第6話 ヨリコちゃん再び

『――……いきなり電話してごめん。既読つかないし、忙しいんだよね?』


 受話スピーカーから流れてきたのは、あからさまにテンション落とした女性の声だった。


 え?

 だれ? 知り合い?

 既読って……マオ以外からメッセージなんかきてたっけ?


 俺とマオはベッド上で固まり、ふたりしてテーブルに置かれたスマホへ顔を向ける。


『――あのね? 心してきいてね?』


 まてよこの声、どこかで。


 いや、思いあたるふしはあるけども。

 さすがにそんな、何回も――


『――あたし、デキちゃったかも』


 こいつはヨリコちゃんだッ!


 いま確信に変わった。

 電話で開口一番に衝撃を突きつけてくるなんて、さすが本家本元は切れ味がちがう。


『――まって。言いたいことはわかってる。最近そういうの、ないもんね? でも遅れてるのすっごく。相手はその、だって他にいないし……』


 寝取られ報告なんてしといてどの口が言うのか。

 あれは嘘だったけども。


 それにしても本来まったく俺に関係ない話のはずなのに、イヤな汗が吹き出てくるのはなぜだろう。


 エアコンを操作したいけど、俺の上にはマオが乗っている。


『――避妊しててもさ、ほら、100%じゃないっていうし。薄いやつだったし? 古……くはなかったけど、もしかしたら、不良品で穴、とか』


 穴……まさか自分で空けたりしないよな?


 もしあの寝取られ報告電話がケンジくんにつながっていた場合、この妊娠報告という第2波には発展できなかったわけで。

 まあ、今回も嘘をついてるとは限らないけど。


 俺に覆いかぶさったまま、マオがなにやら目で訴えてくるので、とりあえず首を横に振る。


『――あ、べつに責めるとかじゃないよ! ただその、妊娠検査薬……ひとりで確認するの怖いし。だから、ね? ちょっとでいいんだ? ちょっと会えないかなって』


 相手が一言も返事していないというのに、ヨリコちゃんの語りは止まらない。

 妊娠の可能性がほんとにあるのなら、たしかにヨリコちゃんの要求の正当性もわかる。


 でもなぁ、ヨリコちゃんだしなぁ。

 考えなしに寝取られ報告とかするし、また電話番号打ち間違えてるし。


 これも嘘なのだとしたら、マオとは地雷のベクトルがちがうな。

 ケンジくんにまじで勉強させてやってくれよ。

 医大の受験生とか、めっちゃ貴重な夏休みだろ。


 ふと見上げてみると、なぜかマオは紅潮した顔で息をハァハァ荒げている。

 ジッとスマホを見つめる様子がちょっと怖い。


『――やっぱいきなりこんなこと、答えにこまるよね! ね!? まぁちょっと考えてみてよ。あたしはバイトくらいしか予定、ないから。じゃ、その……勉強がんばってね!』


 言いたいこと言ってヨリコちゃんは通話を終了した。

 こんな電話されてケンジくん、がんばれるわけないだろ……。


 ヨリコちゃんの妊娠報告、さすがとしか言いようがない。


 てかバイトしてるんだな。

 まあそんなことはどうでもいいし、それよりこのくっそ重い状況をどうにかしてほしい。


 しばらく硬直していたマオが、ゆっくり俺をまたいでベッドを下りる。


「……いまの電話」


「あ、いや、ちがうんだ。あの人はなんていうか、ちょっとあたまのおかしい――」


「そっかー……そういうこと、だったんだ……」


「ま、マオ……?」


 マオは笑っていた。

 すっごく歪んだ笑顔だった。


「これもふくせん・・・・、てやつだったんだねー? 最初からぁー」


「ふ、伏線……?」


 呼吸をどんどん荒くしながら、マオはもどかしさを感じたように、俺が貸したTシャツの胸もとをぐいっと引っぱる。


 マオの首すじにも、谷間にも、全力疾走後みたいな汗が流れていた。


「熱っつい……ハァ、ハァ……わたし、はじめて知った……こっち側・・・・。こんな、こんな……気持ちになるんだぁ……?」


 伸ばした舌で、唇を舐めるマオ。


てんけい・・・・、おりてきた気分だよぉ……?」


「て、天啓……?」


 どうしたというんだ。

 マオが急に難しい言葉をつかいはじめた。


「すごいよ、こんな仕込み……わたしのこと、はじめから見抜いて……弓削……ソウスケぇ……♡ もしかしてキミが、わたしの運命……なのかもぉ」


 完全にとろけきった口調のマオを前に、俺は身動きひとつとれなかった。


 もしかして、異常性癖に異常性癖を重ねた怪物が生み出されてしまったんじゃないのか……?


 ヨリコちゃんのせいで!


「ち、ちがうって! いまの電話は仕込みとかじゃなくて――」


「……今日はもう、帰るねー? いろいろ、あたまん中、整理したいんだー」


 おぼつかない足どりでリビングへ向かい、干していた服を取るとおもむろにマオがTシャツを脱ぎはじめる。

 迷った末に目をそらしていると、すぐに着替えは終わったようだ。


「これ、洗って返す……?」


「そのままでいい!」


 ノータイムで返事して、あたたかい体温の残るTシャツとボクサーパンツを受け取った。


「じゃー……また遊ぼうね、ソウスケ♡」


 マオが帰ってしまう。

 このまま帰していいのか?


 何か。

 何か忘れて――


「あ」


 大事な要件があったことを思い出し、玄関先でマオを呼び止める。


「ちょっと待ってくれ!」


「待たないよー。……今日はね、ほんと、ひとりになりたいからー」


「そ、そうじゃなくて……」


 ダブルピースの画像まだもらってない!

 でもそんなこと要求できる雰囲気じゃないよなわかってるよくそっ!


「今日のお礼、ちゃんとできなかったけどー……。はい、これ」


 駆け寄ってきて、俺の手にそっと何かを握らせるマオ。


「はげしいお礼は、また今度ー……ねぇ……?」


 そうしてマオは、今度こそ振り返らずに家を出ていった。


 残された俺の手には、0.01mmと書かれた四角い包みが乗っている。


「……っ……できればっ……ダブルピースの方が、よかったなぁ……っ」


 なぜもっと早く思い出せなかったのか。

 嗚咽にも似た声をもらして、コンドームの包みを握りしめた。

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