40 偽物の正義(2)

「……いままで読んだ本って、結構リアリティがあったんだなと思っていました」


 悪役は勝手にしゃべる。

 国前さんは口元をほころばせ、余裕の表情だ。


「そっちがクジャクと協力しているように、こっちも独りじゃないんです」


「そーぴよ! ユートには太陽のように明るくて頼りになるピヨがついてるぴよ! ピヨたちがいる限りこの世に悪は栄えない、大人しく辞職するぴよ!」


 ピヨが強気の挑発をしているあいだ、僕は相手の視線を観察する。

 黒目は上を向かない。やはり国前さんはピヨを認識できないようだ。ならば余計な情報を与えない方がいい。


「依緒を手にかけたのはあなた、ですか」


 聞かずにはいられない。唯一、真実を知る人間が目の前にいるのだから。


「……あれは事故だった」


 国前さんは素足を片方だけさらす依緒にあわれみの目を向ける。


「公園のブランコに一人の少女が座っていた。この辺りは物騒だ、保護しなければならない。私は声をかけた。聞けば少女は家出をしてきて帰りたくないらしい。思春期ならではの悩みだ」


 子どもの気持ちを大人として、無下にはできるはずがない。

 そう言いながら自身の胸へと手を当てる姿に陶酔とうすいを感じた。


「本来なら交番へ連れて行くべきだが、巡回や通報があった際には一人にせざるを得ない。だから私は近場で使っているアパートへと案内した。休むにあたって大事な制服がしわになるといけない、そう思って着替えを進めたのだが……自分じゃ脱ぎたくなかったようでね。私が手伝おうと近づいたら勝手に足を滑らせてしまったんだ」


 自分に都合のいい話し方をしているとしか思えない。


「無理やり服を脱がせようとしたに決まってるぴよ。最低のクズぴよ!」


「……なんでこの部屋を借りたんだ」


 一〇二号室とこの男の関連性こそ、一番の謎だ。


「正義を守る仕事は不規則でね、悪がはびこると家に帰れないことも多々あるんだ。そんなときに仮眠を取る場所として使っている」


「大家さんはいつも『この部屋には誰も住んでない』と言っていた」


「まったく正しい。なにひとつ間違っていない。間違っているのは仲村君だ」


 言葉を紡ぐことを楽しむように語る。


「仲村君は『私が第二孔雀荘を借りている』と言っていたけれど、休憩スペースとして提供してもらっているだけだ。賃貸契約は交わしていない」


「なんで、そんなことに……」


 大家さんとクジャクは無関係。そして国前さんを擁護するように、二〇一号室の真実を隠していた。思いつく理由なんてひとつしかない。


「弱みを握って脅迫していた」


「ははは、何をいってるんだい! それじゃ私が悪者みたいじゃないか!」


 大げさなくらいに笑い飛ばす。

 どうにも芝居がかっている。


「筆村さんからの温情だよ、僕の厚意に対する」


「厚意だって?」


「このアパートをずいぶん大事にしているようでね」


 妻との思い出が詰まっている。本人から直接聞いた。


「ただ地域住民からは不気味がられ、早く取り壊せと責め立てられている。何も悪いことをしていないのにひどい話だろう? だから私が周囲を説得して守ってあげているんだ。そのお礼だよ」


「どうせ見返りに貸せと圧力をかけたに決まってるぴよ」


「みんな私の言葉を正しいと思ったから、現状は維持されている。このアパートが存続できているのは私の正しさのおかげだ。間違いという悪を潰せるのが正義だよ」


 言葉を交わすうちにこの男の態度がよく理解できた。

 この人は「自分が絶対に正しいこと」を前提に話をしている。すべてにおいて優先される。自分と異なる意見を唱える他人は正しくない、上から目線で相手にしない。


 これが本性。日常では見せない本来の国前。


「……じゃあなぜこの部屋なんですか?」


「ぅん?」


 国前さんが器用に片方だけ眉を上げる。


「大家さんを脅してまで休憩する部屋を確保したかったんですよね。だったら、もっと住み心地のいい部屋を借りればよかった」


 脅迫して金銭を得るのならまだしも、条件としてこんな六畳一間を借りるのは腑に落ちない。というか割に合わない。

 あらかじめクジャクの存在を知っていたなら説明はつくが。


「ここが最適なんだよ。公園のそばで人が近寄らず、目立たない。子供を保護するには最適な場所だ」


 そういえば以前、迷子の女の子に声をかけて手を引く場面を見かけた。

 あのあとどこへ行った?

 公園の周りをまわって、交番を通り過ぎて……。


「依緒だけじゃないのか」


「私は正義を行う者だ。困っている子供がいたら等しく手を差し伸べる。だけどね、依緒ちゃんは特別だった」


 眠るように伏している依緒のそばに片膝をつき、手を掴む。


けがれのない純粋な瞳、疑うことを知らない純粋な笑顔、もっと話をしたかった……その姿を残したかった」


 依緒の背中に手を回し、繊細な人形を触るようにゆっくりと上体を起こす。首もとへ顔を寄せると深く鼻から息を吸った。


「はぁ……害毒に汚染されていない、ありのままの匂いだ……私の求めていた理想の女性」


「やめろ」


 国前さんの手は太ももを滑るようにつま先へと降り、足の指に五指を絡ませる。

 その光景に言いようのない悪寒と、吐き気と、怒りが一度に全身を駆け巡った。


「触るなッッ!」


 一秒でも早く引きはがさなければ。

 しかし伸ばした腕は、突然目の前に現れた壁によってはじかれる。

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