ぼくの頭はピヨリーナ
竹乃子椎武
第一話 ワニの涙と絶零少女《アブソリュート・バニー》
01 プロローグ:この世に『嘘』は必要だ
この世に『嘘』は必要だ。
俺はそう考えている。
嘘とは事実と異なること。間違っていること。カラスを指さして「白い」と言えば嘘になる。カラスは「黒い」からだ。
正しくない情報は他人を混乱させ、ときに不利益を与え、傷つけることがある。
社会一般でも嘘という言葉から受ける印象を、
悪は根絶すべきもの。だが嘘は世界からなくならない。
なぜか?
それは嘘が人間にとって、なくてはならないものだからだ。
俺は断言する。嘘をついたことのない人間などいないと。
……おっと「赤ん坊はどうなんだ」なんて揚げ足取りはやめてくれよ。
あくまで一般論だ。気楽に聞いてくれ。
学校では「嘘つきは泥棒の始まり」「嘘をつくと天国に行けない」と教えるが、それ自体が嘘だ。
嘘は物心つく前から身の回りに溢れている。
怪我したときにお母さんが「痛いの痛いの飛んでけー」って言ってくれただろ?
でも実際に痛みがどこかに行くわけはないし、血が止まることもない。思いやりに溢れる嘘ってやつだ。
あと半年で死ぬ人間に真実を伝えない。残りの時間を楽しく過ごしてもらいたいと考えるのは、人情のある嘘ってもんだ。
嘘は自衛手段としても有効だ。
手が空いていても将来的な面倒を
根拠も算段もないのに「任せてください」と虚勢を張る。
適当な理由をでっちあげて、飲みの誘いを断る。
すべては心と体の健康、自分の立場や良好な人間関係を守るため。
人間は仕事のために生きているのではない。生きるために仕事をするんだ。会社の成長より自分の人生。誰もがやっている。
嘘は人間社会の潤滑油。歯車を滑らかに動かすことがストレスフリーの秘訣だ。
それでも嘘は良くないと主張する奴もいる。
嘘はそれ自体が悪であり罪だ、人間は生まれながらに善なる生き物だから正直に生きるべきだと。
こういう奴らに限って性善説をはき違えている。
他人を思って嘘をつくのは善だし、自分の身を守るための嘘も善。
良い嘘ってのは自身も含めた誰かを助けるための嘘だ。人間生きてりゃどうしたって汚くなる。きれいごとだけじゃ生きていけない。
もし嘘が悪だ罪だと言うのなら、せめて自分が納得のいく嘘をつこうじゃないか。
嘘をつくことで誰かの命が救われるのなら、俺は喜んで嘘をつくね。例えそれが俺自身を傷つけ、不利益を被る嘘であってもだ。
人ひとりの命が救えるのなら、いくらだって罪を重ねてやる。「嘘も方便」ってことわざもあるじゃないか。
嘘は必要だって俺の意見、分かってくれたよな?
ここまできて俺の話を全否定するならぜひ理由を聞かせて欲しい。嘘が不必要と主張する理由を。
ああ、でも今は仕事中で身動きが取れない。またの機会にしてくれ。
俺の仕事? 平たく言えば……そうだな、相手から信用を得て金品を譲ってもらうことを生業にしている。
世間では詐欺師と呼ぶらしいが、名称なんてどうでもいい。
とにかく仕事がら嘘をつくのは日常茶飯事。
無関係な事柄を自分がやったように話したり、知らないことを知っているようにふるまうのは業務上当然の行為だ。もちろんこれは生活費を稼ぐため、俺自身が食べていくために必要な嘘。駄目と言われたら俺は飢え死にするしかない。
今回の女も俺の身の上話を聞いて、貴重であろう財産を譲ってくれた。「私なら大丈夫、あなたに使って欲しいの」とさ。いい女じゃあないか。
田舎から出てきて夢を叶えるためにこつこつ貯めた金らしい。失えば夢は遠のくが、自社が倒産寸前で首の回らない俺に同情して嘘をついたんだ。他人の思っての嘘はいつだって美しい。俺は感涙を流しそうな表情を作って受け取った。
一応補足するが自分の会社なんて持っていない。
酷い? 何がだ?
反論できるのは生まれてから一度も嘘をつかず、他人の嘘をすべて指摘し、嘘によって利益を得たり不利益を回避しなかった奴だけだ。
そんな人間いるか? いないだろ。
なら、俺の考えは間違っていない。誰もが
自分の意見が支持されると仕事に誇りが持てる。やる気と自信は脳を新品のローターの如く滑らかに回転させ、
これからもどんどん嘘をついて一生懸命働こう。
なんて決意を示してみたが、どうも貫くことは出来なさそうだ。
いま俺は、金を譲ってもらった女に首を絞められている。嘘がばれた。
首に巻き付いているのは、俺が気に入っているクロコダイル——ワニ革のベルトだろう。ベッドの上に置いてあるズボンのベルトがなくなっているし、手入れを欠かしたことのないこの上質な手触りは間違いない。
俺はワニ革を愛している。財布も靴もバッグも帽子もジャケットもワニ革。すべてが一級品だ。扱いに手間と注意は必要だが、高級感があって見栄えするし縁起もいい。なにより強くなった気がする。
子供の頃にテレビで観た力強さに取りつかれて以来、ワニは俺の憧れになった。ワニになりたいとさえ思った。
だから少しでも近づくためにワニ革の製品を身に纏い夢を実現させた。気分は最高にして最強、なんでもできる気がした。ワニ革イコール俺と言っても過言じゃない。
しかし脱いでしまえばただの人間。そこに強さは宿っていない。
こんなことなら昨日の時点で姿をくらませばよかった。「あなたのためにもっとお金を用意した」「最後に思い出を作りたい」なんて鴨がネギを背負って来るような誘いを断れるはずがない。
俺は安いホテルの一室で先にシャワーを浴びていた。やがて仕事着のままやってきた彼女を招き入れ、気を許した瞬間にこのありさまだ。
俺は女の職場の仕事着が好みだった。が、殺されるとなると、その姿は皮肉にしかならない。お前みたいな小動物は丸のみだ。汚い嘘をつかれた報復に皮を剥ぎ取った昔話もあったが……あれはサメだったか。古典の報復なら別のワニにやってくれ。
いいか、可愛い
嘘つき。あんたも嘘も必要ない。この世からいなくなれ。
鬼の形相で俺の首を絞める女の
この世に嘘は必要だ。
純水に魚を入れたら窒息死するように、嘘のない世界は人間を窒息させる。
お前だって嘘をついたことがあるだろう? 呼吸と同じように、血と同じように、嘘が生きるために不可欠なものだと認めろ。
嘘をつくことはすべての人間が持つ権利なんだよ。
テメエも今までさんざん嘘を利用して男をほだし、体を使って金をむしり取ってきたんだろ? 嘘のおかげで生きているくせに……どの口が言ってやがるッ!
言葉は女に届かず、ベルトを投げ捨てさっさと部屋から出て行ってしまった。ポリシーを否定する相手には必ず反論しなければ気が済まないんだが……クソッ。
怒りのやり場なく見下ろすと、肉食系を装った髭面の男が裸で床に転がっている。
俺はとっくに死んでいたようだ。
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