第8話 特定しました
青柳さんが、仕事着エプロンを身につけながら、不思議そうに俺を振り返る。
「うん、
「言ってないよヨリコちゃん!」
「……ヨリコちゃん?」
「……はじめて聞きました、青柳さん」
なんということだ!
青柳さんはヨリコちゃんだった!
だけど同名なだけって線もある。
ヨリコなんてありふれた名前、親戚にだっている。
「な、なに? あたしの顔じっとみて」
声――で、判断つかないんだよな。
電話でのヨリコちゃんを思い返すと、俺をケンジくんだと誤認しての猫かぶり声か、もしくはブチ切れた声かの2パターンしかない。
「ソウスケくん……?」
俺は、普段のヨリコちゃんの声を知らなかった。
これはもうハッキリさせないと気が済まない。
「……ヨリコちゃん」
「また名前呼び――……え、ちょ、まって」
しきりにボブカットを撫でつけるヨリコちゃんを、壁際まで追い込んでいく。
細い肩が壁にぶつかる。
俺は壁に手をついて、ヨリコちゃんの逃げ道を塞いだ。
斜め下に向けた視線のすぐ先で、驚いたように大きな瞳をパチパチ瞬かせるヨリコちゃん。
「ヨリコちゃん、ひとつお願いしてもいい?」
「タメ口、なってるし……。だめ。だめだよ?」
「え? なんで?」
エプロンの胸もとでぎゅっと手を握ると、ヨリコちゃんは俺から目をそらす。
「彼氏、いるから。あたしのこと、好きになっちゃだめ」
なんねえよ!
あ~~でもめっちゃ自意識高いとこヨリコちゃんっぽい。
とはいえ、勘違いさせてしまったのは俺が悪かったかも。
「あの、お願いってそういうんじゃなくて」
「……え? ちがうの?」
「はい……なんか、すみません」
「じゃあ離れてっ」
真っ赤になったヨリコちゃんに突き離された。
ヨリコちゃんは大きく深呼吸すると、気持ちを切り替えるようにエプロンを伸ばす。
少しむすっとして。
「……それで、お願いってなに?」
「はい。こんなお願い、自分でもどうかと思うんですけど」
「言うだけならタダだし? まあ、言ってみ?」
「バカとかしねとか本気で罵ってくれません?」
「ヤッバい趣味してんねっ!」
趣味とかじゃないんだよ!
電話口でのヨリコちゃんを再現してほしいだけなんだよ!
「あたし、そういうのはちょっと……。ほかの人に頼んだら? お金とか払って」
「ヨリコちゃんが言ってくれないと意味ないんだよ!」
「なっ……!?」
再び顔を赤くそめてヨリコちゃんがたじろぐ。
俺もムキになっていた。
「いくら? いくら払えばいい!? 言ってくれよなけなしのバイト代で払ってやる!」
「いらないし! ちょっと寄ってくんなって!? あとちょくちょくタメ口なんのやめて!」
「じゃあ欲しいものは!? あるでしょバイトやってるくらいなんだから! ほら言って!」
「こっわ! なんでそんな必死なの!? マジで今日キモいよソウスケくん!」
またもやさっきと同じ壁際で。
お互いハァハァ息を荒げつつ、真意を探ろうとして視線が絡まる。
「だからっ……ちかいって」
根負けして目を伏せたヨリコちゃんに、もう一度真摯に頼み込む。
「お願いだよ、ヨリコちゃん。大事なことなんだ」
「うぅ……欲しいもの、とか別に……今度彼氏と海いくから、水着買おうと思ってたくらいで」
「それ俺が買うわ!」
「会話できないの!?」
そのとき休憩室のドアが開き、店長がふくよかな体を半分のぞかせた。
「おやすみ中ごめんなさいね? でも、そろそろふたりとも出てきてもらわないと……」
「あっ、ご、ごめんなさい!」
あわてて準備するヨリコちゃんにならい、俺もエプロンを身につけていると。
ためらいがちに駆けてきたヨリコちゃんが、背伸びして俺の耳もとへそっと唇を寄せる。
「……あたしに、いじわるばっかするソウスケくんとかぁ……しんだら? ば~~~~か……」
やさしいささやきと、鼓膜をゆらす吐息の凶悪なコンボ。
背すじがぞわぞわ震えてしまう。
手でパタパタ自分の顔をあおいで、ヨリコちゃんは決して俺と目を合わせることなく休憩室を出ていった。
念願の罵倒をいただきましたけども。
ぜんぜんちがうんだよなぁ……あれじゃ同一人物なのかサッパリわからない。
午後の業務では、ヨリコちゃんの元気も少しは戻ったみたいだ。
「ありがとうございましたぁ」
やはりややダウナー気味の発声ながら、いつもの接客に近い笑顔はみることができた。
そのままバイト終わりまで働いて、ふと気づく。
電話番号聞けば早いんじゃないかと。
俺のスマホには、妊娠報告のときの着信履歴がまだ残っているのだ。
さっそく帰りがけにヨリコちゃんを呼び止めた。
ものの――
「うーん……それはナシかな。ソウスケくんにその気はなくてもさ、やっぱ彼氏に悪いし。でもシフトのこととかもあるし、メッセならいいよ?」
そういえば、はじめて本屋で見かけたときも警戒心を丸出しにしてたっけ。
チョロそうに見えたり、かと思えば彼氏を立てたガードの固さを発揮したり。
ヨリコちゃんは意外とむずかしい。
「――はい、これでOKだね? あんまりしょっちゅうメッセ飛ばしちゃだめだよ? 浮気心、出さないようにね?」
出さねえっつってんだろ!
メッセージアプリのアドレスを交換してしまい、まさか聞きたかった電話番号が弟の方だとはとても言い出せなかった。
だって履歴に残ってる番号も弟のものだし。
まあ、いくら家族とはいえ、勝手に弟の番号を他人に教えるヨリコちゃんじゃなさそうだけど。
だだっ広い駐車場でヨリコちゃんが振り返り、軽く手をあげる。
「じゃあまたね、ソウスケくん」
「あ――ヨリコちゃんの彼氏、なんて名前なの?」
「ええ? なんで気になんの?」
「いやまあ、ただなんとなく……なんだけど」
「んー……ま……いっか。ケンジだよ、
本気で心配されながら、ヨリコちゃんの背中を見送った。
はい同一人物で確定しましたー!
ほらみろ、やっぱ彼氏はケンジくんじゃねーか!
「…………」
……というか、何を意地になってんだ俺は。
ヨリコちゃんが同一人物でホッとしているのか、それとも――
「――うわ!?」
ぼーっと突っ立っていたせいで、駐車場を出ようとしている車に思い切りクラクション鳴らされた。
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