探し続けて見つけたモノは
45 賑やかな日々(1)
眼をあける。
視界が白い。
それは光の色だと分かったけれど、景色は
微かに聞こえてくる人の存在。電子音も交じっている。
指先が布地に触れていた。布団のなかにいるらしい。
生活感のない匂い。歯医者に行ったときを思い出す。
口の中がかさかさだ。水が飲みたいな。
「起きたぴよ……?」
耳も何かで塞がれているらしく、か細い声が
「よかったぴよ……ピヨはいっぱい、いっぱい心配したぴよ」
ここはどこなんだ。
聞こうとしたけど口が開かない。
そうだ。僕は何度も何度も――――されたんだ。
「安心したから、しばらくおぴるねするぴよね……ユートもゆっくり休むぴよ……」
思い出したようにまどろみがやってきた。
意識がゆっくりと沈んでいく。
僕は入院していた。
運ばれたときはひどい怪我だったらしいが、数日で脅威の回復力を見せたらしい。ぐるぐる巻きにされていた包帯を取って鏡を見たら、いつもと変わらない平凡な顔が映っていた。深い傷ではなかったのだろう。
おかげで大きな手術は受けることはなく、数日後に退院できる運びとなった。僕としては経過をみる必要がないくらい元通りなんだけど。
一般病室に移ってもやることは変わらない。ベッドの上からぼーっと窓の外を見て過ごす。今日は日曜日らしいが、テレビもスマートフォンも見ていないので曜日感覚も失われている。
退院が三十日。残り一日で引っ越しはあわただしいが仕方ない。出来ることもないし、忙しくなるなら今はのんびりしておこう。
「いい天気だなあ」
ガラスの反射で頭の上にいるピヨが映った。僕が目を覚ましてから、一言もしゃべらず置物みたいにじーっと座っている。僕なんかよりもよっぽど疲れていたようだ。
あのあと、どうなったんだろう……。
「退屈そうね、少年」
逆方向に顔を向けると黒旗さんが立っていた。誰かが訪ねてくることも想定していなかったし、それがもう会うことはないと思っていた人だったので二重に驚く。
「どうしてここに」
「もちろんお見舞いよ。召し上がれ」
手に持っていたピンク色の箱を手渡される。開けるとふくらとした色味の良いドーナツが入っていた。
「元気そうね。正直びっくりしてるわ」
「大した怪我じゃなかったみたいです」
「……そう。それは何より」
立たせているのも申し訳ないので、僕は近くの丸椅子をすすめる。
鮮やかな藍のロングコートに身を包んだ姿は、以前よりも柔らかい雰囲気をまとっている。見るたびにコロコロと印象が変わる人だ。いくつの面を持っているのか。
「なんで僕が入院してるって知ってるんです? 誰にも連絡してないのに」
「ニュースで見たのよ。もちろん少年の名前は出てないけど、私からすれば心当たりは君だけだし」
「事件になったんだ……どうなったんですか?」
公表されている内容が聞きたかっただけなのに、黒旗さんは話しにくそうな表情を向けてくる。
「ひどい目にあったんでしょう、あの部屋で」
「気になりますから。スマホ壊れちゃったみたいで調べられないし、聞ける人もいなくて」
「まさか少年から話を振ってくるとは……見かけによらずタフね。身体も心も」
丈夫なんですよ。僕の言葉を笑って受け止め、パンツスーツの足を組み替えた。
「私たちがアパートの入り口で出くわした警察官を覚えてる? あの男が
僕は余計なことを言わずにうなずく。
「警察官――
「そういう
「性的衝動のほとんどは十二歳までの子に向けられていたそうだから
黒旗さんの話によると、国前の行為を周囲の人間は一切知らなかったらしい。よほど計画的に、上手く行っていたようだ。
「大家である
「それってアパートが壊されないように、道路拡張計画を止めたってことですよね。一体どんな方法だったんですか」
半分予測だけど、と前置きして説明を続ける。
「筆村以外に立ち退きに反対していた住人が他にもいたの。その中に国前の祖父母がいたそうよ。頑なに反対していたのは国前が誘導していた可能性があるって調べているみたい」
「じゃあ前に話していた計画の収束って」
「なんてことはない、
だからこそ国前の指示があったのかも。黒旗さんはそう読んでいるらしい。
「それからネットの掲示板にアパートに関する書き込みも見つかった。自宅のパソコンから形跡が発見されたって」
「孔雀荘に幽霊が出るってやつですか」
「あら知ってたの。ありもしない心霊現象をでっち上げて、周辺から人の目を遠ざけようとしていたみたい」
面白半分で来る人間のたまり場にならないように見回りしている。たしかそんなことを言っていた気がした。だとすれば本当の目的は、敷地内を巡回するための理由づくりってところか。
「九蔵さんの両親へ送信されたメッセージや、父親を装った連絡も国前の仕業で間違いないでしょうね。はっきりしたところは本人の供述待ちなんだけど……」
「話さないんですか?」
「いいえ。精神が著しく不安定で話が聞けないみたい。ずっとうわごとを言ってるそうよ、心ここにあらずって感じで」
僕には想像できた。あの部屋にいた国前――理性を失くしてしまった人間の姿が。
あれもファントムの仕業なのだろうか。
ファントムって一体なんなんだ? 何が目的で結晶の力を使い、人を惑わす?
「少年は知っているんでしょう」
甘い声と吐息が耳の中を撫でる。すぐそばに黒旗さんの整った顔があった。
足を動かしていないのに衣擦れの音。うごめくシーツの中で、太ももに触れるか触れないかの手が這う。
「教えてくれたら私も少年の知らないコト、いろいろ教えてあげるけど」
「話したところで僕も頭がおかしいって思われます。それに僕の中では終わったことなんで、あとは警察に任せますよ」
「思春期真っ盛りの高校生男子が全然乗ってこない……はーぁ」
軽く落ち込み気味で席に戻る黒旗さん。
「そこそこいい身体をした女が迫ってるのに。少年は本当につまらない男ね」
やけ食いするようにドーナツをかじり始めた。そんなこと言われたって、何とも思わなかったから仕方がない。
「それにしても黒旗さん詳しいですね。そんなに話題になっているんですか?」
ニュースで見たにしても情報量が多く、深い。ちょっと調べただけで分かるような内容じゃない気がする。
「興味のない素振りをしつつ距離を詰める……もしかして駆け引きしてるつもり?」
「情報源が気になっただけです」
「言ったはずよ。女の秘密は覗くものじゃないって」
ドーナツの穴の向こうから黒旗さんの視線がくぐり抜けてくる。
「とはいえ、私は少年に興味津々だけどね」
開いた手で懐から何かを取り出して僕の前に差し出した。器用な手つきで扇状に広げられたのは、六枚の白い紙。
「好きなのを一枚引いて。書かれている内容次第じゃ、また少年と『偶然』出会うかもね」
「また運試しですか」
サイコロの次はトランプ。そういえばこういう独自思想の人だった。話していると普通なのに。
諦めて右から二枚目を引くと、黒旗さんは確認もせず懐に戻して立ちあがる。
「じゃあね少年。お大事に」
あっさりと病室を出ていってしまった。まだ聞きたいことがあったんだけど……つかみどころのない人だ。
引いたカードには名前と働いている場所、連絡先が書いてあった。名刺のようだ。
「でもこれ、何の仕事か全然分かんないし」
書かれていた文字があまりにも意味不明で、そばの机に投げ置いてしまった。
どうせまた適当な冗談だろう。
『法律では解決できない怪奇現象 ご相談承り
(株)
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