05 現実はハードモード

 家や学校、駅周辺の不動産屋を回りつくし、いよいよ普段は訪れることのない地区に足を伸ばすようになった。それでも言われる言葉はどこも一緒だ。


 未成年者の賃貸契約には親権者の同意が必要。

 いないのなら代わりが必要。いなければ、うちでは貸せない。


 常識的な意見だとピヨは言う。それでも探すことをめないのは、僕の意思を尊重してくれているからだと思っている。

 週に一度やってくる児童保護施設の職員を追い返す言葉は、定型句になっていた。なのに諦めずパンフレットを持ってくる。何かに突き動かされているような執念だ。


 絶対に家を見つけてやる。意地になっている部分は隠せない。

 ひとりで生きていくと決めたんだ。負けるもんか。


 決意との温度差が広がるばかりの現実にいきどおりながら、夕暮れの町を歩く。寄り添う影は真っすぐに、自転車の歯車は規則正しく音を刻む。自分だけが歪んでいる気がした。


「昨日の公園ぴよ」


 顔を上げれば、目先には見覚えのある風景。全然気がつかなかった。

 明るい空の下で見る公園は、なんというか健全だ。学校帰りの小中学生、高校生など利用者もいるし、闇夜が生む冷たさも感じない。これが本来の姿なのかも。


 特に理由もなく同じブランコに座ると、遠く正面の交番を確認してしまった。

 引き戸も窓も光が反射して中は見えない。手前の道路には車が左右からひっきりなしに通過している。昨日の警察官がいるかどうかは分からない。


 いたとしても、別に悪いことしてないしな。

 気にし過ぎを振り払うように、軽くブランコをこぐ。


「今日はお家に帰るぴよ?」


「そうだなあ」


 耳にイヤホンを装着してつぶやく。これでスマートフォンを持っていれば通話しているように見えるから、ピヨとの会話も不自然じゃない。

 右手の親指で公園周囲の不動産屋を探すも見つからず、液晶画面にため息を吐きかける。


 ジャングルジムに集まる子供たちは携帯ゲームに夢中だ。制服の男女はカップルだろうか、手をつないで花壇のそばに座っている。反対側のベンチにはセーラー服の女子が三人、会話に花を咲かせていた。


「みんな楽しそうだな」


「……ユートは帰ったら何を食べるぴよ?」


「パックご飯とインスタントみそ汁だよ。毎日おんなじだろうが」


 毎日コンビニ弁当は財布に厳しいということで、スーパーの特売日に買い溜めした食品だ。ふりかけ数種類をローテーションすることで飽きないように工夫している。

 そうしろと指示したのはお前なんだから、知っていることを聞くな。


「昨日はたらこ味だったから、今日はすき焼き味にするぴよ」


「じゃあみそ汁はしじみにするか。肉と魚でバランスがいい。あ、もう少しでスーパーの値引き時間にぶつかるぞ。コロッケがあったら買ってもいいか?」


「頑張っている自分にご褒美をあげるのは大切なことぴよ。今日は特別ぴよ」


「やった、夕食が楽しみだなあ」


 ………………。


「高校生がする会話じゃない……」


 悲しみの沈黙に押しつぶされそうだった。四個入り二百六十円のコロッケ——値引き後はなら二百三十円―—が特別ってなんだよ。本気で嬉しい自分はなんだよ。

 無意識に両手が顔を覆っていた。泣いてない……夕日がまぶしいだけ……。


「お、落ち込んじゃだめぴよ! 無事引っ越しが終わったら、お祝いにちょっといいもの食べるぴよ」


「ちょっといい物って……もしかして値引きされていないから揚げとか? お祝いならお菓子とか買ってもいいか、百円以下のやつでいいから!」


「ぴぇぇぇん、ユートが不憫ふびんぴよぉぉぉぅ」


「そう思うなら財布のひもを緩めてくれよ、ったく……」


 貯金はいっぱいあるから節約なんてしなくていいだろ。

 以前、軽い気持ちでそんな発言したら、耳を引っ張られた後にうんざりするほど言い聞かされた。今まで通り使えば後で絶対に困ると。それから僕の資産運用をマネージメントするようになった。今や物品購入には財務大臣の許可がいる。


 それもこれも、先の見通しが立たないせいだ。早く部屋を見つけて、もう少し自由にお金を使いたい。


「早めに移動して、店内で時間を潰すか……ん」


 ふいにセーラー服の女子と目が合った。ベンチに座っている二人ではなく、背もたれの向こう側から覗き込むように会話をしている子とだ。

 僕はすっと目を逸らす。すれ違う人とふいに視線が合ってしまう、その程度のことだと思った。


「あの子、こっちに来るぴよ」


 ちらりと視線を戻すと、ナチュラルショートの女子が後ろ手に歩きながら、ブランコに向かって歩いてくる。周囲には誰もいないし、もちろん面識なんてない。


 その子は僕の前までやってくると、目の前で立ち止まった。


「わたしのこと、見てました?」


 にっこり笑いながら膝小僧に手を置き、僕の目線に合わせてくる。


「見てましたよね?」


 決して攻め立てる口調ではなく、怒りを笑顔のオブラートに包んでいるでもない。極めて純粋に質問しているようだ。女子はじーっと僕の顔をのぞきこむ。さっきの有珠杵とは異なる圧迫感だ。


「べ……別に」


 ブランコの柵が作る影を眺めつつ、挙動不審な返事をしてしまう。


「この格好が好きなんですか?」


「セーラー服なんて興味ないし」


 なんだか女子と喋るのが苦手な男子みたいになっているのが不本意だ。

 どうしてこんなにグイグイくるんだ。しかも僕の答えを聞いて、さらに笑顔が増している気がする。


「そっかあ。じゃあお話しましょう」


「はあ?」


 脈絡のない会話に思わずイヤホンも外れる。自分のペースで話を運ぶ女子は隣のブランコにそっと座り、両足をぱたぱたと振る。


「お兄さんの名前、なんていうんですか?」


「……仲村優斗、だけど」


「えぇーそれ困りますぅ」

 薄ピンクの唇を突き出す。

「うちのクラスに『なかむら』って苗字が三人いるから」


「知らないよ。てか偏り過ぎだろ」


 世の中に『なかむら』という苗字は多く、人偏にんべんのつかない中村の方は、ランキングトップテンに上がるほどありふれている。それでも一クラスに三人は多い。


「クラス分けで苗字に配慮するって聞いたことないぴよ」


 同姓同名でもない限り、気を配ることじゃないよな……どうでもいいことだけど。


「一人だけを『なかむら』と呼ぶのもしっくりこないので、三人とも下の名前で呼ばれています。だからお兄さんも下の名前で呼んでもいいですか?」


「だからの使い方に強引さを感じてやまないけれど、好きにしてくれ」


「じゃあ優斗さん、ですね」


 鼻の頭をく。さん付けで呼ばれるのは初めてだ。

 向こうは僕を年上だと見ているのか。見た感じ、一個下よりはもっと離れている気がする。だとすると中学生だろうか。


「君の名前は?」


「いお……だと思います。人に衣、糸をまとう者で依緒いお


「だと思う?」


「わたし、記憶喪失なんです——って言ったら、信じてくれますか?」


 話が飛躍し過ぎて思考が置き去りになった。

 からかっているのかと、ベンチに残っていた二人の女子を見ると、向こうは不思議そうに僕らを見ていた。三人で僕をおもちゃにする遊びってわけじゃなさそうだ。

 しかし、にわかには信じがたい。

 

「記憶がないってわりには、名前とかクラスのことは覚えているじゃないか」


「ところどころしか覚えてなくて」


「友達のことは分かるんだろ」


 もう一度ベンチを見ると、二人組はそそくさと荷物をまとめて公園を出ていってしまった。


「ばいばーい。あの子たちは友達じゃないよ」


「そんな親しげに手を振っておいて?」


「同じ制服だったから会話に混ざってみたけど、答えは帰ってきませんでした」


 そりゃいきなり記憶喪失になっちゃったと言われても、言葉を返しようがない。普通は冗談だと思う。依緒も見知らぬ他人によく尋ねたもんだ。


「逆に知っていることは?」


「自分の名前と……クラスに仲村君が三人いることは言われて思い出しました。あ、あと果物なら桃が好きかも。それ以外のことはさっぱりです。信じてくれました?」


「こっちもさっぱりだ」


 いつの間にかクイズ形式になっていたのはともかく、答えるにしてもほぼノーヒント。判断材料が何もない。それでよく僕が信じる可能性を見いだせるな。

 記憶喪失の人間に会うのは初めてだけれど、こんなに危機感がないものなのか? 全然困っている雰囲気もないし、むしろ現状に余裕すら持っていそうだ。


「変な子ぴよねえ。でもユートを陥れる理由は何もないぴよ、お金もないし」


 ゆすりやたかりをするような子には見えないけど……会ったばかりの相手を推し量るのは難しい。この若さで愉快犯ってわけでもないし。

 蜜柑みかん色の陽光が、僕の言葉を待つ依緒の目を輝かせる。


「……ぜんぶ鵜呑みにはできない。だけど話なら聞くよ」


 どっちつかずの答えだったが、依緒の表情は輝いた。


「真面目に聞いてくれたんですね」


「おおげさだな。それに僕は夜中にふらふら出歩くような不良だ」


 無視できないのは、記憶喪失という単語に同情シンパシーを感じてしまったから。

 依緒とは少し異なるが、僕も先月、似たような状態を体験した。記憶を取り戻したあとだから言えるが、忘れることは現実を失うのと同義だと思う。とても恐ろしくて、怖いこと。


 だから、なんか、ほっとけない。


「交番には行ったのか」


「お巡りさん、怖いから……」


 質問に依緒は小さく首を横に振る。揺れる髪に光るのは小さな金色のベル。髪留めの飾りが夕日を反射してを煌めいていた。


「気持ちは分かる。あの制服はなんか圧力があるんだよな」


 かと言って、このままでいいわけもない。


「手がかりになるような持ち物は?」


「なんにもない」


「そっか……記憶喪失から始まるゲームだってもうちょっと主人公に優しいのにな」


 やっぱり現実は厳しいハードモードってことか。


「ひとつだけ」


 依緒は僕の肩越しに向けて指をさした。


「フェンス……ブロック塀……木?」


 ブランコの後ろは緑色のネットフェンス。その奥にはブロック塀が並び、さらに木々が視界を遮るように植えられている。

 振り向いて見えたものをすべて口に出したが、依緒の言葉には当てはまらなかったようだ。人差し指の向けられた先は、遮蔽しゃへい物を突き抜ける。


「開けなきゃいけないの」


 その言葉だけは、やけに確信めいて聞こえた。

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