第82話 ざわつく心

 双葉さんと並んで目を見開き、ケンジくんは言葉も出てこない様子だった。

 でも驚いたのは俺も同じだ。


「なんで……ケンジくんが……?」


 ヨリコちゃんが呆然と呟いて、空気を変えようとしてか双葉さんがあわあわと身振りを交えて説明する。


「ひ、ヒルアの妹がね? 近くに知り合いがいるからみんなで遊びに来てて! したらアサネがいつものお眠りモードだから散歩がてら? 外に出たら起きないかな〜って!」


 見るとケンジくんは、たしかにアサネちゃんを背負っているようだ。

 顔は険しく、視線は俺とヨリコちゃんを行ったり来たりしている。


「おっと。ずいぶん心配をかけてしまったらしいな。……悪いことをした」


 いきなりそんなことを口走ったかと思えば、マオの膝が一瞬、カクンと折れた。

 前のめりに2、3歩進んで、辺りをキョロキョロ見渡すマオ。


「あれー……わたし……。そっかー、買い物……」


 発言が曖昧だけど、少なくとも何をしていたかはわかるらしい。


 直後にケンジくんの背中から、アサネちゃんが勢いよく飛び降りる。

 体操選手のように着地でYの字を決めたアサネちゃんは、目もとをごしごしこする。


「あ、朝寧!? 起きたのかよおまえ、心配したんだぞ」


「うむ。いつも気にかけてくれてありがたく思う。賢司に陽留愛よ」


「謎の上から目線だよねまったく! まあ、アサネも起きたんなら……ヒルアたちはこれで――」


 アサネちゃんの手を引いて、気まずそうに反転する双葉さんを、だけどケンジくんは止めた。


「待てよ陽留愛。オレはこいつらに話がある。依子が聞く耳もってくれないってんなら……蒼介、おまえだ」


 隈が色濃く浮き出た瞳は、憔悴しきった印象を受ける。

 俺だって、ケンジくんとはいずれ話をしなきゃいけないと思ってた。


 見る者を不安にさせるようなケンジくんの姿に、ヨリコちゃんは何か言いかけて、口をつぐんだ。

 たぶん……“大丈夫?”だとかそんな言葉でさえ、自分には言う資格が無いとでも思ってるんだろう。


 だから俺が話をして、納得してもらう。


「ヨリコちゃんは、筋は通したはずです。ちゃんと別れ話を切り出した」


「おまえにオレの気持ちなんてわかんねぇだろ」


「わかりますよ」


 まじで痛いほどわかる。

 だからケンジくんの行動を、みっともないなんて微塵も思わない。

 弁明や反省くらいさせてくれって、俺なら泣きつくかもしれない。


「俺だって最初はヨリコちゃんに振られたから。あのときは、ぜんぶどうでもよくなって……だから」


 歯を噛みしめて、ケンジくんが俯いた。


「……オレと別れた理由が、おまえと付き合うためってんなら、まだ納得できるよ。でも実際は違った。オレもおまえも振られたんだよ、そうだったよな。だったらそれがなんで、今になって……!」


「それは……」


 ヨリコちゃんに直接聞いたわけじゃない。

 ないけど……。


 差なんて、ほとんどなかったんだと思う。

 俺にはヨリコちゃんを追いかける時間があって、ケンジくんはそうじゃなかった。


 運だとか間だとか。

 そういった要素で片付けてしまえるほどの違い。

 だってやっぱり一緒に過ごす時間が長いほど、気持ちはその人に傾いていくものだと思うから。


 俺がそうだったように。


「ケンジくん、俺は――」


「なんかめっちゃ体冷えてきたー……はよ帰ろーぜソウスケ」


「いま俺しゃべろうとしてただろ!? 空気読んでくれよ!!」


 信じられない思いでマオを睨みつける。

 絶対にインターセプトする場面じゃなかった。


 ケンジくんが頭を振って、あらためて俺へ向き直る。


「とにかくオレはな、蒼介――」


「腹が減ったな。賢司よ、昼はコロッケがいい」


「そうめんだよ朝寧ぇ!! 今まで寝といてちょいと神経図太すぎやしないか!?」


 アサネちゃんは半目でケンジくんを見上げて、アホ毛をぴょこぴょこ揺らしている。

 あっちはあっちで大変そうだった。


「け、ケンジ、あのね」


「今度はなんだよ陽留愛!」


「ユウナから連絡きて、ヒマリがちょっと調子悪いみたい」


「なに!? ……そうか、わかった。急いで帰ろう」


 ヒマリ……?

 双葉さんの妹の名前だろうか。

 そういえば、妹さんの知り合いに会いに来たとか言ってたな。


 でもちょっと様子が不穏だ。


「あの、大丈夫なんですか? 双葉さんの妹、調子が悪いって……」


「おまえには――……いや、蒼介。おまえは、なんでここにいるんだ?」


「俺は……その、家庭の事情っていうか。この先にある集落は、俺の生まれ故郷みたいなんで」


「みたい? ……まあいいや、邪魔したな」


 それまで俯いていたヨリコちゃんが、意を決したように顔をあげる。

 去っていくケンジくんの背中へ、声を張りあげる。


「あたし……っ! あたしね、ソウスケくんのことが好き! 好きなの! だから……ごめんなさい……っ」


 一時のあいだ立ち止まって。

 少し肩が震えてるようにも見えて。

 そのあとケンジくんは背を向けたまま、片手を軽くあげて立ち去っていった。


 まるで自分のことみたいに胸が苦しくなる。

 俺にとって恋敵だったケンジくんは、同時に尊敬する相手でもあった。

 ただその後ろ姿を目に焼きつけて、ヨリコちゃんを一生大事にするって心で何度も誓った。




 お通夜のごとく静まり返ったバスの車内で、マオだけがひとり話し続けている。

 もしかしてさっきの間の抜けた割り込みも、マオなりに気を使ってくれたのかもしれない。


 相づちを打ちながら、ふと気になっていたことをたずねる。


「そういやマオさ。あの文集、四半的とか四肢断ちとか、どっから情報仕入れたんだ?」


「はー? 情報? わたしら都市伝説創作部よー? あれ書いたときはねー、なんかめっちゃくちゃ眠くなってー。でもウトウトしてたら急にビビビー! ってなんか乗り移ったみたいになって……つまり天啓よー天啓!」


 バスの天井を見上げてマオは顔を輝かせている。


 乗り移ったって、アレ……定期的にマオの人が変わるのも、やっぱアサネちゃんが原因か?

 さっきケンジくんたちに会ったときのマオやアサネちゃんを見る限り、そうとしか思えない。


 アサネちゃんの中に何かいるのか、もしくはアサネちゃん自身の仕業なのか。

 どんな存在かよくわからないんだよな。


 と、そのとき。

 車内にいる俺たち3人のスマホが一斉に鳴った。


「ショートメッセ……アサネから?」


「んー? わたしのも。日辻に番号教えたっけなー」


 俺に届いたショートメッセージも送り主はアサネちゃんだった。

 メッセージはひと言だけ。


“蛇が来るぞ。心していろ”


 そう書かれていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る