第7話 青柳さんという人物

 スマホの時刻は22時37分を表示している。


 じつに悩んでいた。

 マオに貸していたTシャツとボクサーパンツを洗濯すべきかどうか――


 ちがう。

 それも悩みのひとつだけど、そうじゃない。


 いろいろあって今日は疲れた。

 さっさと寝てしまいたいのが本音なんだけど……やっぱり放っておくと寝覚めが悪い気がする。


 着信履歴を表示させ、そこに残る電話番号をタップした。


 昼間の妊娠報告が嘘であれ、本当であれ、ヨリコちゃんはケンジくんに伝えた気でいるのだ。

 だとすれば折り返しの連絡を延々と待っている可能性が高い。


 待つことに耐えられず、ヨリコちゃんが再び詰め寄るかもしれない。


 いずれにしても、ふたりにとって良い結果にはならないだろうと思う。


「……出ないな」


 実際そこまで介入する義理もないし、どうでもいいといえばどうでもいいんだが。


 袖振り合うも多生の縁、という言葉もある。

 だから前述のとおり、このまま放置すると俺の寝覚めに影響するのだ。


 たっぷり20コール以上は呼び出して、ようやく通話中の表示を確認する。


「あーもしもし? 俺だけど」


『――……だれだおまえ』


 受話スピーカーから聴こえてきた男の声に、少なからず動揺した。


 ケンジくんか?

 と、一瞬浮かんだ考えを否定する。


 そうか。

 ヨリコちゃんが間違い電話をかけてきたということは、寝取られ報告のときと同じ。

 ケンジくんの番号が登録済みであろう自分のスマホじゃなく――


「こんばんは弟くん。いきなりで悪いんだけど、ヨリコちゃ――お姉ちゃんにちょっと代わってほしいんだけど」


『――は? 姉貴? ……ああそうか、アンタが』


 察してくれたようだ。

 そうだ、俺こそが。


『――ド変態のケンジかよッ!』


「ちがう!?」


 憎々しげに吐き捨てるような声だった。


『――なにがちがうだっ! 姉貴の男だか知らねえが、よくもオレにあんなもの……っ!』


 え!? なに? 怖い!

 ケンジくんなんでこんなに恨まれてんの?

 ヨリコちゃんの弟に何したの!?


『――“ちょ、ちょ! 今あんたケンジくんって言わなかった!? ちょっと代わって!”』


『――あ!? なんだよ姉ちゃん、勝手に入ってくんじゃねーよ!』


『――“いいからスマホ貸して!”』


 向こうはどったんばったん大騒ぎの様相だ。


 しばらくのあいだ、学習机でコンドームの包みをくるくる回転させて遊んでいると。


『――ハァ、ハァ、ご、ごめんねケンジくん。あの、昼間のことなら……』


「こんばんはヨリコちゃん、今日もかわいい声だね」


『――だれ!?』


「彼氏のケンジだよ」


『――ケンジくんはそんなこと言わない!』


 えー?

 わりと普通のセリフだと思うんだけどな。

 ケンジくんの人物像がいまいちピンとこない。


 まあいい、とっとと本題に入ろう。


「単刀直入に聞くけど、ほんとは妊娠とかしてないんだろ?」


『――は? きっしょ! いきなりなんなの? あたしのストーカー!?』


「自意識過剰も大概にしろよ。寝取られ報告にくわえて妊娠報告の被害も受けたんだからなこっちは」


『――……そのくっそムカつくしゃべり方……あんた何日か前の……っ!』


「ヨリコちゃんの彼氏だよ」


『――ぶっころすッ! ぜったいころすからッ!』


 物騒だなぁ。

 昨今、そんな過激発言してたら簡単に炎上してしまうぞ。


「まあいいや。わかったろ? また間違い電話してきたんだよヨリコちゃん。3回累積したら録音音声ネットに流すからな?」


『――はやく消せ! なれなれしく名前呼ぶな!』


「……余計なお世話かもしんないけどさ、もうこんな嘘の報告やめとけば? だれも幸せにならんだろこんなの」


『――ほんっっと大きなお世話! おまえはあたしのおかあさんかっての! そんなんだから一生彼女もできない童貞なんだよ! おまえなんかに、あたしのなにが――……ッ』


 暴言が過ぎる。

 けど1日でもマオと恋人になったおかげか、ダメージは最小限に抑えられた。


『――あたしの……なに、が……』


 ヨリコちゃんのはげしい鼻息が、だんだんと鼻をすする音に変化していく。


 ヨリコちゃんの主張もわかる。

 俺たちは赤の他人なわけだし。

 まあ、間違い電話してくるなよって話なんだが。


 深入りするのもここまでだな。


『――ぅぅううゔゔ~~~~~~ッ! しんじゃえバァァァァァカッ!!』


 いつもの捨て台詞を残して、通話は終了した。


 そういえば、なんで今回の妊娠報告に弟のスマホを使ったんだろう。

 浮気相手を偽装するための寝取られ報告とちがって、自分のスマホ使っても問題なかったはずだ。


 そうすりゃお互いイヤな思いすることもなかったのにな。


「はあ……寝るかな」


 明日はフルでバイトだ。


 濃厚な1日に疲れ果て、ベッドへ潜り込むとすぐに眠気が襲ってきた。



◇◇◇



 バイト中、なにやら青柳さんの覇気がない。


 ダウナー系の女子とはいえ、何度も大きくため息を吐く様子はあきらかに異常事態だ。


 休憩のタイミングを見計らい、思いきって理由をたずねてみた。


「ああ……ごめんね。テンションさがるよね? たいしたことじゃないんだけど……スマホ、無くしちゃって」


 駅でバッグごと置き引きにあったらしい。

 機種変も検討してるとのことだけど、親からはもう少し待つように言われたのだとか。


 そのあいだ、彼氏とも連絡取れなくて落ち込んでいるというわけだ。

 どうしてものときは弟に借りるらしいけど、イヤがられるから無理には頼めないらしく。


 なるほど。

 それは心から同情する。


 昼休憩の食事もそこそこに、手持ちぶさたなのかパイプ椅子に力なく座る青柳さんを見つめる。


 めちゃくちゃ悲しそうだな、青柳さん――


 ――……こいつ、ヨリコちゃんじゃね?

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