01 プロローグトゥルー:罪を着せる(1)

 ボクは何も悪いことなんてしていない。悪いのは世の中だ。


 太っているだけでバカにされた。

 ボクだってかっこよく生まれたかったよ。


 話すだけで気持ち悪いと言われた。

 生まれつき舌足らずなんだ。努力したけど上手くしゃべれない。


 金持ちなら恵んでくれと理不尽を要求された。

 ボクのお金じゃないのに。


 だから部屋に閉じこもった。

 いっぱい鍵をかけて、誰も入ってこられないように。

 ボクだけの世界。誰にも迷惑をかけないこの場所には幸せがある。


 一番いい方法だったのに、今度は開けろと外の世界から文句を言われた。


 なんで? みんなが消えろって、いなくなれって言ったからそうしたのに、今度は出てこいってなんだよ……勝手ばっかり言うなよ! 心配してる奴なんているわけないだろ!


 ますます外の世界が嫌いになった。絶対にここから出ていくもんか。



 たまたまカーテンの隙間から近くの公園を眺めていたら、ブランコに座る少女と目が合った。一人だ。気のせいかと思ったけど、ずっと顔をそらさない。

 にっこり笑ったが、寂しそうな顔だ。


 次の日も。また次の日も。晴れていても雨が降っていても。

 少女は同じ時間、同じ場所に同じ格好で座っていた。


 お互いに見つめ合うだけ。声をかけてみたいと思ったけど、この顔を、体型を見れば気持ち悪いと言われるだけだ。遠目だからバレていないだけ。


 だから今のままでいい。奇妙だけど悪くない日が続く。



 いつものようにボクが窓から見下ろしていると、少女が公園を出て、どんどん家の方向に近づいてきた。こっちは帰る方向と真逆なのに。


 チャイムが鳴る。家には誰もいない。ボクは少女を世界に招き入れた。

 近くで見ると天使のように純白だった。自分の醜さが際立つ、真逆の存在。


 なんでいつも公園にいるの? 名前を聞く前に尋ねた。

 楽だから。少女は落ち着いた声で答える。


 学校はどうしたの?

 行きたくない。


 どうして来たの?

 あなたのいる場所に行ってみたかったから。


 毎日疲れた。誰もいない場所にいきたい。


 その声は切実で、否定すれば砕け散ってしまいそうなほど危うかった。


 この世界からいなくなりたい。


 少女の言葉に共感した。世界に関わることがどれだけつらいことか、ボクも知っている。


 うつろに濁る黒い水晶が僕を見つめる。懇願するような眼。

 視線が僕の中に入り込む。少女の願いを叶えろと訴えかける。

 それが正しいことか、罪になることか判断できない。


 だけど僕はそうしたいと強く思う。



 数日後。ボクは少女を閉じ込めた。

 部屋の中に作ったおりを見せると、少女はほつれた制服を脱いで、自分から格子をくぐる。床に落ちた制服が世界との決別を示していた。


 施錠の音を聞いて、少女は安心したように微笑んだ。


 狭くて居心地のいい空間とは言えないのに、少女は幸せそうだ。ボクは定期的にご飯をあげて、話をする。


 少女はいつまでも美しかった。ボクみたいな汚いものが触れるとけがしてしまいそうだ。箱にしまった宝石のように、丁寧ていねいに接する。


 ボクの部屋に自由以外のモノが増えた。それは薄暗い室内に輝きをもたらす。



 けたたましい大勢の足音が聞こえ、扉が叩かれる。

 知らない男の声がボクの世界を脅かす。


 黙っていると鍵が破壊され、同じ服を着た人間たちが雪崩れ込んできた。

 僕は床に組み伏せられ自由を奪われる。身動きの取れないボクに様々な言葉が浴びせられた。


 未成年を誘拐。無理やり家の中に引きずり込んだ。嫌がる子供を虐待し監禁。

 責め立てる声が聞こえてきた。そんな気がした。


 やっぱりこれだ。


 個人の正しさなんて意味がない。正しさは自分以外の人間が決めること。

 それが嫌でボクは元いた世界と決別したんだ。


 久しく忘れていた感覚を取り戻し、同時に作り上げた世界の消失を実感した。もうボクの居場所はどこにもない。


 別のところに行こう。

 最後に見た少女の顔は、笑っているようにも悲しんでいるようにも思えた。


 ……悔しいな。


 次は絶対に誰も入ってくることのできない、ボクだけの世界を見つけたい。そこでひっそりと、静かに暮らそう。

 どうせなら冴えないボクとは真逆の、見栄えが良くて身軽な姿になれたら最高だ。


 そんな願いを込めながら、口の中に含んでおいた薬を飲み込んだ。




 暗闇が開けると、小さな部屋の中にいた。

 天井は一面の鏡張り。そこに一羽の孔雀が映っている。


 あれは、ボク……なのか?


 感覚的に羽を開くと、鮮やかで美しい扇が後光のように広がった。

 なんて美しいのだろう。これがボクの身体なら、こんなに嬉しいことはない。


 細かな疑問はすべて吹き飛ぶ。自分の名前すらどうでもいい。

 求めていたものを手に入れたような充足感に包まれる。


 ここは、どこだ。


 薄らぼんやりとした記憶を手繰たぐると、真っ先に思い浮かんだのは天使のような少女だ。見た目は覚えているのに、他は一切思い出せない。


 たしか……一緒にいて……連れてきて……引きずり込んだ? 閉じ込めた? そんなことを言われたような……。

 曖昧に反芻はんすうする言葉に気分が悪くなってくる。ボクは考えることをやめた。


 室内に入り口らしき部分はない。どこから入ってきたのだろう。

 壁に触れると身体が透けて通り抜けた。外は暗い。


 後ろを振り返ると小さな箱が置いてあった。おもちゃの宝石箱のようだ。どうやらこの中にいたらしい。


 そばには鍵が落ちている。持ち手がクローバーのデザインになった安っぽい形。質感が似ているので、宝石箱の鍵なのだろう。羽先で触ろうとしたが通り抜けてしまい、掴むことができない。


 暗闇を少し歩き、また壁を通り抜けると急に視界が開けた。

 地面には畳が敷かれている、背後にはふすま。暗闇は押入れの中だったのか。

 古臭い部屋は物がなく殺風景で、人のいる気配はない。


 とても落ち着く。

 こんな場所を求めていた気がする。


 どこだって構わない。どこかに行く気なんてないんだから。

 ボクは部屋に住みいた。



 毎日部屋に来る老人がいる。ボクの姿は見えないようだ。

 老人は部屋の掃除だけして出ていく。この世界を大切にしているように見えた。害もないし、放っておこう。



 しばらくして男がやってきた。制服から見て警察官だ。やはりボクは見えない。

 菓子やぬいぐるみや玩具などを持ち込み、男は部屋を出ていく。住み着くわけじゃないのか。

 その日を境に、老人は掃除に来なくなった。



 警察官はたびたび、小さな女の子を連れて戻ってくる。

 部屋に用意した物を与え、別の服に着替えさせたりする。設置したビデオカメラで様子を記録しているようだ。


 再び女の子と部屋を出て、今度は一人で戻ってくる。先ほど撮影した映像を見る表情は、人間の欲望を体現しているようだ……なんだ?


 男から紫がかったもや・・が立ち昇っている。

 毒のようにも見えるが、ボクはなぜかそそられた。忘れていた食欲にも似た感覚。


 近寄って吸い込んでみると脳が震え、意識が鋭敏になる。声や翼の羽ばたきが力強い。増強剤を飲んだときみたいだ。


 それから男がもやを出すたびに食べた。取り込むたびに飾り羽はより美しい色味を放ち、長さを自在に操ることができるようになった。触らずとも蛇口をひねって水を出したり、室内灯をつけることだってできる。


 しかしいくら力をつけても、鍵と宝石箱だけは動かせなかった。

 押入れの奥よりも目につかない場所に移動させたいのに。


 老人や警察官には見えていないようなので奪われることはないが……もしも。もしも誰かに奪われたらどうしよう。根拠のない不安が襲う。


 箱の中は特別な空間だ。誰も踏み込めないボクだけの世界。あの中は落ち着く。


 万が一、箱が開けられてしまったその時は――世界の消失だ。他者が箱の中に踏み込んできたとき、ボクの願いはまた砕け散る。


 ……また?

 前にもあったのか、絶望を感じたことが?


 思い出せない。だけど箱の中はかけがえのない空間だ。失ってはいけないもの。

 何があってもボクの世界を守らなければ。

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