第65話 寝取られ報告集大成

 体育館の照明が完全に落とされ、すべての窓にカーテンが引かれる。

 おとずれた闇にざわめきが起こる。


 けれどやがて、それも静かになった。


 俺は軽く咳払いして、マイクを口もとに運ぶ。

 内容は完璧に暗記している。


『“――それは、暑い夏の夕暮れ。

 彼は早めに入浴を済ませ、自室でくつろいでいるところだった。

 昼の熱気がこもっているのか、エアコンはつけているはずなのに部屋は蒸し暑い。


 彼――……仮にSくんと呼ぼうか。

 Sくんは暑さにうんざりしながらも、翌日から始まる夏休みを心待ちにしていた。

 なにせ高校生になってから初めての夏休みだ。

 どこに遊びに行こうか、女の子との出会いもあるかもしれないと心を昂ぶらせていた。


 と、ふいにSくんのスマホが鳴る。

 着信のようだが、未登録の電話番号だ。

 少し不審に思いつつもSくんは電話に出る”』


 ここで、舞台上で椅子に座っている魚沼くんを、スポットライトがカッと照らす。

 魚沼くんはスマホを耳へあて。


「……もしもし? ……あれ? もしもし」


『“――Sくんがいくら呼びかけても、電話の相手は反応しない。

 いやしかし、何か微かな音がするような……。

 Sくんは耳を澄ました。


 するとそれは吐息混じりの、女性のすすり泣く声にも聞こえる。

 怖いな、気味が悪いなぁ、そう思いながらも聞き入っていると、どうもボソボソと何かしらを呟いている。


 ――くん。――……くん。


 誰かの名前だろうか? さらに耳をそばだてる。


 ――……Kくん。ねぇ……Kくん。


 女性は確かにそう名前を呼んでいた。

 聞き覚えのない名前。

 そんな名前の知り合いもいない。

 だから、Sくんは思いきって電話口にこう返す”』


「あ、あの……電話、間違えてますよ」


 魚沼くんの震え声に、息を呑む客席の気配が伝わってくる。

 いい調子だ。


『“――Sくんが告げると、電話口の女性は黙り込んでしまった。

 不思議に思って、そのままスマホを耳にあてていると、また何かをぶつぶつ呟き始めたようだ。


 今度は何を……?

 Sくんは女性の言葉に集中する。


 ――しねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしねしね――”』


「ひッ……!?」


 迫真の演技で魚沼くんがスマホを取り落とし、会場から小さく悲鳴があがった。


 すげえな魚沼くん。

 と感心しつつ客席を見渡すと、最前列にいつの間にか水無月さんの姿がある。


 あ、もしかして水無月さんに反応したのか?

 そうだというならベストタイミングだ。


『“――通話を切って、布団に潜り込むSくん。

 蒸し暑い部屋にも関わらず、体の芯から冷えるような、おぞましい感情を叩きつけられた。

 理解はできなかったが、結局は間違い電話かいたずら電話の類いだろうと結論づけて、Sくんは眠った。


 翌朝……枕もとのスマホに手を伸ばしたSくんは恐怖で凍りつく。


 履歴には、昨夜の着信が残っていなかった。


 夢でも見ていたのか?

 汗でぐっしょりのシャツを着替えると、Sくんは気持ちを切り替えるために外へ出かけた。

 無意識に人の多い場所へ足が向く”』


 場面が変わることを示唆して、魚沼くんからスポットライトが外れた。

 客席もホッとしたような、安堵の空気に包まれる。


 ここまでがヨリコちゃんとの出会い、序章。

 こんな感じでだいたい合ってる。


 ヨリコちゃん、客席のどこかで聞いてるかな?

 俺たちの出会いの軌跡を。


『“――ショッピングモールの賑やかさに昨夜の出来事も忘れ、Sくんは本屋に立ち寄った。

 そこのレジにいた、ひとりの女性にSくんの目が奪われる。


 単に容姿が優れているだけでなく、どこか人間味の薄い表情をした女性もまた、Sくんをじっと見ている。


 なぜだろう。

 知り合いじゃない。

 だけど無表情な冷たい視線から、Sくんは逃れられない。


 そしてその日の夜、再びSくんのスマホが鳴った。

 また身に覚えのない番号だった”』


 魚沼くんの頭上から、スポットライトの明かりが落ちてくる。


「……もしもし?」


『“――意を決して着信に出たSくんの耳に、また女性の呻くような吐息。

 けれどぶつぶつと呟く言葉は、昨夜とは違って聞こえた。

 Sくんは耳を傾ける。

 すると……。


 ――……ねぇ。――ねぇ、Sくん。――ねSくん”』


「うわあ!?」


 Sくんこと魚沼くんが、派手にスマホを放り投げた。


 転がったスマホを最前列の水無月さんが拾い上げ、舞台の魚沼くんに差し出している。

 ガタガタと震えながらそれを受け取る魚沼くんは、臨場感たっぷりだった。


 客席には耳をふさいでる女の子もいる。


『“――昨夜は違ったはず。

 どうして自分の名前を知っているのか、Sくんは恐怖に駆られてすぐ通話を切って電源も落とした。


 ふと、昼間ショッピングモールの本屋で出会った女性を思い出す。

 どこか生気の感じられない、無表情な顔を。

 もしかすると何か関係があるのかもしれない。


 翌日もSくんはショッピングモールに向かう”』




 ――それからも、俺は怪談に仕立てたヨリコちゃんとの歩みを淡々と語った。


 最初はどうなることかと思ったけど、みんな黙って聞いてくれた。

 ヨリコちゃんひとりに届けばいいと思ってた話を、興味深そうに聞いてくれたんだ。


 寝取られ報告の電話。

 夏祭りのこと。

 体育祭や、台風や、合宿や、様々なこと。

 すべて定められた呪いとして語り、Sくんは怪異と離れられない運命であると悟っていく。


 そして、最後に締める。


『“――Sくんは、この呪いと一生付き合っていく覚悟を固める。

 なぜならば……離れた方が、よほど恐ろしいことになってしまう気がしていた。


 この話を聞いたあなたも、知らない番号の着信にはお気をつけください”』


 シン……と静まり返る体育館に照明がつき、魚沼くんとふたりで客席に頭を下げた。

 鳴り響く拍手の音も、なんだか恥ずかしくなってそそくさと舞台袖におりる。


 舞台袖でも、ユウナちゃんが拍手で迎えてくれた。


「よかったぞふたりとも! 獅子原の語りとはまた趣が違ったが、より親しみやすい話だった!」


 マオの文集のようなのは、俺には無理だと早々にあきらめたので。

 百物語系の怪談は動画で見まくった。

 功を奏したようでよかったな。


 魚沼くんもホッと胸を撫で下ろしている。

 影の立役者は水無月さんかもしれない。


 でも今はなにより、ヨリコちゃんの感想が聞きたいのだ。

 何かメッセージでもきてないかとサイレントモードにしていたスマホを手に取った。


 いいタイミングで、まさにヨリコちゃんからポコンとメッセージが届く。


“ごめんこっち忙しくて!”

“も、もう終わった?”

“いま体育館に走ってる”


「って見てなかったんかああああい!!」


「どっどうした急に叫んで!? 大丈夫だ見てたぞ!? 途中なんて、腰が抜けそうなほど怖くて――」


 フォローしてくれるユウナちゃんに頭をちょこんと下げ、足早に体育館をあとにする。


 なんということだ。

 俺の一世一代の決意だったというのに。

 念押ししたのに見てないとか、ありえないだろ。


 でも不思議と怒る気なんか全然なくて。

 なんかヨリコちゃんらしいとすら思えて、笑みがこぼれた。




 体育館に向かう連絡通路で、膝に手をついてゼエゼエ言ってるヨリコちゃんと遭遇した。


 息を詰まらせ、額に汗を光らせて、一生懸命駆けつけてくれたんだとわかる。


「あ、ソウスケ……はぁ、はぁ、くん。やっぱ、もう終わっちゃったんだね? マジ、ごめん」


 そうだよな。

 一世一代にしちゃ、回りくどかった。

 察しのいい・・・・・ヨリコちゃんに甘えてばっかじゃ駄目だよな。


「ヨリコちゃんさぁ……」


「うん?」


「俺、めちゃくちゃあなたのことが好きです。だから彼氏にしてくれませんか?」


 やっぱり、何度も再生したどの怪談よりよっぽど怖えや。

 膝が震える。


 返事を待つ時間は永遠だった。

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