40 偽物の正義(1)

「お、押入れがない・・ぴよっ!?」


 僕たちの目の前に広がるのは一面の壁。

 古めかしい白の壁紙のどこにも、押入れがあった形跡は見当たらない。元からそんな空間など存在しなかったかのように。


「やられた……っ!」


 クジャクは室内を自在に操ることができる。なら『押入れそのものを隠す』可能性は十分に考えられた。

 「自分に都合のいい地点」で思考を完了した自分に腹が立つ。


「こ、これは……いったい……」


 驚きに震える声がもうひとつ。


「どうして……こんなことを許可した覚えはないぞっ! 答えろ国前ィ!」


 大家が国前さんの胸倉につかみかかる。

 どうして協力者である大家が取り乱しているんだ? 大家が押入れを隠すように指示したんじゃないのか?


「お前の言う通り部屋を使わせてやってるが、手を加えていいとは言っておらん! それに坊主が言っていたことは本当なのか? お前はこの部屋で何をしているんじゃ、言え、言ってみぃ!」


 唾を飛ばしながら国前さんに食ってかかる。しかし勢いに動じず、国前さんは人当たりの良い表情を浮かべたまま抵抗もしない。


「クジャク」


 警官帽のつばを下げ、口元だけを見せる。


「私と仲村君だけを『移せ』」


 つぶやきに答えるように、遠く彼方から鳴き声が聞こえた。



 まばたきした一秒にも満たない瞬間、何もなかった部屋は雑多に物が散らかる空間へと変異する。カーテンは閉め切られ昼か夜かも不明だ。

 大家の姿はどこにもない。押入れは元の位置に現れている。畳の上には毛布を掛けられ横たわる依緒。


 クジャクの支配する空間――いや、本来あるべき空間に戻ったというべきか。


「冷静なやり取りができない相手とは会話が成立しない」


 よれた制服のえりを正し、ハンカチで顔を拭きとる。


「君は頭がいい。理性的な話ができると信じているよ」


 国前さんは先ほどとまったく同じ表情を浮かべている。でも受ける印象はまるで違う。先ほどまで感じていた人のよさはどこにもない。


「さて――いつから知っていた・・・・・のかな」


 砂嵐の向こうにある景色しんじつが見えてくるようだ。僕は少しずつ目を凝らす。それはよくよく見ると断片的に知っている部分がある。 


「一週間前のあの日から……まさかもっと前からかな」


 初めに違和感を見逃したのは先週の金曜日。どこへ行くともなく公園のブランコに座っていた深夜、補導された日だ。


 国前さんは「交番からブランコに座っている僕を見つけた」と言っていた。でも声をかけてきたのは交番とは逆方向。ブランコと交番は直線上にあるから、やってくるとしたら目の前からのはず。回り込む理由もない。いくら深夜で視界が悪くても、近づく前に気がつく。


「毎日アパートや公園に来ていたね。依緒ちゃんに関する物でも探していたのかい」


 補導された翌日、依緒の手を引いて交番に行った。僕はそのとき「迷子の中学生」としか伝えていなかった。


 後日、那須なすとアパートを調べていた時に再び話題を振ってきた際、国前さんは「可愛い子なんだろうね」「気にしている女の子の名前は」と聞いてきた。


 僕からは『女子』だと一言も口に出していないのに。


「昨日ここに入ったそうだね。どうやって入ったんだい。あの女の手引きかい」


 黒旗さんに言われてアパートの入り口で見張りをしていたときにも、国前さんと話をした。あのとき依緒捜索の手掛かりとして『鍵』を探していると言われたが、それは国前さん個人の目的だったに違いない。


 思えばあの場面で『鍵』という言葉が出てきたのは不自然だった。唐突に出された情報を、なぜ僕は疑わなかったのだろう。


「ただ二度目の立ち入りは看過できない。先に手を打たせてもらったよ」


 大家さんと三人で来る前に、押入れを隠せとクジャクに指示した。だからさっき公園で待っていたときも、交番と逆方向から声をかけてきたんだ。


 補導された日と同じ状況。すべてはあのときに収束する。


 僕に電話できたのも当然だ。補導された日に個人情報を書いて渡している。番号の交換ではなく一方的に知っている立場。


 協力者は大家さんではなく、国前さんだった。


 手掛かりはすべて手の中にあったんだ。

 ひとつひとつは些細な違和感でも合わせて見れば、可能性を見出すことができたかもしれなかった。


 自責の念は大きい。だけど今は後悔している場合じゃない。


「黙っていても時間は流れないよ」

 不気味な笑顔が向けられる。

「ここでは時間なんて意味がないのだから」


 クジャクから昨日この部屋で起こったことは聞いているだろう。逃走はできないと考えるべきだ。依緒の身体の安全も保障は消えた。


「ユート、どうするぴよ?」


 選べる選択肢は一つしかない。

 ここで決着をつける。

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