第80話 矢道の雪
昨夜はヨリコちゃんもマオも居間で寝てしまったらしい。
寝癖でぼさぼさ頭のヨリコちゃんとアイコンタクトを交わし、腹を出してかーかー眠っているマオに視線を向ける。
「んが……?」
ふと目を開けたマオが、固唾を飲んで動向を見守る俺たちふたりを、眠たげな瞳で見上げる。
「…………わたしが寝てる横でセックスした?」
「してねえよ!!」
どうやらこの感じ、いつものマオに戻ったんだろうか?
身をくねらせて両手を突き上げ、大あくびをかますマオに、ヨリコちゃんが詰め寄る。
「マオ、昨日のこと覚えてる? なんでここに来たか、とか。話した内容とか!」
「ええ〜……? なんでって、えーとソウスケが、青柳とエッチするとこ見せてくれるって約束をー」
「は!?」
「し、してないしてない!」
鬼の形相で振り向くヨリコちゃんに、首と両手を激しく振って無実を訴えた。
広く捉えりゃそういう約束かもしれないけど、今話すことでもないだろ!
「……あれー? でもわたし、なんでソウスケの実家の場所……日辻から聞いたんだっけ?」
「アサネちゃんに?」
実家がどこにあるかなんて、俺でさえ曖昧だったものがマオやアサネちゃんにわかるわけがない。
顔を見合わせたヨリコちゃんは、戸惑いの表情を浮かべている。
きっと俺も似たような顔をしてたと思う。
記憶の齟齬でも起きやすい村なのか?
どんな村なんだよ怖すぎるだろ。
「ねー……それよかお腹すいたなー」
時刻は朝10時を回ろうとしてるところだ。
みんな疲れてたんだろう、少し寝すぎた感はある。
ほんとは今日、帰るつもりでいたけど。
昨日のマオの……得体の知れないナニカの言葉が気になっていた。
「ヨリコちゃん、俺……いろいろ考えたくて。悪いんだけど、もうちょっとだけここに――」
「――! うん、うん、それがいいよ! マオも来たんだし、せっかくの冬休みなんだし楽しくやろうよ! そんなさ、悪いことばっかり起きないって」
何かを得るにはリスクがつきもの。
言われた言葉通りなら、今後も危険がある可能性は高いってことだ。
残ると決めたのなら、ぜったいにヨリコちゃんやマオに危害が及ぶようなことがあってはならない。
肝に銘じた。
「じゃあ、いったん町に下りようか? 人数も増えたし食材買い足さないと」
「賛成! じゃ着替えてくんね! ほら、マオも準備しな?」
「ちょ、わたし荷物とかなくねー? 寒みーしパジャマじゃんこんなん……自分が恐ろしいわー。青柳、服とかもろもろ貸してー?」
洗顔に着替えにどたばたと身支度を済ませたのち、俺たちは歩いてバス停へ向かった。
◇◇◇
年末が近いということもあり、ふもとの町の商店街はそれなりの人で賑わっている。
新年を迎えるにあたっての買い出しが主だろうか。
地元の人がこぞって買い物してるとすれば、開けてるのも今日か明日くらいまでの店が多そうだ。
学生らしき姿もちらほら見かけて、とくに男連中なんかはヨリコちゃんやマオに視線を向ける時間が長い気がする。
彼女がいない間は、人前でイチャイチャするカップルに爆発系最上位の魔術撃ってくれる魔法使いとかいねえかな、なんて思ったりもしてたけど。
いざこうして超かわいい彼女ができると、見せびらかしたくなる気持ちもわかる。
誇らしいような気持ちと……あと嫉妬と不安。
付き合ってるからって、それにあぐらかいて安心してちゃだめなことは、俺はよくわかってる。
「ああそっか、おせちかぁ……どうしよっかなぁ、一応材料買っとく? ……ソウスケくん?」
正直、未だに俺がケンジくんに勝ってる部分なんて想像もできない。
でもヨリコちゃんだけは……。
俺はずっと、ヨリコちゃんにとっての1番であり続けたい。
「顔がイッちゃってんなー。こいつぜってーいま頭ん中で恥ずいこと考えてんよ。つーか青柳おせち作れるってヤバくね?」
「ヨリコちゃんのおせち食いたい!!」
「ぁえ!? び、びっくりするから急におっきな声出さないでよ……。作るっていっても、ほとんど買うだけだし」
軒先に並べられたいりこの佃煮や黒豆を物色していると、店のおじさんが商売っ気満載の笑顔で寄ってくる。
「お、この辺じゃ見ないべっぴんさんだねぇ。どこから来たの? サービスするよ!」
「あ、えっと……」
「父の実家に帰省してるんです。家は山をあがってったとこにあります」
答えにくそうにしてたヨリコちゃんに代わり、横から口を挟んだ。
「へぇそう! 仲良さそうな姉弟でいいね!」
「恋人ですよ!」
「お、おおそうかい、ごめんな?」
お詫びにさらにサービスするというので、けっこうな種類の食材を購入した。
袋に詰めてもらってる最中もおじさんのしゃべりは止まらない。
「いやーでもこうして外からもお客さんが来てくれるようになって、感慨深いねぇ。この町も、それこそ上の村でも色々あったからな」
「いろいろって、なにがあったんですか?」
「数年前になるけど、雨が止まなくなったときがあってねぇ。土砂災害にさらに竜巻? なんてものがいっぺんに起きちまって。噂したもんだよ、ありゃあぜったいに呪――」
「――おい」
それまで口をつぐんでいたマオが、ゾッとするほど冷たい目で店のおじさんを静止した。
「こやつらには関係ない話だ。せっかく戻った客をまた失いたいのか?」
「あ……はは。そっちのお嬢ちゃんは、もしかしてここの出だったかい? す、すまないね、よーし、かまぼこもう一本つけとく!」
パンパンに膨れた袋を手に、店を離れた。
先をずんずん歩いていくマオの背を、ヨリコちゃんと少し遠巻きから見つめる。
これは、また昨夜のマオに違いない。
何かに取り憑かれてんのかな。
神社とかでお祓いしてもらったほうがいいかもしれない。
ふと、足を止めて振り返るマオ。
「蒼介よ、せっかく町まできたのだ。ついでに聞き込みでもしたらどうだ」
「聞き込み……あ、ああ! そうだな、聞いてみよう」
「まったく。浮かれるのもいいが、本来の目的を見失うなよ?」
中身はともかく、ガワがマオなので呆れられるとなんとも言えない気持ちになる。
とりあえず年配の人を中心に、商店街を声をかけながら回る。
四肢断ちという言葉については、誰にたずねてもピンときてない様子だった。
マオの文集に書かれていたことが事実なら、藩が存在したのなんて江戸や明治の話だ。
やっぱり現代には、四肢断ちの呪いなんて残ってないんじゃないだろうか。
一方で、四半的は今でも愛好してる人がけっこういるらしく。
よく競技が行われてるという、公民館のような場所をすぐに教えてもらえた。
「――で、来たのはいいけどさ。鍵かかってんじゃない?」
ヨリコちゃんの指摘通り、公民館らしき建物の引き戸は施錠されていた。
あたりは人気の少ない住宅地だけど、よそ者が公民館の引き戸をガチャガチャやってるのは見栄えがよくない。
「まあ、また今度出直して――」
帰ろう。と言い終える前に、引き戸の前にマオが立つ。
戸に向けてマオが手をかざすと、信じられないことにガチャンと音が鳴った。
「え……マジ?」
驚愕する俺とヨリコちゃんをよそに、マオはカラカラと引き戸を開けて公民館の中へ入る。
「ちょ、ちょっと待てって!」
周囲に目をやりつつマオを追うと、中は広い板張りになっていた。
射場……というんだろうか、板張りの奥の中庭は芝生が敷かれ、弓道で見たことあるような的も設置されている。
板張りの一部が畳になっている点を除けば、素人目には弓道場と遜色ない。
中庭へと大きく開放された板張りの射場は、とても冷え冷えと寒かった。
マオは射場を見回し、端に保管してある袋のひとつから弓と矢を取り出す。
ヨリコちゃんに借りているダウンジャケットを脱ぎ、弓に張られた弦を指で撫でた。
マオは静かに、畳敷きの射座へ歩みを進める。
その顔も所作もあまりに真剣で、俺もヨリコちゃんも声をかけられなかった。
「あ……雪……」
ヨリコちゃんの呟きに、中庭へ目を向ける。
どうりで寒いはずだ。
軽く細かな雪が落ちてくる中庭を見つめながら、マオは的とは横向きに正座した。
半身に腰をひねり、指先でつまんだ矢を弓につがえる。
ゆっくりと弦を軋ませ、引き絞り――放つ。
冷たい空気を切り裂く飛翔音は一瞬。
直後には、矢が的の中心に突き立っていた。
拍手……するような雰囲気でもなく。
ただ完璧な動作に見惚れて突っ立っている俺たちを、マオは振り返らずに。
「見ろ……なんの感情もない。もうこれを射ても、憎しみも恨みもないのだ。なのに」
言ってる意味はよくわからない。
でも表情の少ないその横顔はすごく辛そうで、悲しそうにも思えて。
白くて綺麗な雪が、まるで慰めのようにいつまでも舞っていた。
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