10 虚構の世界に憧れるほど現実が色濃く見える

「長い一日だったあ」


 コンビニエンスストアの袋をテーブルの上に置き、僕はソファに体を沈める。


「ブレザーを着たまま寝ころんだらシワになっちゃうぴよ」


「アイロンできれいになるって。僕はやらないけれど」


「お母さんの苦労も考えるぴよ。型崩れしちゃうからハンガーに吊るすぴよ」


「へいへい。先にご飯食べてからな」


 脱いだ上着をソファの背もたれにかけて、テーブルに手を伸ばす。袋の中から弁当を取り出してふたを開けると、熱気とから揚げの香りが立ちのぼる。


「育ちざかりはもっと栄養のある食事を摂るべきぴよ」


「じゃあ明日は別のコンビニ弁当にする」


 週ごとに新商品が出ると言っても過言ではないコンビニ弁当は、バリエーションも豊富で飽きがこない。だけどやっぱり定番品に手を伸ばしてしまう。このから揚げ弁当なんて毎日でも食べられる。

 咀嚼すると、鶏の旨みを凝縮した油がじゅわりと舌を包む。うーん、ジューシー。


「そういやピヨはご飯とか食べないのか?」


 霊的存在は炭水化物なんて摂らないだろう。だから食品以外のエネルギー摂取だ。

 定番の考え方だと、取り憑いた相手から生命エネルギーを吸い取って自分のものにするが、少なくとも僕は奪われているように感じない。


「必要ないぴよ。ピヨは超低燃費でハイブリットエコロジカルだから、太陽の光を浴びるだけで元気いっぱいぴよぴぴぴー、だぴよ」


「未来の自動車か」


 食事は不要と理解し、気兼ねすることなく白米を搔きこむ。

 そういえば、ひよこの前で鶏のから揚げを食べるのって、結構残酷じゃないか?


「ユートのご両親はお仕事ぴよ?」


 特に関心はなさそう。こう見えてドライな性格なのかもしれない。箸を休ませることなく答える。


「そう。共働きで帰ってくるのが遅いんだ」


「じゃあいつもひとりでご飯食べているぴよか……寂しくないぴよ?」


「全然」


 物心ついたときから毎日一人の生活だったから、慣れたという表現もしっくりこない。しいて言えば『当たり前』が適切だろう。


「そういえば朝もご両親の姿を見かけなかったぴよ」


「出ていくのも早いんだ。だから顔を合わせるのは土日か祝日だけ」


 今日は月曜日なので、しばらく会わないが、別に寂しいとは思わない。母さんとは休みの日には一緒にご飯を食べるし、親子仲は良好だ。


「ご飯のお金はどうしているぴよ?」


 僕は割り箸の先で、テーブルの上に横たわるスマートフォンを指す。

 しかしそれだけでは伝わらなかったので、電子マネーについて説明してやる。


「えーと、携帯電話の中にお金が入っているようなもんだ。親のクレジットカードと繋がっていて、少なくなったらオートチャージ……銀行口座から自動的に補充される」


「電話を板に当てただけで買い物できるなんて、不思議だと思っていたぴよ」


 知識は豊富でも、こういうことには疎いらしい。さっきは自分がハイエンドモデルみたいな話をしていたくせに。


「朝起きたらテーブルの上にお金とメモ紙なんてお互いに面倒でしょう、って。電子マネーならかさばらないし、親としても何に使ったのか明細が残るから安心なんだってさ」


「今どきの高校生は進んでいるぴよねぇ」


 普通だよ。一応現金も持っているけれど、ほとんど電子マネーで事足りる。


「素敵なおうちにも住んでいるし、ご両親に感謝ぴよね」


「そうかあ?」


 弁当と一緒に買ってきた緑茶で喉を潤しつつ、室内を見渡す。


「普通のマンションの普通の部屋だぞ」


「二十一階建ての二十階住まいを普通と言っちゃう時点で普通じゃないぴよ!」


 生まれてからずっとここに住んでいるんだ。他と比べようがないだろ。それに金を出したのは親だ。

 ピヨの興奮に首をかしげながら、付け合わせのマカロニサラダをつまむ。


「お母さんは家のことに手が回らないんじゃないかぴよ?」


「そんなことないって。ほら、家の中とか汚れてないじゃん」


「えぇー……そうぴよぉ?」


 オフホワイトに囲まれた室内を見渡す。壁紙や天井には染みひとつないし、フローリングだって室内照明の光を反射するほどぴかぴか。チェストやテレビ台の上もホコリひとつない。昨日は日曜だったので、母さんが掃除をしてくれたはずだ。

 どこが汚れているという。お前の眼は節穴か?


「親に頼ってばかりいると、一人暮らしを始めたときに苦労するぴよ」


「そんな先のことは知らない。ごちそうさまっと」


 食べ終えた容器をゴミ箱に突っ込み、自室に向かう。


 部屋着に着替えるのも面倒だったので制服のままベッドに身を投げ出すと「食べてすぐ寝たら牛になっちゃうぴよ」ととりから忠告を受ける。ならねーよと心の中で一蹴。なんだかいつもより布団が体が沈んでいる気がする。


 今日はいろいろあった……明日も何かしらやるんだろうけれど。


 路希先輩が言っていた「手伝って欲しいこと」ってなんだろう。スマートフォンを確認するが、連絡はない。


 例のトイレ動画は、連絡先を交換した後に、目の前であっさり消してくれた。

 連絡手段を手に入れたから、動画という脅迫材料は必要がなくなったのだろうか。独特の笑い声が耳の奥で再生される。


「ロキのこと、信用しているぴよ?」


 僕の悩みを見透かしたように、ピヨが質問を投げてくる。そうだなあとつぶやきながら白い天井を見つめ、仰向けの体制でピヨはどういう状態なのだろうと関係のないことを考えてみる。枕元にでも座っているのかな……どうでもいいか。


「不安は拭えないけれど……他にお前を排除する方法があるわけじゃないし、協力するつもり」


「ピヨにはどうにも胡散臭く見えたぴよ」


 変人じゃなくて? でもそれを言ったら、元凶に心のうちを打ち明ける僕もおかしい。事態の異常性に、判断力が機能しなくなったのかもしれない。

 現状に思考をゆだねながら「どの辺が?」と聞き返す。


「ユートを助ける理由が分からないぴよ。それに、呪いとか悪霊って言葉に対する反応に過敏すぎて怖いぴよ」


「食いつき方は探求心というか、知識欲というか……興味を引く対象が目の前に現れたから興奮していただけじゃないのか」


「『知識を得る』という理由でユートに近づいたなら理解できるぴよ。でもロキは『呪いを解く』と明言しているぴよ。ユートの現状に興味を持っているのなら解消させるより、維持させた方が都合がよくないかぴよ?」


 えらく冷静な分析だな。まあ一理ある。


 路希先輩が興味を持っているのは、呪いやそれをもたらす悪霊——つまりピヨ自身だ。願ってもない研究対象に出会えたと異常なほど興奮していたのに、たかが数時間の実体験聞き取りだけで満足するとは思えない。ましてや解呪なんて待ち望んでいた状況の収束は、意向に反するのではないか。


「ロキがどんな手段を用意してもピヨに影響はないけれど、一応注意した方がいいぴよ」


「なんで僕がお前の心配をしなきゃいけないんだ」


 あべこべすぎて、的確なツッコミが思いつかない。

 路希先輩の真意はともかく、僕の第一優先は現状の改善だ。誰が何を考えていようが、僕は平穏で平凡な日々を取り戻せればそれでいい。


 あくびが出る。まだ午後九時前だというのにまぶたが重い。


「早いけれどもう寝るかな」


「えっ、授業の予習復習はしないぴよ?」


「だからそんなことしてる高校生はいないって」


 勉強するのはテスト前だけ。これが世の高校生の総意だ。


「帰って来てまで勉強なんてしたくない。家の中はプライベートなんだよ」


 ベッドから起き上がると、反抗する意思を示すかのように、本棚から適当に単行本を抜き取ってペラ読みする。


「一丁前に言うぴよね。こつこつやらないとテストで泣きをみるぴよ」


「去年は泣かなかったから今年も泣かない」


 赤点のラインを割らなければ問題なし。高得点を取る必要はない。


「それに頭にひよこを乗せた状態で集中なんてできるか」


「ピヨを言い訳に使うなぴよ。高校卒業なんてあっという間、進学にしても就職にしても頭が良ければ将来の選択肢が増えるぴよ」


「選ぶのは結局ひとつだろ。そこそこの大学に行ってそこそこの会社に就職できればいいよ」


 だから勉強したって意味がない。


「若いうちから消極的なのはどうかと思うぴよ……将来の夢とかなりたい職業はないぴよか?」


「将来、か」


 最後まで読まずに漫画を棚に戻す。何度も読んだから結末は知っていた。


「特にないよ」


 スーツを着て、毎日家と会社の往復する。それが僕の進む将来。

 大人になると一生働くことに縛られ、自由を奪われる。教えてくれたのは父親だ。


 朝早くに家を出て、夜遅くに帰ってくるうえ、休日も仕事で会社へ出向く。そんな父親と、昔も今も話す機会はほとんどない。出張で帰って来ない日も多く、学校の保護者参加行事なんて我関せずだ。


 まれに家ですれ違っても表情は険しく、話しかけるなという空気を全身にまとっている。意を決して声をかけても「疲れているからあとにしろ」。もちろん「あと」なんてない。


 一度だけ「会社って楽しい?」と聞いたことがある。小学校低学年のころだったか。どうして毎日辛い思いをする場所へ行くのか、純粋に知りたかったのだ。


 何気ない質問だったのに「遊びに行っているわけじゃない」と怒鳴られた。子どもながらに、理不尽な怒りをぶつけられたことを自覚する。そのあと、泣き出した僕を抱きしめた母さんと言い合いになったんだっけ。内容は忘れた。

 以来、父親と口をきいていない。


 嫌な記憶だ。灰色を塗りつぶすように、本棚に収められた色とりどりの背表紙に目を向ける。雑誌や漫画に小説。全体的にファンタジー色が濃い気がする。


 僕には特技も趣味もない。ゲームは好きだが、それを仕事にしたいとは思わなかった。創作された世界に没入することは楽しいけれど、自分で創りたいという欲求には至らない。


 現実を忘れさせる創作物。現実を認識させる父親の姿。

 二つの象徴の間に立つことで、自分の立ち位置が推し量れてしまう。虚構の世界に憧れるほど現実が色濃く見える。


 父親は有名大学を出て一流企業に就職したらしいが、頭が良くてもあんな人間になるのなら、勉強するだけ無駄だ。知性と人格は比例しない。


 いろいろと割り切ってしまったせいか、イケメン俳優やアイドルの話題に熱を上げるクラスメイトを冷めた目で見るようになった。画面や紙面を飾るのは偶像。空想の産物に一喜一憂するなんてくだらない。


 だけど集団に所属する以上、ある程度の理解や協調性を見せなければ、不利益を被ることくらい理解できる。学校はそういう場所だ。

 そこで影は薄く、突出せず、しかして最低限の仲間意識を持たせる程度の距離感を保つようになる。可もなく不可もない人間関係。差し障りのない人付き合い。


 いつの間にかゲームも漫画も小説も、昔ほどの熱を持てなくなっていた。

 暇つぶしになるとか、続編が出たから買うような惰性で触れているにすぎない。すべては意思の伴わない慣性で流れている。日常も、人生も。

 見つけた真理をすんなりと受け入れ、漫然と毎日を過ごすようになった。


 変化のない退屈な日々。でもこれでいい。

 むしろ安定した最良の生き方だ。


 現実に夢も希望もなくて結構。元より存在しない物を欲しいとは思わない。

 どうせ将来がつまらないのなら、いっそ割り切ろう。その道を自らが選んだと思えば、運命やら神様なんてあやふやなものに憤りを感じることもない。


 平凡で平穏な人生。それが僕の選んだ道だ。


「どうしたぴよ、立ったまま寝ちゃったぴよ?」


 なのに、唐突に現れたこいつが引っかきまわす。頭の上に住み着いた正体不明のひよこが。


「眠いよ。誰かのせいでものすごく疲れたからな」


「しょうがないぴよねー。今日は早く寝るぶん、明日の授業には集中するぴよ」


 小さいなりで特大の変化は、僕のライフプランに波風立ちまくりの大荒れ模様を呼び込んだ。

 早くこいつをなんとかして元の世界に戻りたい。そのためにできることをやろう。

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