第72話 ディテクティブ(青柳依子)

 うちの彼氏の様子がおかしい。


 前に家へお邪魔したときも思うところはあったけど、昨日のは決定的だった。

 あんな風になっちゃうなんて……蒼介くん。


 家族はどうしたんだろう?

 いつからひとりでいるんだろう?

 あたしにできることは、何か。


「はぁ……」


「くっらい顔してんな青柳ー? 無事に男も乗り換えられたってーのに」


「そんな言い方やめて! ……って、まわりから見ればそうだよね。なんにもちがわない」


「あららー、ますます暗くなっちった」


 キツい言い方も、麻央なりに気づかってくれてるんだと思う。

 あたしが周囲にどういう目で見られるのか正確に教えてくれてる。


 でも今は、あたしのことはどうでもいい。


 肉うどんを平らげた麻央は、賑わう学食で人目なんか気にせず大胆に足を組む。


「蒼介のことだろー? あいつやべーよな。たぶんわたしより……なんつーの? うしろぐれー過去ある気すんだよねー」


「後ろ暗い、ね。麻央はなにも知らないの?」


「聞かないからなー。でも最近の蒼介は顔色も悪いしー、なんかあんだろーね」


 あまり他人に干渉しない麻央だから。

 あたしもどちらかというとそのスタンスではあるけど、彼氏となると話は別。

 やっぱり気になるし、もし困ってるなら助けになりたい。


「今日ガッコ休んでんだっけ蒼介?」


「うん……メッセージ送ってんだけど、返事ない」


「電話で寝取られ報告してみたらー?」


「し、しないから!」


 そんな怪我人に追い打ちするような真似――しちゃってたな、今まで。

 なんであたし、あんなバカなことしてたんだろ。

 あの頃はまさか蒼介くんと付き合うことになるなんて考えもしなかった。


 もしかして寝取られ報告したときの録音、まだ消去してなかったりすんのかな?

 うぅ……めちゃくちゃ恥ずい。


「そいやーさ、ウオっちも蒼介のこと心配してたよー」


「ウオっちって……蒼介くんのクラスメイトの? 魚沼くん、だっけ」


「そーそ。アレはー……呪いの一種だって」


「の、呪いって。やめてよ。そんなのあるわけないじゃん」


 どうせ麻央のいつもの悪ふざけだ。

 そう思ったんだけど、麻央の目はぜんぜん笑ってなかった。


 魚沼くんってたしか、水無月ちゃんと仲良かったよね……?




 放課後、蒼介くんのクラスへ足を運んだ。

 覗き込むとまだ大半の生徒が残ってて、にわかにざわめきが大きくなる。


「あれ、青柳センパイじゃね」「かわいいよな、同じ3年の先輩と付き合ってんだろ?」「最近別れたって聞いたけど……」「マジか!?」「なんだよその反応。狙ってもお前が付き合えるわけねーだろ」


 そんなかわいいか? あたし。

 まぁ悪い気はしないけど、居心地もよくないので目的の女子を呼ぶ。


「水無月ちゃん、ちょっといい?」


「青柳先輩……どうされたのですか」


 廊下まで出てきてくれた水無月ちゃんは、同性のあたしから見てもうっとりするほどの美人さんだ。


 長い黒髪に落ち着いた佇まい。

 顔は言うまでもなく、きっと男の子ならだれもが目を奪われる存在じゃないかな。


 こんな子がクラスメイトで、蒼介くんはなんであたしなんか。

 ……と、いけない。その蒼介くんの話だ。


「あの、もしかして弓削くんのお話ですか?」


「へ!? う、うん。そうなんだけど……」


 話が早くて助かるよ。

 でも水無月ちゃんから切り出してくるくらいに、やっぱ蒼介くんの身には何か起きてるのだ。


「すみません、詳しいことはわかりかねます。ですが、あれはとても良くないものです。もし急ぐのであれば日辻先輩を頼るのがよろしいかと思います。……癪ですが」


 ぼそっと付け加えた水無月ちゃんは、ほんとに忌々しそうに眉をひそめた。


「そっか……わかった、ありがとね!」


 水無月ちゃんと別れて、3年の教室へと引き返す。


 朝寧か……。

 朝寧を頼れってことは、マジでそういう案件・・・・・・なのかもしれない。

 知らない人が聞いたら鼻で笑い飛ばされるだろうけど、あたしは朝寧のことをそれなりによく知ってるから。


 心臓がドキドキする。

 たぶん、走りっぱなしだからって理由だけじゃなかった。


 朝寧はクラスメイトのほとんどが下校した教室で、机に突っ伏してぐーぐー寝てた。

 とりあえず肩を揺する。


「朝寧起きて、朝寧ってば!」


「んぁ~~……あと……3分……3時間」


 3時間とか冗談じゃない。

 こっちのモードの朝寧が頼れるかわかんないけど、腕を引いて肩に回し、持ち上げるようになんとか立たせた。


 ……ここは賢司くんの教室でもある。

 そういえば最近、賢司くんを見かけないな。


 賢司くんの机を振り返って、でも頭を振って朝寧と教室を出た。



◇◇◇



「はぁーっ! はぁーっ! はぁーっ!」


 いくら小柄でも、体にまったく力の入ってない朝寧を連れてくるのはヤバいくらいしんどかった。


 マンションのドアの前まで朝寧を引きずって、インターホンを押す。

 ピンポーンと室内に反響する音が微かに聞こえたものの、蒼介くんは出てこない。


 2度、3度と押す。

 やっぱり反応がない。


 出かけてんのかな。

 学校休むほど具合悪いのに?


「…………」


 人目を気にしつつ、ドアノブをひねってみた。

 ガチャリとドアが開く。


「……蒼介くん……?」


 不法侵入は承知の上で、玄関で靴を脱いだ。

 リビングに入ると、蒼介くんがいた。


 お見舞いに買ってきたケーキの箱が、手からすべり落ちる。


 蒼介くんは、リビングのエアコンを見上げて佇んでいた。

 うわ言みたいにぶつぶつ呟いて。

 目から涙を流して。

 嘔吐したのか、フローリングのそこら中に吐瀉物が散乱してて。


「……蛇……? く、喰われている……? まさかこんな……大陸の術か……?」


 朝寧の言葉も頭に入らなくて、あたしは駆け出していた。


 どうしよう。


 後ろから蒼介くんを抱きしめて、ギュッと腕に力を込める。


 どうしよう。

 蒼介くんが壊れていく。

 どうすればいい?


「……行か、なきゃ……帰らなきゃ……母さん……親父……海未うみ……」


「うん。うん……大丈夫。大丈夫だよ。あたしがいっしょだから。ずっとそばにいるから。いっしょに帰ろう。……ね? 蒼介くん」


 苦しそうに顔を歪めて泣き続ける蒼介くんを、あたしは慰めることしかできなかった。


 無力感でいっぱいになりながら。

 せめてそばにいると誓って、抱きしめ続けた。

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