第79話 unknown

 またもイヤな緊張を味わいながら玄関へ向かう。


 いや、矢文と違って明確に訪問者だとわかる分、さっきよりも手汗がすごい。

 こんな深夜に訪ねてくる客なんて、ぜったいにまともじゃないだろ。


 玄関にたどり着いても、まだ引き戸は叩かれてる。


「あ、開けるよ? ヨリコちゃん」


「う、うん。気をつけてね……」


 背中にはヨリコちゃんが張りつくようにべったり寄りそっていた。

 深呼吸をひとつして、思いきって引き戸をガラガラ開けると。


「――ぶああああざむいざむい死ぬゔゔゔゔ!!」


 倒れ込むように突入してきた人物が、玄関と床板の段差に足を引っかけ盛大にすっ転んだ。

 呆気にとられてその人物――マオを見下ろす俺とヨリコちゃん。


「お、おい……大丈夫か?」


 歯をガチガチ噛み鳴らして震えるマオは、起き上がる気配もなく、頬に触れてみると氷みたいに冷たい。

 鼻水も垂れ流していた。


 疑問はたくさんあるけど今はそれどころじゃなさそうだ。


「ヨリコちゃん、とりあえず居間に運ぼう! 手を貸して!」


「わ、わかった!」


 ふたりで両脇からマオを抱え起こして、居間までずるずると引きずったのちに暖房器具をフル稼働させる。

 プレゼント交換したばかりのブランケットとマフラーを活用してもこもこに温めてやった。


 数分が経過して、青白い顔にも血色が戻ってきたように見える。


 マオの瞳がゆっくりと開いた。


「……ふぅ……助かった。礼を言う、ええと蒼介、青柳依子」


「なんであたしフルネーム?」


「それよりこんな時間にどうしたんだよ? 連絡くれれば迎えにくらい行ったのに」


 むくりと上半身を起こして、体に巻きつけていたマフラーとブランケットを剥ぎ取るマオ。

 無表情から一転、神妙な面持ちになって言う。


「なに、ちと嫌な予兆があってな。……人の身など久しく体感しておらんので、醜態をさらしてしまった。やはり冬は寒いなぁ」


「…………」


 ツッコむところなんだろうか。

 ヨリコちゃんも、眉間にしわを寄せてマオを見つめている。


「ところでどうだ、故郷は。なにか記憶の糸口でも見つけたか?」


「俺の記憶について話したっけ? ……まあ、ぜんぜんだよ。未だに故郷だなんて実感もない」


「ふむ……」


 冬の山を訪れるにしては軽装というか、かろうじて防寒してるのは大きめのパーカーだけという寝間着スタイルで、マオは片膝を立てると顎に手をあてた。


 オシャレを好むマオにしてはめずらしい格好だ。

 いつもファッションチェックする俺への当てつけだろうか。


「しかし記憶なんてものは、忘れているのなら取り戻さない方がいいこともある。特におまえに施されているものは強力だ」


「えと……よくわかんないんだけど。でも、俺の記憶についてはもういいんだ。明日にはこの家を出るつもりだし」


 一応、矢文が飛んできたことなんかも説明した。

 心配してここまで来てくれたんだろうし、現状を伝えないのは不義理だと思ったから。


 黙って聞いていたヨリコちゃんが、悔しそうに顔を伏せる。


「でも、やっぱりあたしはソウスケくんにちゃんと思い出してほしい。だって家族で過ごした時間、大事じゃん。お父さんとかお母さんとか、姉弟とか。顔もわからないなんて、そんなの……」


「そうだ! よく言った青柳依子!」


「だからなんでフルネーム!?」


 おもむろに立ち上がったマオが、俺の周囲を旋回するように居間を歩きまわる。


「おまえはどうだ蒼介、本当にこのまま逃げ帰ってもいいのか?」


「いやさっきと言ってること真逆じゃねえか! リスク冒してまでやることじゃないだろ」


「何かを得ようとするならば危険はつきまとう。そんなこと太古の昔から決まりきっているというのに、現代はずいぶん平和ボケが進んでいると見える」


 どの目線からしゃべってるんだこいつは。


「四半的に四肢断ち。掴んだ情報をせめて確認だけしてみろ。わざわざこうして出向いてやったのだ、大船に乗ったつもりでいるといい」


 まじですげえ上から目線をかましたのち、どっかと座ると掘りごたつに足を放り投げ、マオは俺に向けて顎をしゃくる。


「ところで腹が減ったな。甘味はないか? 氷菓でもいいぞ」


「氷菓って、アイス? 凍え死にそうになったんだからやめとけよ。……緑茶とか、冷蔵庫になにかしら食べ物はあるから、適当につまんでいいよ」


「はーやれやれ! 客をもてなすこともできんとは! 神罰が下るぞ、はーまったく!」


 たしかに悪いとは思ったけど、もてなす気にはとてもなれなかった。

 ぶつくさ文句を言いながら、教えてやった台所へとマオが消えていく。


 居間に残った俺とヨリコちゃんは、顔を見合わせた。


「……なぁ……ヨリコちゃん」


「……うん、言ってみて」


「あいつ、マオじゃなくね?」


 どう考えても人格が変わり過ぎだろ。

 どことなく覚醒したアサネちゃんを彷彿とさせる言動だ。


「あたしもめっちゃビビったけど……悪いひとじゃないんじゃない? たぶん」


「そうかなぁ……」


 マオの人格みたいなものは、どうなってるんだろうか。

 消えてなくなったりしないよな?

 色々ありすぎて、疲れてうまく脳が働かない。


 高級アイスを手に戻ってきたマオらしきものが、ご機嫌で食レポするのをぼんやり眺めて。

 掘りごたつの暖かさにウトウトと舟を漕いでいたら、少しずつ意識が遠くなって眠りに落ちた。

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