第19話 モラルハザード

 時間の経過は覚えてない。

 少女漫画の内容も覚えてない。


 とにかくテーブルにお呼ばれしたので向かうと、肉じゃがにご飯、味噌汁にお新香と純な和食が食卓に並んでいた。


「たいしたものじゃないけど……お礼……的な? 冷めないうちに食べちゃってよ」


 はにかんで笑うヨリコちゃんを呆けたように眺めて、ハッとよこしまな感情を抱いた自分を恥じる。


 ヨリコちゃんは純粋な気持ちで準備してくれたというのに、俺ってやつは。


 何が夏祭りだ。

 俺の提案なんかより、ヨリコちゃんが一生懸命に考えてくれたお礼の方がよっぽど尊い。


「……いただきます」


 手作りの料理はどれも温かくて、じんわり心にしみいるうまさだった。

 ふいに鼻の奥がツンとなって、誤魔化すように飯をかき込む。


「おいしい……! まじでうまいよこれ! ぜんぶ!」


 きっとヨリコちゃんのこと、俺はずっと誤解してたんだ。

 だってこんなに家庭的な女の子だぞ。

 寝取られや浮気なんてただれた行為とは無縁の、無垢な天使みたいで――。


「あ、ソウスケくん」


 俺の頬に手を伸ばして、つまんだご飯粒を指ごと自分の口にパクッとくわえるヨリコちゃん。


「ご飯つぶ、ついてたよ?」


 それ恋人同士でするやつッッ!


 なんだよ誘ってんのか!? 誘ってんだろ!?

 この小悪魔め!


 いいだろう乗ってやるよ!

 おまえの上に乗ってやる!


 お望み通りに寝取って、身も心も堕とし尽くしてケンジくんに報告してやる――!


「あはは。……マジで弟みたい」


 本日2度目のハッとなって我に返る。


 弟……。


 そっか、こうして家に招き入れるのも。

 ふたりきりなのに薄着になれるのも。

 ご飯粒パクッなんてできるのも。


 ヨリコちゃんにとって俺は弟どうぜんで、危険な存在として認識できないから。


 前にも言われたことだ。

 そんなのわかってたはずなのに、何をひとりで暴走してんだ俺は。


 ヨリコちゃんを前にすると、俺の心はもうぐちゃぐちゃにグロくなる。

 感情の振れ幅がジェットコースター。

 吐きそう。


「もう、またついてるし」


 それからは、なすがままだった。

 どんだけがっついてご飯食べてたんだってくらい、口のまわりについたご飯粒を何度もつまんではパクつくヨリコちゃん。


 さらには、なぜか落ち込む俺の頭を、理由もわからないくせによしよしと撫ではじめる始末。

 ついに母性まで手に入れ、ヨリコちゃんは無敵と化した。


 あきらかに異常な空間でエアコンの駆動音だけがブー……ンと微かに存在を主張している。


 なんだ……これは。

 俺はどこか他人事のように、現状を客観視する。


 これもまた、ヨリコちゃんのひとつの本性か。

 たぶん自宅という絶対の安全圏がもたらすゆとりが、こんな大胆な行動を引き起こしている。


 自覚はないのかもしれない。

 あるいは彼氏にかまってもらえない寂しさを、無意識に補おうとしてるのかもしれない。


 そして、何よりも。


「ヨリコちゃん、フウタくんって歳いくつ?」


「14……だから中2かな。なんで?」


 いつも中2の弟にこんなことしてんの!?

 フウタくんの性癖歪んじゃってんじゃないの!?


 考え込む俺の頭を、またヨリコちゃんが撫でり、撫でり。


「んー? ソウスケくん、どちたんでしゅか?」


「…………は?」


 聞き違いか?


 ヨリコちゃんの大きな瞳をまじまじのぞき込んでいたら、コンロに点火するみたいにわかりやすく顔面が紅潮した。


「え……まじ?」


「いまのはちが……っ、ちょっ、噛んで……!」


「中2の弟に幼児ことば使ったりしてんの!?」


「してないしてないぜったいしてないッ!!」


 属性てんこ盛りにしてくんじゃねえよ!

 こいつまじで俺をどうしたいんだよ頭がパンクしそうだ!


「ほんとっほんとにちがうからっ! ただなんか寂しそうだし頭なでさせてくれたし抵抗しなかったしかわいいなってかネコみたいだったからそれで!」


「めっちゃ早口でしゃべるじゃん!? きっつ! 俺、愛玩動物とかそんなんじゃないからっ!」


「姉貴……?」


 今日3回目はヨリコちゃんとふたりして、ハッとリビングを振り返る。


 ガラス戸に手をかけたまま、髪の毛で片目を隠した弟らしき少年と、ニコニコ顔のマオが並んで立っていた。


「やーそこで青柳の弟とバッタリ会ったからさー、あげてもらったんだけどー……」


「……てめぇ……よくも……家まで……」


 怒りのためか声を震わせ、フウタくんと思しき少年が拳を握り込む。


「ひとの姉貴になに言わせてんだっ! 恥を知れよケンジィーーッ!」


「ちがっ!? ちょ待ってくれ俺ちがうんだよ!?」


 必死に呼び止めるもフウタくんはリビングを飛び出していった。


 ヨリコちゃんは真っ青になって頭を抱えるのみでクソほどの役にも立たない。

 せめて弁解してほしかった。


 思春期の少年にとって、幼児ことばを使う姉を見るとかどんな拷問より耐え難いはず。

 フウタくんの心情は計り知れない。


 助けを求めて、マオを仰ぎ見たものの。


「どーぞどーぞ。ちゅぢゅけてー?」


「あおってんじゃねえよくそっ!」


 ともかく、フウタくんの俺への第一印象と、姉の威厳が粉々に砕け散ったのは言うまでもない。

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