第83話 どっちもどっち
蛇が来る――。
アサネちゃんから送りつけられたメッセージが頭から離れない。
俺が夢や幻覚で見る蛇。
そしてアサネちゃんの忠告。
ふたつの不吉な要素が合わされば、いやが上にも不安な感情は高まる。
こっちにはヨリコちゃんやマオもいるんだ。
確実に危険は回避しなければならない。
バスを降りて実家へ向かう道すがらでも、緊張しながら辺りを注視していた。
十二分に警戒していた。
――なのに。
その男性は、ごく自然にやわらかい物腰で、俺の意識の外からするりと入り込んできた。
「こんにちは。もしや弓削……蒼介さん、ですか?」
目を細めて微笑む、柔和な人相。
シワの深さから考察して40〜50代だろうか。
白髪混じりの髪をオールバックに撫でつけて、細身のグレーのスーツを清潔に着こなしている。
「え……あ、はい」
実家の玄関先で声をかけられ、思わず素直に返答すると男性は「やっぱり」と笑みを深くした。
「家を使用した形跡があったもので、もしかしたらと思ったのです。それにしても……大きくなられましたね、見違えました」
言葉通りに解釈すれば、普段からこの家に頻繁に出入りしてる人物ということになる。
そして俺のことも知っているらしい。
「ソウスケくん、このひと……ほら、前に近所のおじさんが言ってた」
ヨリコちゃんが俺の耳もとで囁いた。
ちょうど同じことを考えてた。
「あなたが、楝蛇さんですか? この家……あの、勝手に入っちゃって、その」
「たしかに現在の所有権は私にありますが、なに些細なことです。外は寒い。さ、お友達もご一緒に中へ入ってください」
促されるままに、自分のものだと思っていた家へ「……お邪魔します」とあがる。
楝蛇さんはテキパキとストーブを点火し、掘りごたつのスイッチを入れた。
「エアコンの方がよかったです? どうにも私はこっちの方が好みでして。慣れですかね」
「いや、俺も暖かくて好きです。ストーブも、こたつも」
「ならよかった」
にこにこと、楝蛇さんは笑みを絶やすことがない。
ストーブの上でやかんの湯を沸かし、それでみんなの緑茶を淹れてくれた。
何を話せばいいんだろう。
聞きたいことは山ほどあるはずなのに、うまく言葉が出てこない。
そんな折、楝蛇さんの方から口を開く。
「蒼介さん……お気を悪くされたら申し訳ないのですが、私のこともしかして覚えておりませんか?」
まあ、普通に会話してたら気づかれてもしょうがない。
とくに俺のことを知っている相手なら、返答にも違和感しかないだろうからな。
「……こっちこそ悪いです。あなたのことだけじゃなくて、俺はこの家のことも、家族のことも忘れてて」
楝蛇さんはしばらく俺をじっと見つめたあと、目を伏せて緑茶をすすった。
「それも仕方ありませんよ。幼い蒼介さんが受け止めるには、あまりにも残酷な事故でした」
事故……? 残酷って。
「あの、教えてください! 俺の家族は、今どこに? どうなったんですか!?」
「あなたのご家族は……あなたがまだ幼い頃に交通事故で亡くなりました。ご両親も、妹さんも」
「そんな……っ」
ヨリコちゃんが口もとを手で覆い、顔を歪ませた。
交通……事故。
親も、妹も。
「ぅぐ……」
ズキリと頭に痛みが走った。
荒くなる呼吸を抑えながら、楝蛇さんにたずねる。
「……幼い頃って、俺がいくつくらいのときですか?」
「たしか、小学校にあがってすぐくらいでしたかと。妹さんは、よく蒼介さんに懐いておられましたね。……残念なことです」
真っ白いもやが脳にへばりつき、もやの途切れを覗こうとすれば頭痛に見舞われる。
それでも必死に頭の中をクリアにしようと集中して、震える手がテーブルの湯呑をガチャンと突き倒してしまう。
「ソウスケくん! 大丈夫!?」
そうだ、いつか見た映像。
家族の団欒。
親父が、母さんが笑って、妹が悪態をついて。
じゃあ、あれはなんだ?
妹はそんなに幼くなかったはずだ。
あの記憶も、俺が作り出した嘘っぱちなのか?
「蒼介さん、少し横になった方がいい。私はもう帰りますが、みなさんはどうぞここでくつろいでいってください」
「え? いいんですか? でもあの、宿泊費はお支払いします」
俺の背中をやさしく撫でつつ、ヨリコちゃんが楝蛇さんに申し出た。
楝蛇さんは立ち上がり、スーツのしわを伸ばすと。
「いいんですよ。私は蒼介さんのご両親と親友でした。勝手ながら蒼介さんのことも息子のように思っております。そのご友人であればなんの遠慮もいりません」
目を細めて笑い、居間を出ていこうと背中を向ける。
俺は慌ててその背を呼び止める。
「ま、待ってください! 本当に、事故なんですか!? 親も、妹もみんな死んだんですか!?」
楝蛇さんは振り返らず、少し斜め上へ首を傾けた。
「……蒼介さん。本当のところを言うと私はね、あれは事故だなんて思ってない」
「ど、どういうことですか?」
「あれは呪いですよ。“四肢断ち”のね。……みなさんも決してアレには関わらぬよう、お気をつけください」
期待した答えとはまったく別の忠告を残して、楝蛇さんは家を出ていった。
せっかく布団を敷いてくれたヨリコちゃんには申し訳ないけど、大丈夫だからと横になることを拒否する。
居間に3人座り込み、新しく淹れ直したコーヒーを無言ですすっていた。
ちなみにストーブの上では、昼に町で買ってきた丸餅を焼いている。
ちょっと頭を整理したい。
四肢断ち――それはアサネちゃんやマオに度々乗り移っているアレのことだろうと思うんだけど。
色々と助言らしきものをくれたり、どこか憎めなかったりして盲目的に信じていた。
けどもし危険な存在だとしたら。
楝蛇さんの言う通り、関わり続けていいんだろうか。
「……あいつの言うこと、信じんのー?」
「そういやマオ。楝蛇さんがいるあいだ、ぜんぜんしゃべんなかったな」
「なんかねー。わたしはあんま、好きじゃない」
「そうかな? あたしはわりと良いひとじゃんって思ったけど」
俺も……印象は悪くない。
マオが楝蛇さんを嫌う理由がもう少し明確なら、うなずける部分もあるかもしれないけれど。
「まーわたしのは、ただなんとなくって感じだから。あんま気にせんでいーよ」
……でも。
なんとなく嫌いだって言ってるのが、マオだから。
楝蛇さんでも、四肢断ちなんてものでもなく、マオだからこそ俺はその直感を信じたい。
「明日、村を回って楝蛇さんのこといろいろ聞いてみようと思う。ヨリコちゃんは、アサネちゃんに会う時間作ってくれないか聞いてもらえるかな」
「おし、わかった! 探偵ヨリコの実力を見せるときがきたね!」
「たんてー餅が焦げそうだから取ってー?」
「あッッッづ!?」
「ヨリコちゃん箸使わないと!」
家族は死んだ。
どことなく現実感がないのは、心から信じきれてないからだと思う。
いないならいないで、ちゃんと納得のいくまで調べようと決めた。
それがここまで付き合ってくれたヨリコちゃんやマオへの恩返しにもなると信じて――。
「はーい、お餅にあんこ乗せたよー」
「はー!? 餅つったらきなこでしょーが!」
「ふつう砂糖醤油だろ……?」
見ろよこのチームワーク。
無敵だろ。
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