第5話 寝取られアドバイザー
たっぷり寝てしまったみたいだ。
ピンポンという呼び鈴に起こされてスマホを手に取ると、すでに昼を回っていた。
メッセージアプリに大量の未読がある。
“ついたー”
“ぴんぽん”
“ぴんぽんぴんぽーん”
“ねてる?”
“ねー”
“おーい”
“あちー”
“とけるー”
“コンビニ”
“アイスいる?”
“新作”
“ついたー”
“ぴーんぽーん”
“ゆげー”
“ゆげー!”
“うげー”
“あー”
“うー”
“し”
メッセージはすべてマオからのものだ。
家にくるというから、昨夜は住所を送って寝たんだった。
メッセージの最初の送信時間は――10時!?
また呼び鈴が鳴り、俺はダッシュで玄関へ向かう。
勢いよくドアを開けると、汗だくのマオが驚いたように目を丸くする。
「なんだー……やっぱいるんじゃんもー。あんま焼けたくないんだがー?」
「ご、ごめん! めっちゃ寝てて!」
「はー? ゆるさぬぅ」
「うわっ!?」
ぜぇぜぇ息を荒げたマオが、覆いかぶさるように抱きついてきた。
胸もとに顔が埋まる多幸感よりも、熱すぎる体への驚きが勝る。
「ハァ、ハァ、汗なすりつけたるー」
「もがっ、ちょ、とりあえず中入って! 熱中症になるぞ!」
マオを引きずり込んで、リビングのエアコンを最大限低くする。
エアコンの冷気が直接あたる位置に立たせると、マオは両手を広げてうっとり目を閉じた。
「はー……しゃーわせだにゃー……」
そりゃ2時間以上も炎天下にいたら地獄だろう。
いったん出直すなりすればいいものを、どうしてそこまで。
俺は冷蔵庫から作り置きの麦茶を出して、ゆすいだコップにそそぐとマオへ差し出す。
「おー夏の定番ありがとー! アイスは溶けちったけどねー」
掲げたビニール袋を揺らしてみせるマオ。
だから、なんで。
おいしそうに麦茶を飲むマオへ疑問をなげる。
「……暑かっただろ? 食べればよかったのに」
「だって新作だよー? いっしょに食べたいじゃんねー?」
チューブトップなんか着て、パーカーも着崩してるから肩丸出しのえっろいギャルとふたりきりなんて状況なのに。
屈託なく笑う顔は子供みたいで――
単純に胸がときめいてしまった。
「ふ、風呂沸かすから、とりあえず入ったら? 服は洗濯して外に干せばすぐ乾くだろうし」
「おーいたれりつくせりー」
浴室の扉が閉まった音を確認して、マオの脱いだ衣服を洗濯機へ運ぶ。
下着も洗っていいんだろうか?
黒いラインの入ったサテン生地のピンクな下着が、その気はなくとも目に焼きついてしまう。
童貞のサガだ。
ゆるせ。
「ハー! さっぱりしたー」
マオは湯上がりに麦茶をごくごく飲み、部屋をみたいと言うので自室に招き入れた。
漫画以外とくに見るべきもののない部屋を、ものめずらしそうにキョロキョロしている。
「やっぱそのTシャツ、大きかったかな?」
「えーいいよべつにー。それにいーじゃんなんか、カレシの服着るシチュ? ってやつー」
そう。
俺のシャツがぶかぶかで、ボクサーパンツまで履いて、部屋でくるっと回ってみせたりするギャルな彼女なんてシチュエーション。
理想でしかない。
感涙ものだ。
けれども。
「いや……俺はもう彼氏じゃないでしょ」
「……そっかぁー……まーね、そりゃそうだよねー」
はしゃいでいたマオが、あからさまに落ち込んでベッドに腰かける。
「……昨日は、ほんとごめんねー……?」
だったら、なんで。
感情のままに問いかける。
「あやまるくらいならっ! なんで――」
「ほんっとーにごめん! 興奮させられなくて!」
「…………は?」
思わず言葉を失った。
なんて言ったこいつ。
興奮させられなくて?
そう言った?
言ったよな?
「なんでかなー!? こんなはずじゃなかったんだけど、ぜんぜん興奮してなかったよね!? あえぎ声かなー? 臨場感? 大学生とのツーショット送るべきだったー? ほんとはさー? 弓削にもっともっと興奮してもらいたかったんだけど――」
たしかに言ってる。
めちゃくちゃ言ってる。
「いやちょっ、待って待って! なに? マオは昨日のあれで俺が興奮すると思ってんの!?」
「するでしょー? わたしはめちゃくちゃ興奮するしー」
「しねえよっ! ド変態じゃねえか!」
「じゃ、じゃあもうひとり誘って3人でとか――」
「数の問題じゃないんだよ!」
ヤバい。
はじめて付き合った彼女が、超ド級の地雷だった件。
「カレシといっしょにさー? きもちくなりたいだけなのに……わたし、いっつもうまくいかなくてー……」
「え……いつもこんなことやってんの?」
「うん」
そりゃうまくいかないでしょうよ。
寝取られが趣味のやつと偶然マッチングするのを祈るしかないな。
「どこが……だめなのかなー……」
「普通のやつは、彼女が他の男と寝て興奮したりしないだろ」
「わたし、ふつうじゃない……?」
頷いてみせるつもりが、できなかった。
大きな瞳に、今にもこぼれそうな涙をためて。
マオはまるで、むりやり顔に笑みをはりつけているみたいだ。
気持ちよさを彼氏と共有したい。
本心なんだろう。
つまり善意でこんな行為をやっているのだ。
彼氏もきっと、自分と同じ気持ちになってくれると信じて。
難儀な性癖だ。
俺にとってそれはやっぱり地雷でしかないけど、自分を正当化するために他人の信条を否定はできない。
「はあ……。まずな? 期間だよ」
「え……?」
「付き合ってから、寝取られ報告にうつるまでが早すぎる。彼女ができたって実感もないうちに寝取られたって、たいして興奮できないだろ」
知らんけど。
たぶんそうじゃないだろうか。
「あともっと集中しろよ。物音に気を取られすぎ」
「だ、だってちゃんと聞いてくれてるか気になってー」
「聞きたくないやつは通話切るだろ。そういうやつとはマオは縁がなかったってこと。通話続けるやつとは性癖が合う可能性がある」
「あえぎ声とか、がんばればいいんだねー!?」
「それだけじゃワンパターンになるな。もっとこう、どんな気持ちなのか煽ったり? あと浮気相手といろいろ比べるのもいいんじゃないか?」
「な、なるほどー……! 想像しただけで興奮するねー?」
「いや俺はしないけど」
提案しといて気分は最悪だよ。
さらなる被害者を生む結果になるのかもしれないけど、どうか勘弁してほしい。
「そもそも浮気相手と比べたりする以上さ、最低限まず彼氏とえっちしてからじゃないと」
「そっかー……そうだよねー。わたし、バカだったなぁー……」
すべて素人の意見なので。
詳しくは有識者に相談してください。
マオは目もとをごしごし指でこすると、歯をみせてにっこり微笑んだ。
「弓削ー? その……ありがとー……ね」
「いいってことよ」
わりと地獄みたいな時間だったけどな。
一応、元カノになるんだろうし、少しでも気分があがったのならよかった。
「またさー、相談とかしてもいー?」
「う、うーん。あんまりヘビーなやつじゃないなら」
「よかったー。ちゃんと相談料もはらうからー……さ?」
「え――!?」
マオに腕を引っぱられて、強引にベッドへ座らせられた。
身をぴったりと寄せてきたマオの金髪が、頬に触れてくすぐったい。
「これ今日のぶん。1発ヤっとこっかー?」
「は!? いやちょっと待って! てかなんでスマホ出してんの!?」
「昨日の大学生に電話しようと思ってー」
「さっきまでの俺の話聞いてた!?」
「じゃあツーショットはー? だめー?」
「ダメとかそれ以前に――」
やっぱとんでもない性癖だった。
こんな感じで俺の性意識も壊されていくのだろうか。
いやだ、助けてくれ――と。
無意識の祈りが通じたのかもしれない。
突然、着信音を鳴らしはじめたスマホに手を伸ばす。
通話をフリックして、つい、いつもの癖でスピーカーをタップした瞬間に押し倒された。
そしてその結果、さらなる地獄が訪れようとは夢にも思わなかった。
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