第71話 生存に必要な成分が含まれてます
「……よし、こんなもんかな」
日曜日の午前、カットしたのちヤスリで丸っこく仕上げた手指の爪に満足する。
部屋やキッチン、トイレに風呂場と掃除はひと通り終わっている。
風呂場を掃除するついでに汗も流した。
歯も磨いた。
ヨリコちゃんを迎える準備は万端だ。
そろそろ来るかな。
前にもヨリコちゃんが家に来たことはあったけど、あの頃は恋人という間柄じゃなかったし。
やっぱぜんぜん違う。
緊張する。
もしかするとついに俺は一皮むけるのかもしれない、なんて椅子にも座らず部屋の中をそわそわ歩き回っていたところ。
ピンポーンとインターホンが鳴り、慌てて玄関へ走る。
返事をしつつドアを開ければ、両手でエコバッグを持ったヨリコちゃんがすまし顔で立っていた。
やっぱりキャップをかぶっている。
大きめのスウェットはショートパンツのほとんどを隠していて、一見すると下になんにも履いてないのかとドキッとする。
黒タイツの足もとはいつものスニーカーじゃなく、今日はブーツだった。
秋のヨリコスタイルもかわいい。
いっしょに紅葉狩りに出かけても9対1の割合でヨリコちゃんを見続ける自信がある。
「……よっ。何かたまってんの?」
「あ、ああ、ごめん、どうぞあがって! それ俺が持つよ」
「ん、ありがと。おじゃまします」
エコバッグはけっこうな重さだった。
ひとまずリビングに案内し、食材の入ったエコバッグをキッチンに置く。
ヨリコちゃんはキャップを外し、腕まくりをしてさっそく調理する構えだ。
「な、なにか飲む? 少しゆっくりしない?」
「んーあとでもらおうかな。お昼もうすぐだし、先にパッと作っちゃうよ」
「あ、じゃあ俺も何か手伝うよ」
「いいからいいから、ソウスケくんは座ってなって。だって、ほら、その――」
赤くなった耳を覆い隠すように、ヨリコちゃんは何度も横髪を撫でつけて。
「……か、彼氏……なんだしさ」
なんか、ヨリコちゃんの口からあらためて聞けたことに感激した。
まじ、なんだな。
俺は本当にヨリコちゃんと付き合ってるんだ。
はぁ……俺の彼女がかわいすぎる件。
付き合いたての彼女がただ昼ご飯作ってくれるだけの話。
どっちもベストセラーだな。
この彼女がスゴい! ランキングを校内に貼り出してドヤ顔でみんなに自慢したい。
うちに唯一あるエプロンを身につけたヨリコちゃんは、さっそく野菜を洗いはじめる。
手際よくまな板に移し、トントンと包丁のリズムが心地いい。
「……ね。なんで真後ろに立ってるわけ?」
「座して待つのも悪いと思って」
「座してって、今日び聞かない」
なんなら“今日び”だって聞かないけどな。
ともかくここから眺める後頭部は最高だ。
距離も近いし、なんとなくこう、後ろからギュッてしたくなる。
彼氏なんだし……もしや、してもいいのか?
「さわんないでね? 危ないから」
エスパーか?
腰に伸ばしかけていた手を引っ込めた。
ひとり悶々としていたことが恥ずかしくなり、うわずった声でごまかす。
「れ、冷蔵庫のものとか好きに使っていいから」
「いいの? ちょっと見てみよかな」
くるりと振り返るヨリコちゃん。
「おわっ!? 切っ先!!」
「だからうしろに立つなつってんでしょ!? も、あっちいってて!」
どこぞの殺し屋みたいなこと言うヨリコちゃんの逆鱗にふれてしまい、俺は容赦なくキッチンを追い出された。
しかたないのでリビングから見守ることにする。
ヨリコちゃんは終始やりにくそうにしていた。
◇◇◇
「はい完成〜」
「すげえ! まじですげえ!」
ハンバーグの横には人参グラッセも添えてある。
ブロッコリーと根菜の和え物、豚汁まで完備された和洋折衷が超うまそう。
「大げさじゃね?」
「いやいや! ヨリコちゃん家で食べた肉じゃがもうまかったけど、これもめっちゃおいしそう!」
「だれかさんがガン見してこなかったら、もっと上手にできたかも」
「い、いや、それは……ごめん」
リビングではなく、料理は俺の部屋に運んだ。
座布団に座り、小さめの丸テーブルをヨリコちゃんと囲んでいただきますをする。
口にした一切れのハンバーグは、誇張なくこれまで人生で食べた中で1番おいしかった。
「うん、うん、うまい! ヨリコちゃんの料理ってめちゃくちゃおいしい! ぜんぶ好みの味してる!」
「ほんと? ……うれしい」
心の底から嬉しそうに笑うヨリコちゃんがまじでかわいくて。
お腹と同時に胸も満たされていく。
人生で1番、幸せを感じる時間だった。
ヨリコちゃんといっしょなら、俺の人生はどんどん更新されていく。
どんどん好きになっていく。
食後のリラックスタイム。
ここらで真面目な話になるかと思ってたけど、ヨリコちゃんはとくに昨夜電話で語ったようなことを言ってこない。
のんびりと俺オススメの漫画を読んでいらっしゃる。
――ので、自分から切り出すことにする。
「その、これからのことなんだけど。ケンジくんとか……」
「はいストップ」
言葉と手のひらで続きを制止された。
「もちろん大事な話だけどさ、ソウスケくんの前であんまりケンジくんを話に出すのは、やっぱちがう気がして。……やさしさに甘えてるみたいで、なんかズルいじゃん?」
「ずるいなんてこと、ないと思うけど」
「あるよ。だっていい気しないもん、あたしだって。他の女の子の話とか、さ? ソウスケくんは、あ、あたしの彼氏なんだから、ちゃんと、優先したいから」
「ヨリコちゃん……」
漫画から目を離さずに言うヨリコちゃんだけど、顔は赤くなっている。
こういうとこ生真面目で、本当にヨリコちゃんを好きになってよかったと思う。
てか抱きしめたくてたまらない。
「今日はソウスケくんのこと、聞きたい」
「え? 俺のこと?」
読みかけの漫画をテーブルに伏せて、ヨリコちゃんは両手の指先をぐにぐに押し合わせる。
少しためらいを見せながら。
「……言いにくいことなら、言わなくていいから。その……ソウスケくん、なんでひとり暮らししてるの? 親……ご両親は……?」
なぜだろう。
ヨリコちゃんの言葉が、スッと頭には入らない。
虫の……羽音みたいなものが、阻んで……。
「なんで……って、ふつう……でしょ。俺がひとりでいるとか、あたりまえで……そんな、変なこと?」
「そ、ソウスケくん? ヘン、ていうか、ソウスケくんの反応がヘンだよ!? 大丈夫!?」
変……?
俺は、なんで、ひとりで。
俺の……家族……家族は――。
頭に浮かびかけた映像が、ふいに砂嵐で乱される。
ヨリコちゃんが遠くなって、自分からどんどん遠ざかっていく気がして――。
意識はそこで遮断された。
◇◇◇
目を開けると、見慣れた自室の天井だった。
いつもの枕よりずいぶんふかふかしてて、あたたかい。
寝返りをうって顔を横に向ければ、頬に引っかかるような伸縮素材の感触。
「……気がついた? ……ごめん。ごめんね、ソウスケくん」
頬にふれる感触はタイツだった。
ヨリコちゃんのやわらかい太ももを枕に、俺はベッドに横たわっていた。
目前のお腹に、引き込まれるように顔を埋める。
「ちょっ!? ――……あはは! く、くすぐったいから!」
DNAレベルで欲する匂いを吸い込んで、頭がくらくらする。
恍惚となる。
「い……息を吸うな吸うな。……マジで恥ずい」
でも引き離そうとはしないでくれて。
頭を何度も撫でてくれて。
ヨリコちゃんを胸いっぱいに取り込んで、俺は不安な感情を押し流していった。
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