への協力は自らが選択したこと。僕を利用していた事実を公表されても血はのぼらない。


「僕が選んだ結果なんだ……」


 歯切れの悪い言葉が漏れる。対面の魔女が、餌を見つけて喜ぶ烏のように笑う。


「私も大概だが、君もたしかにいい性格をしているな」


「楽な生き方に流されているだけです」


「それが自分自身だと認めていれば問題はない。それじゃあ私も正直に向き合うのが礼儀だな」


 路希先輩は三角帽子を脱ぎ、僕に向かって頭を下げた。滑らかなボブカットの髪が枝垂しだれる。


「事情を明かさず協力を仰ぐのは良いやり方じゃなかった。許してほしい」


「えっ? ちょ、そんな、顔を上げてください」


 今度は僕が面食らう番だった。こんな行動は今までのキャラと反する。


「初めに私の抱える内情も伝えるのが筋だったと思う。それをしなかったのは……わがままだ。探求心なんて耳障りの良い言葉で飾ったが、彼女に役に立たないと評価されたことに対する悔しさや、情けなさを払拭することだけを考えていたのが本音だ」


 次の機会なんて、あるかどうかも分からないのにな。

 薄い嘲笑が覗く。あざける対象はおそらく自身。

 てっきり路希先輩は自分の興味や目的が最優先で、周囲の都合は二の次に回す人だと思っていた。


「私は自身の求知心に正直でいたい。だがそれを満たすため、相手の意に反し、つき合わせるほどの度胸はない……なかった」


「いえ、本当に怒っていないんです。だから頭を上げてください」


 どう言えば伝わるのか分からず、しどろもどろしてしまう。

 ただ、誠実な性格だというのは十分に伝わった。


 これだけ相手に気を配れるのに、それを圧倒するのが、オカルトに対する執着なのだろう。何に変えてもこれだけは譲れないという矜持が、路希先輩の場合はオカルトなんだ。


「一方的な謝罪だが、もしも許してもらえるのなら、改めて協力をお願いできないだろうか」


「ロキはよい子ぴよね」


 下がり続ける頭を、ピヨは優しげな目で見つめている。


「心のうちなんて黙っていれば分からないのに、後ろめたい思いを素直に打ち明けて真正面から謝る……それを身勝手と捉える相手もいるかもしれないけれど、立場を顧みず相手を尊重しての謝罪に保身や打算なんてないぴよ」


 こいつ、どの立場で物を言っているんだ?


「ユートも力を貸してあげてほしいぴよ」


 僕は小さく首肯する。断る理由はない。

 約束が反故ほごになるわけじゃないし、ここまで腹を割った話をされると、むしろ協力したくなってしまう。


「僕の気持ちは変わりません。これまで通りお手伝いさせていただきます」


「……ありがとう」


 ようやく頭を上げてくれた路希先輩は少し泣きそうな笑顔を浮かべていた。許されたことを心底嬉しく感じているように見える。


「ロキの素敵な一面に心を打たれたところで、引き続き材料集めに精を出すぴよっ! 言ってくれれば北は宗谷岬から南は高那崎まで足を運ぶぴよ!」


「せめて自転車で行ける範囲にしろ」


 祓われるべき悪霊が一番やる気を見せるってどういうことなんだ。元凶なんだぞ、お前もワニも。


「でもあのワニは本物にしか見えなかったな……いや、まず受け入れないのが当たり前だよな」


 在るはずのないものが在り、さらに女子がそれを背負っているなんて簡単には飲みこめない。それでもするりと受け入れてしまったのは、僕も同じ状況にあるからだ。寛容なんて器の大きな話ではなく、単に『普通』を判断するスイッチが馬鹿になっている。なんという由々しき事態。


「ピヨはなんで同類だって気が付かなかったんだよ」


 頭上の憑き物を弾く中指が、空虚にピヨをすり抜けた。あのワニも触れることができないのだろうか。


「あんなワニ、仲間でも何でもないぴよ」

 ぷいっ、と横を向く。


「一緒だろ。お前らは普通の人には見えないし、取り憑かれた人間にしか視認できないんだから」


 取り憑かれた人間だけ……じゃあ有珠杵も逆に僕の……?


「話し中悪いが優斗、聖水が完成するまでの間に次の仕事を頼みたい」


「あっはい。今度は何を探せばいいんですか?」


「いや、材料はこちらで用立てる」


 三角帽子をかぶり直した路希先輩が、真っすぐな眼差しを僕に向ける。


「有珠杵恋振と接触して、呪いについて探ってほしい」


 なんで? という疑問が表情に出ていたのだろう、指示に対する説明が続く。


「聖水よりも確実に解呪できる方法、それは呪いをかけた相手に行為をやめさせることだ」


「そう言えば昨日も話に出てきましたね」


 呪いにかかる経緯は二つ。悪霊自体が取り憑くか、誰かの意図で取り憑かせるか。


「術者が呪うことをやめれば悪霊も消える。無論、優斗と違って相手がいればの話だが、調べてみる価値はあるだろう。それに有珠杵との接点を作っておけば、聖水が完成した時に話を持ち掛けやすい」


「でもそれは路希先輩の方が適任じゃないですか。同性ですし」


 僕だって箱庭では一方的に怒られただけだ。第一印象は最悪と言えるし、まだ近所の野良猫の方がうまくコミュニケーションできると思う。


「同学年の方が接触しやすい。それに私は用済みだと切り捨てられているよ。だけど優斗にはワニが見える。立場が同じだからこそ、共感による友好関係を築けるだろうそれに言ったじゃないか、手伝ってくれると」


「いやそれは探し物関係のことで」


「ユートに二言はないぴよっ!」


 ピヨが頭の上で小さな羽を威勢よく広げた。


「コフレの呪いの正体はこの俺様が暴くから豪華客船に乗ったつもりで任せんしゃい、って伝えるぴよ!」


「伝えねーしそんな喋り方したことないだろ!」


「思えば昼休みの出来事は邂逅かいこう……悩める女の子を救えという啓示ぴよ」


 目を瞑り天を仰ぐ。悪霊が神を感じるな。


「……あのときああしていれば良かった、なんて思ったときにはもう遅いぴよ」


 言葉は僕の耳に降りてこない。まるで自分の心に伝えているようだ。


「それともユートは困っている女の子を放っておく鬼畜人でなし高校生ぴよ?」


「人聞きが悪すぎる……!」


 散々な煽り方をしてきやがる。他人に関心がなくて何が悪いんだ。

 僕はあいつのことなんて、なんとも思っちゃいない。けれど脳裏にちらつく。


 世界の一切に期待を持たない目の、光を失った鬼灯ほおずき色。


 有珠杵のために何かがしたい。そんなことを考えているのだろうか?

 無意識に沈む『何か』を探して黙する僕を、鏡の中のピヨが見ている。


「もしもユートが人助けに勤しむなら……そうぴよね、授業中に当てられたときやテスト中にヒントくらい授けてもいいぴよ」


「えっマジっすか⁉」


 思いもよらない取引に大きな声を出してしまった。

 高校の学習内容に精通するピヨ先生の助力を得られれば、テスト中でも堂々と答えを教えてもらえるし、赤点を免れるために一夜漬けする必要はなくなる。この対価は魅力的だ。


「それと寝ている間に勉強しろーと耳元で唱えるのはやめるぴよ」


「もう実行しているのかよ! 道理で今日の夢見が悪いと思ったら!」


「ぴっぴっぴ、睡眠確保か人助けか選ぶぴよ」


 ここに来てとんでもない二択を提示してきやがった。無防備なときに嫌がらせを仕込むなんて、始末の悪い悪霊だ。

 それ以上に悔しいのは、ひよこ一匹に手のひらで転がされているという事実。生後数日の成りをしているくせに……。


 頭に天秤を思い浮かべる。考慮すべき要素を全て載せると、瞬時に片方の皿が地面につき、勢いでもう片方の皿に乗せたものがぴょーんと吹き飛び星になった。一考の余地なし。屈辱より成績だ。


「来月の中間テスト、赤点に怯えなくていいんだな」


「正直でよろしいぴよ」


「話はまとまったかい?」


 路希先輩が頬杖をついてにやにやと笑っていた。よほどピヨに踊らされている——ように見える独り芝居が滑稽だったのだろう。


「では有珠杵恋振の件、期待しているよ……くぁかかか」


「任せるぴよ。じゃあさっそく明日から行動開始ぴよーっ!」


 認識していないのに同調する二人と置いてきぼりの僕。頭が痛い。






 僕は着実に呪いに蝕まれていた。


 取り憑いた悪霊が身のすくむ怨念の塊ならば「恐怖」という正常な感情を持つことができた。


 ところがそれは愛らしいふわふわの塊。話は出来るし、悪霊らしい被害は与えてこない。恐怖とは対極にあるような存在。


 遠くにいると恐怖を感じるが、近くに迫るとそれほどでもない。


 いつか図書館で読んだ、昔の詩人が残した言葉を思い出す。僕の状況や精神状態をよく表している。


 起きながらにして夢を見ているような二日間は違和感を失念させ、飲みこませるのに十分な時間だった。人間の『慣れ』という機能が疎ましい。


 遠ざかる日常との距離を見失ってはいけないと強く心に誓う一方で、現実はお構いなしに非日常との距離を詰めていく。


 早く帰りたい……いや帰ってみせる。これまでの日常に。


 願いはいつか叶うと思っていた。




 この時までは。

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