第81話 取って取られて(天晶賢司)

 ガキの頃。

 幼馴染だった陽留愛ひるあの家族と一緒に、この田舎の村へは何度か遊びにきたことがある。

 陽留愛の母方の実家だったはずだ。


 夏休みらしく川で遊んだり、陽留愛は怖がってたが虫取りしたり。

 オレと陽留愛と……もうひとり。

 いつも暇そうにしてた、地元の女の子とよく3人で遊んでた。


 その子はオレ達より3つ歳下で、元気でよく笑って明るくて。

 オレと陽留愛にとっては妹分みたいな存在で。

 帰る日が近づくにつれ、寂しそうな顔するのが子供心に痛かった。


 中学にあがると、オレも部活や男友達と予定を入れることが多くなり、夏休みに陽留愛ん家の田舎へ同伴することもなくなっていった。

 陽留愛とは相変わらずの付き合いだったんで、たまにその子の話をすることもあったっけな。


 そして高校に通い出したとき、陽留愛に妹ができた。

 中学生になったばかりの、子供の頃田舎で遊んでいたその女の子だった。


 陽留愛の母方は女の子の遠縁にあたるらしく、それ以上の理由は聞いていない。

 聞けなかった、といった方が正しいか。


 女の子には記憶障害があると陽留愛は言っていた。

 自分の過去も両親も兄妹のことも覚えていないと言った女の子は、子供のとき聞いた名前とは違い陽毬ひまりと名乗った。



◇◇◇



 民宿の一室。

 友奈が作ってくれた昼食を、オレと陽留愛でテーブルへ運ぶ。

 食事が出ない代わりに格安な民宿だが、オレ達には却って都合がいい。


 エプロンを外しながら、友奈が陽留愛へ思いついたように詫びをいれる。


「あ、すまん。ネギを刻んでいたんだが冷蔵庫に忘れた」


「はーい! 取ってくるよ。陽毬はもう起きて大丈夫なの?」


「うん、ありがとうお姉ちゃん。病気ってわけじゃないから大丈夫だよ」


 陽毬がめんつゆを注いでくれた器を受け取り、順に回していく。


 陽毬の症状はたしかに病気じゃない。

 明確な病名なんか無いからこそ治す方法も簡単にはわからないんだ。


「でも無理はするなよ。また倒れるようなことがあったら……」


「賢司さんも、ありがとう。……いつもあたしのために、ごめんなさい」


 途端に俯いた陽毬は、垂れ下がる前髪で伏せた目を隠した。

 昔みたいなハキハキとした明るい印象は、今じゃすっかり見る影もなくなった。

 それもしょうがないと思う。


 文化祭が終わった頃から陽毬の症状は悪化している。

 時が止まったかのように何かを見上げて、ぶつぶつとうわ言を繰り返したり。

 そんなことが起きたあとには、決まって記憶が混濁する。


 名前がわからなくなったり。

 今いる場所がわからなくなったり。

 不安から泣き崩れる陽毬を、陽留愛はいつも見守っている。


「そうそう、賢司は勉強頑張んなきゃだめだよー? 陽毬のそばには、お姉ちゃんである陽留愛がしっかりついてるからね!」


 陽留愛だってどうしていいか不安なはずなのに、気丈に明るく振る舞ってる。

 陽留愛や陽毬が苦しんでるのに、ガキの頃から一緒にいたオレが放っておけるはずがないんだよ。


「賢司、勉強もだが少し休んだらどうだ? ここには陽留愛だけじゃない、私と朝寧もいる。あまり寝ていないのは顔を見ればすぐにわかる」


 そうめんをすすりつつ、友奈の声のトーンは至極真面目だ。


 友奈と出会ったのは中学に入学してからで、こいつはそのときからあまり変わらない。

 真面目で努力家で、勉強も運動もお手のもの。

 昔はよく――今もだっけか、陽留愛と馬鹿やって怒られたもんだ。


 仏頂面が基本だから一見するとわからないけどさ、誰よりも情が深いことをオレは知ってる。

 じゃなきゃ、自分だって受験控えてんのにこんな田舎まで付き合ったりしねぇよな。


「おい、何を笑っている。こっちは真剣な話をしてるんだぞ」


「ああ、わかってる」


 本当に感謝してるよ、ありがとうな。


「で、友奈……その肝心の朝寧はいつ起きるんだ?」


 陽毬のために敷いてる布団には、朝寧が横になってぐーぐー寝ていた。

 昨日の昼過ぎくらいからだったか?

 何度か頬を叩いたり、つねったりしたものの一向に目覚める気配がない。


 朝寧とは高校に入ってからの付き合いだが、こいつは不思議なやつだ。

 普段は見ての通りよく眠り、たまに起きたかと思えばスッと話題の核心を突いてきたりする。


 人間離れしてんな、なんて感じることもよくあるが……やっぱり悪いやつには思えないんだよな。

 高校3年間、楽しそうに過ごしてる所もたくさん見てきた。

 不思議のひとつやふたつあったって、別に構わねぇさ。


「平常運転……にしては、今回はちょっと長い?」


「さすがにこれだけ眠り続けてると不安になるな。近くに病院なかったか?」


 陽留愛に同意して、友奈へたずねた。

 箸を置き、友奈が少し考えるそぶりをみせる。


「町医者のような小さな医院はみかけたが……それなら昼食後に私が連れていこう」


「いや、脱力した人間は意外と重いぜ? オレがいくよ、帰ったらちゃんと休むから」


「あ、じゃあ、あたしも賢司さんと一緒に」


「陽毬は休んでなって! 賢司と朝寧が心配だったら陽留愛がいってくるから! ね?」


「でも……」


 陽毬も病人扱いは嫌なんだろう。

 気持ちはわかるが、もしまた倒れられるようなことになれば、朝寧とふたりを抱えるのは現実的じゃない。

 それに、陽留愛とは話しておきたいこともある。


「陽毬、ここで友奈と待っててくれるか? 朝寧が起きたら、みんなで町を見て回ろう」


「……うん、わかった。わがまま言ってごめんなさい」


「いいさ。オレ達に遠慮なんかしなくて。そりゃ毎回聞けるわけじゃないが、わがまま言われるのも嬉しいもんだからな」


 黒髪をくしゃくしゃに頭を撫でると、陽毬はくすぐったそうに首をすくめる。

 かきあげた髪を、額が見える位置に手で止めた。


「……昔はこんなふうに、おでこ出してたよな」


「……ごめんなさい。あたし、その頃のこと覚えてなくって」


「あ、いや、オレの方こそごめん。本当、悪かった」


「もー! 陽留愛の妹にセクハラしないでくれる!?」


 無意識の行動を、陽留愛に救われた。

 過去の話なんか、陽毬を傷つけるだけだってわかってるはずなのに。


 もし。

 もし……陽毬が記憶を取り戻したら。

 またあの頃のような笑顔で笑ってくれるんだろうか。



◇◇◇



 背中に朝寧をおぶって、馴染みのない商店街を陽留愛と歩く。

 前に通ったときより人が多いのは、年末だからか。


「その……ごめんね? 賢司」


「おまえまで謝るなよ。陽毬のことなら、オレだって」


「そうじゃなくて……依子のこと。陽毬が倒れたって、陽留愛が賢司に伝えなかったら――」


「伝えなかったら、おまえを恨むぞ。……依子のことは、オレが甘えすぎてたんだよ」


 決して良い彼氏なんかじゃなかった。

 認めたくなかっただけで、そんなことわかってんだ。

 依子ならきっとわかってもらえるって、他を優先させることが多かった。

 ろくに……構いもしなかった。


 でも本当は、オレだってさ。

 オレだって、ふたりの時間をたくさん過ごしたかったよ。

 もっと依子と一緒にいたかった。


 つまんねぇ性分してるよな。

 結局は自分を変えられなかったんだ。


「甘えてた? そうかなぁ……」


「え?」


 横顔に目を向けると、陽留愛はなぜかムスッと頬を膨らませて、いかにも言いたくなさそうに続ける。


「……賢司こそきっと、もう少し頼ればよかったんだよ。なんでもひとりで背負い込まないでさ。陽留愛が依子だったら……たぶんそう思う」


「……そうか」


 オレのことよく知ってる陽留愛が言うなら、そうなのかもしれない。


 情けないが、今でもたまに考える。


 あいつがいなかったら――。

 もし蒼介がいなかったら、オレにもやり直すチャンスくらい、あったんじゃねぇかって。


「それで? 陽留愛とわざわざふたりきりになって、賢司はなんの話したいのかな? 愛の告白!? 彼女に振られて寂しい心を陽留愛はいつでも埋めたげるよ!」


「いや全然ちげぇ。……楝蛇かがしって人のことは信用できるんだろうな?」


「ノリ悪っる! ……まあ、信用していいと思うよ。だって陽毬がうちに来るまで保護してくれてた人だし」


 陽毬に何かあったら連絡を、とその楝蛇さんは前々から双葉家に言伝てしていたそうだ。

 こうして陽毬の故郷に近い町に宿を取ったのも、楝蛇さんの進言に従っている。


 故郷の空気に触れていれば、きっとよくなるからと。


 でもどうにもな、顔も知らない相手を頭から信用するってのは大丈夫だろうか。

 陽毬のことを本当に心配してるのなら、顔くらい見せてもいいはずだ。


 そして陽毬のことで、もうひとつ懸念がある。


「……陽毬が夜、たぶん宿を抜け出してる」


「え……!? マジ?」


「まじだよ。陽毬の靴、朝見たとき泥だらけになってた。散歩にしちゃ……どこ歩いたんだか」


 やっぱり陽留愛も気づいてなかったか。

 出歩くなとは言わないが、夜中に誰にも言わず外出してるとなると話は別だ。

 これは昼間のうちに睡眠とって、夜に備えていた方がよさそうだな。


 徐々にずり落ちてきた、朝寧を背負い直す。


「……陽毬、遊びたかったのかな?」


「夜更けにか? なんの遊びすんだよ」


「でもさ、昔の陽毬なら――たぶん夜中でも遊びに出ちゃうよね!」


 子供の頃、田舎の山や川を駆け回っていたときの陽毬。

 たしかにあの頃のあいつなら、たとえば今だってオレ達が止めてもついてきたに違いない。


「元気だったよな」


「賢司より泳ぎうまかったし、いたずらもよくしたよね!」


 人通りの多い商店街をバックに、憧憬が浮かぶ。

 恋や進学に悩むこともなく、ただ毎日がひたすら楽しかった。


 語れば語るほど新たな思い出がよみがえり、いつまでも話題が尽きることはない。


「――そういや一度さ、遊んでたときに、陽毬の兄貴が来たことなかったか?」


「ああ――あった気がする! なんかめっちゃ陽留愛たちに怒ってた! 妹を取られたって思ったのかな」


 陽毬はどうして忘れてしまったのだろう。

 親のことも……妹思いの兄がいたなんてことも、覚えてないのはなぜなんだろうか。


 あのとき分け入ってた藪の中みたいに、人混みが背の高い草木とだぶって見える。

 そうそう、こんな感じの草を掻き分けて、陽毬の兄貴が――。


「え……なんで、賢司くん……?」


 ハッと意識が引き戻されると、すぐ正面。

 人の列の途切れた間から、こっちを見て突っ立っている依子と……蒼介がいた。

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