第33話 さしずめBAS

 ついてない。

 と思いつつも、予期せぬアクシデントで気分が高揚してる自分に気づく。

 たとえるなら、幼い頃に家の窓から眺めた台風の日みたいな。


 そうだな。

 前向きにいくか。

 ついてないなりにせめて、相合傘の恩恵にくらいあずからせてもらおう!


 コンビニで買った傘のビニールを外してもらい、すぐに来た道を引き返す。

 駅へ向かうひと達と逆方向にすれ違いながら、出店の撤収作業も忙しそうな神社へ戻った。


 ふと、鳥居をくぐってこっちへ歩いてくる女の子が視界に入る。

 夏休みだというのにうちの学校の制服姿で、背がとても小さい。


 あの子は、たしか。


 どしゃ降りの中を傘もささずにゆっくりと、女の子は俺のとなりを通り抜け――。


「……正しい目をもって物事を判断するがいい。そうでない者に世界は冷たく、やがては排斥される」


 すれ違いざまにそんなことを呟いた。


「ゆめゆめ、忘れぬことだ」


「あ、おいちょっと待って!」


 女の子を呼び止め、バシャバシャと駆け寄る。

 振り向くその子の顔は、やっぱり見覚えがあるものだった。


「ええっと、たしかファミレスの……」


「――日辻ひつじ朝寧あさね


 そう、アサネだ。

 双葉さん達からそう呼ばれていた、よく眠っていた子だよな。


 しかしちっちゃい、ほんとに高校生か?


「びしょ濡れじゃないかよ。ほら、これ持って」


 濡れてるわりには、丸いシルエットの青みがかった髪からアホ毛がぴょこんと伸びていて、不可解さに頭をひねる。


 差していた傘を持たせてやり、ついでにすぐそばの撤収作業中の屋台でりんご飴を買う。


 屈んで、傘と反対の手に持たせた。


「はいこれも。気をつけて帰れよ?」


「……みかん飴の方が好きなのだが」


「いや知らねえよ!? とにかく俺、急いでるから! じゃあな!」


 りんご飴をペロペロ舐めながら、じっと俺を見つめるアサネちゃんを置いて走る。


 まじで変わってるな。

 傘が無くなっちゃったけど、まあしょうがない。




 石段を駆け登って、目的の場所へ到着する。


 ヨリコちゃんの言っていた屋根つきの東屋はたしかに存在して、スマホの明かりらしきものがもれている。


「ソウスケくーん! こっちこっち!」


 雨にヒィヒィ言わされつつ東屋に駆け込むと、ヨリコちゃんが浴衣の裾を捲ってしぼっている最中だった。


 水滴が流れる白い足。

 床板にポタポタと落ちて広がる染み。


 ダメだ、足を凝視すんのはよくなかった。

 頭をぶるぶると横に振る。


「あはは! 犬みたい! てか傘は?」


「ごめん、ずぶ濡れの子にあげちゃって」


「なにそれ!? ふぅん……どうせ女の子でしょ?」


「い、いや、まあ」


 その女の子がアサネちゃんだということは、言わないでおいた。

 ケンジくんが監視でも差し向けたのか、なんて勘繰っちゃわないだろうかと思ったから。

 真相はわからないけど。


 しぼった浴衣のシワを伸ばすと、ヨリコちゃんは長椅子に腰かける。


「どうせふたりともびちょびちょだし。ソウスケくんも座んなよ、雨やどりしよ?」


 自身のとなりをポンポンと叩いてヨリコちゃんが俺を誘う。

 素直にしたがって、ヨリコちゃんのすぐ真横に座った。


 息づかいや、ともすれば体温まで感じられそうだと錯覚するほどの至近距離。

 克服したはずの緊張がふたたび顔を出して、誤魔化すためにハンカチを取り出す。


「貸して? 拭いたげる」


 ハンカチはすぐヨリコちゃんに奪われ、俺の髪を何度も往復してさすった。

 濡れたハンカチは水滴を拭き取る効果がうすく、これじゃただ頭を撫でられてるだけだ。


「ありがと。いろいろ、がんばったね?」


 くっ……。

 なんかまた、マウント取られてる気がする。

 言い返さなくては。


「がんばりまちたね、て言わないのか?」


「言わねぇし。……言ってほしいの?」


 くすくすと笑うヨリコちゃん。

 恥部を突いたのに余裕をみせるとは。

 こいつ成長してやがる。


「あれけっこう衝撃だったんだけどな」


「いいよもう。ソウスケくんには、なんか恥ずいとこぜんぶ知られちゃった気するし。今さらな感じ」


「たしかに。最初の間違い電話からひどかったもんな」


「ま、まぁね? ……そう考えると、なんかふたりでこうしてるのが不思議」


 雨の降りしきる夜に、誰もいない東屋でふたりきり。

 肩が触れ合うような距離で、頭を撫でてもらいながら会話する。


 あの頃の俺が知ったら“何がどうしてそうなった!?”と驚くだろう。


「マオを紹介したら、その場で付き合っちゃうし」


「翌日に破局したけど」


「海も行ったね」


「あれは楽しかった」


「あ、弟がまたゲームしたがってたよ?」


「ヨリコちゃんさえよければ、また遊びにいくよ」


 わりと綺麗な思い出ばかり語っているけど、実際はこの数倍ひどい思い出があるような気がする。


 東屋の屋根をバラバラとリズミカルに打つ雨音。

 それにヨリコちゃんの囁くような声が相まって、まるでここが世界から隔絶された空間みたいに思えてくる。


 世界にふたりきりだとしたら、俺はもう感情を隠さなくていいんだろうか。

 自分をさらけ出してもいいのかな。


「……だいたい、なんで寝取られ報告なんかしようと思ったわけ?」


「そ……それは……前に言ったかもしんないけど、かまってほしくて。それでマオに相談したら……」


「やっぱりマオか。そんなの寝取られマイスターのマオだから成立する話で、一般の男はドン引きだよドン引き」


「マイスター……寝取られってそんな奥深いものなわけ?」


「いや、俺も詳しくはないけど。寝取り寝取られ、寝取らせとか。あとBSSなんてものもあるらしい」


「BSS? なにそれ?」


僕が 先に 好きだったのに


「――ぷっ」


 ヨリコちゃんが腹を抱えて笑い出す。

 ツボにハマったときの笑い方を見てると、ほっこりした気持ちになる。


 俺も、つられて笑みがこぼれた。


「なにそれえ? 先とか後とか関係ないじゃん! ねぇ?」


 とっさに返事ができなくて。


「そうだな……」



 僕は・・ あとから・・・・ 好きになった・・・・・・



 さしずめBASってか?

 笑えねえ。

 笑えねえんだよ、くそ。


 先に好きだったなら、まだいい。

 感情の持っていきどころがあるから。

 動かなかった自分にでも、横からかっさらっていった相手にでも。

 思う存分、恨み節をぶつければいい。


 すでにもう恋人がいて、そんな相手を好きになったらどうすりゃいいんだよ。

 なんでもっと早く出会えなかった。

 なんであと2年早く生まれなかった。


 誰にこの気持ちぶつけりゃいいんだ。

 悪いのは誰だよ? どこに存在する。

 彼女にするチャンスすらくれなかった神にでも文句言えばいいのか?


「……ケンジくんはさ、すごくあたしのこと考えてくれてるんだって、ほんとはわかってる」


 ケンジくんのこと語り出しちゃったよ。

 人の気も知らないでいい気なもんだ。


「あたし達の将来、未来をちゃんと考えて、行動してくれてる。……わかってるんだけど、あたしも相応の何かをしなくちゃいけないって。それよりも今……今のあたしを見てほしいって」


 まだまともな顔が作れそうにない。

 真正面の空間を見つめたまま「うん」と返事した。


「……なんて。すっげぇ贅沢で、わがままな悩み。なぁんでこんなろくでもない女、選んでくれたんだろね」


 ほんとにな。

 なんで選んじゃったんだろうな。

 答えなんてきっと出ないんだ。


「ソウスケくん、雨あがったみたい!」


 東屋を飛び出したヨリコちゃんが、俺を手招きする。


 そういえば、いつからか雨音も聞こえなくなっていた。

 立ち上がり、ぬかるんだ地面に足を踏み出す。


「んー……まだちょっと、降ってるかな?」


 空を見上げながら、両手を広げてくるくる回るヨリコちゃんは、子供みたいに楽しげで。

 いつまでもこの女の子のそばにいたくて、胸が苦しくて。


 いっそ――。

 望みが叶わないなら、いっそのこと、ここで好きだと言ってしまおうと。


 暗く淀んだ決意を腹に飲み込んで、ヨリコちゃんのもとへ向かう。


「……ヨリコちゃん」


「ん? なぁに?」


 強い風が吹きつけて、濡れ髪を押さえるヨリコちゃんを正面から見据えた。


「ヨリコちゃん。俺は、俺……ヨリコちゃんが」


「うん。……言っていいよ」


 ほんの少し首をかしげたヨリコちゃんは、やさしく微笑んでいる。

 まっすぐすべてを見透かすような瞳だけが、どうしてか悲しそうに見えた。


 なんで、そんな顔。


「俺は――」


 ヒュルル……と、ふたたび俺の言葉をさえぎる、花火の昇り曲が突然に響いて。

 夜空に大きな大きな花火が、一度だけ咲いた。


「わぁ……きれーい」


 濡れずに残ってた花火があって、それをサプライズで打ち上げてくれたんだろうか。


 花火が赤く照らしたヨリコちゃんは、今日一番に笑っている。

 ヨリコちゃんの今、現在。そのものの姿が目に焼きつく。


 ケンジくんに見てほしいと、ヨリコちゃんが願った笑顔は、なんの皮肉か俺の前にあった。


 言えるわけがない。

 ヨリコちゃんは俺の告白を喜ばない。

 言えばもう終わってしまうとわかっているから。


 自分が解放されたいがために、この顔を曇らせていいわけがなかった。


 胸の苦しみが横恋慕の罰だというなら、受け入れるよ。

 だから最後まで楽しいままいてほしい。


「俺、今日はまじで一生の思い出になったよ! ありがとう!」


 せっかく精一杯の笑みを作ったというのに、ヨリコちゃんの顔が一瞬でひどく歪んでしまった。


「――お礼は、あたしが……」


 口をぎゅっと結んで、顔を伏せるヨリコちゃん。


「……あたしね? 察し、いいんだよ? これでもね」


 察し。

 なんだ、何を言おうとしてんだ。


「いっぱい。いっぱい、我慢してくれたんだね? あたしのため、だよね? ごめんね、あたしがずるくて、たくさん傷つけちゃった」


 ヨリコちゃんのため?

 なに言ってんだ。

 自意識過剰はいつまでも治らないらしい。


 顔をあげたヨリコちゃんは、無理矢理笑おうとしたみたいだけど、もう出来てなかった。


「なぁんにも悪くないのに、きっと、罪、みたいに感じてんでしょ? あはは」


「……っ。そんな、こと」


「あたしもさ、ひとつ背負うよ、罪――」


 ヨリコちゃんの両手が伸びてきて、頭を引き寄せられる。

 黒い浴衣のひまわりが眼前にせまって、そのままやわらかい胸の中に顔が埋まった。


 やわらかさの奥に、とくん、とくんとヨリコちゃんの鼓動を感じる。


「だれにもぜったい、知られちゃいけない、ふたりの秘密……だから。死ぬまでずっと、抱えなきゃいけない、あたしの罪」


 死ぬまでとか、重いんだよまじで。

 なんでこんな馬鹿なことするんだ。

 酔ってんのか?


 せっかく楽しい夏休みで、締めくくろうと思ってたってのにな。


「……あたし、こんなじゃなかったのに。……やさしすぎんだよ、ばかやろぅ……」


 誰もいない神社の奥まった空間は、このときだけたしかに世界から隔絶されていた。


 細い腰に腕を回したい衝動をぐっと堪えながら、夏祭りの夜は終わりを迎える。


 同時に恋心を認めたこの夜からはじまったんだ。

 胸が焦がれる悶々とした日々が。

 最強彼氏の存在にやきもきする毎日が。


 マオあたりに言わせれば、それを地獄と呼ぶんだろう。

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