第50話 獅子を追って兎

 街の雑踏から少し離れた路地へ入り、古ぼけたビルの階段をおりて地下へ。

 そこに“アブソリュート”と店名の書かれたスタンド看板が設置されていた。


 通路天井の薄暗い蛍光灯と、その微弱な明かりに浮かびあがる重厚な扉。

 なんだか息がつまる。


 そもそもここ、なんの店だよ。

 アングラで怪しげな雰囲気プンプンすんだけど、ほんとにマオが出入りしてるのか?


 ……入ってみなきゃわからないよな。


 緊張する。

 唾を飲み込み、うしろを振り返っていざというときの逃走経路だけは確認して。

 俺はゆっくりと、重々しい扉を押し開いた。


「こ、こんちはー」


 深海のような、濃く青い照明の店内。

 長いカウンターテーブルと、奥に備えつけられた4台のダーツマシンが存在感を放っている。


 だがそれよりも。

 なによりも目を引いたのが……ソファに腰かけてテーブルのノートパソコンへ一心不乱に打ち込む、バニーガールの存在だった。


 ピンク髪からはウサミミが伸びて、ふてぶてしく組まれた足には網タイツ。

 ハイヒールのつま先でテーブルの裏をコツコツ蹴りながら、加熱式タバコを片手にパソコンをカチャカチャやっている。


「……チ。あーもう振り込んじまった! くっそ腹立つなぁ……――あん?」


 やさぐれた女性と目が合った。

 タバコ吸ってるし大学生くらいだろうか。

 肩が剥き出しのバニースーツ姿も、恥ずかしがる様子は一切ない。


「客? アンタいつからいたの? まだ準備中なんだけど」


「あ、俺はその、ちょっとひとを――」


「若ぇな、学生? まあいいや、アンタ麻雀できる?」


「え?」



◇◇◇



「ハイあがりぃ! いや悪ぃな、アタシばっか気持ちよくさせてもらっちゃってさ」


「いえ……」


 麻雀は出来ないと答えたら、トランプ勝負をやらされるハメになった。

 マオを探しに来たはずが、なぜ俺はこんな地下で見知らぬバニーガールとトランプしてるのか。


 ちなみにブラックジャックとドローポーカーを繰り返しているけど、一度も勝ててない。


「つぎ何すっか。アンタ弱ぇからなぁ……スピードでもする? 花札とかオセロでもかまわんが」


「だから俺は目的があってですね――」


「あ? 目的? そういや見ない顔だな……あっ、クチコミか! まいったな、メシ作れるやつ今日は来てなくてさぁ。飲み物くらいなら出してやれっけど? 高校生だろ? もちろんジュースな!」


「ひと探してんですよひと!」


 これ以上話を遮られてはかなわないと、ひと息にまくし立てた。


 バニーガールのお姉さんが、高速でトランプを切る手をピタリと止める。


「ひと探しぃ? ダレよ」


「獅子原麻央って女の子です。ここに来てるって聞いたんですが」


「……はぁーん、なるほどな」


 とたん納得した顔でうなずくと、お姉さんはトランプを雑にテーブルへ放った。


「あきらめて帰んな。いい思いはできただろ? 夢みてぇな時間――いや、文字通り夢だったんだよ」


「……どういう意味ですかそれ」


「意味を問うなバカタレ。めんどくせぇだろが」


 なぜか怒られてしまう。

 けれど間違いなくこのバニーはマオのこと知っている口ぶりだ。


「あきらめるわけにはいかない。マオがどこにいるか教えてください!」


「……ハァ。罪作りな女だなぁ。……アンタ名前は?」


「蒼介です。弓削蒼介」


「よぉしソースケちゃん。ならばこうしよう。アタシに何か勝負事で勝ったら居場所教えてやろうじゃねぇの」


 正直、勝負事は得意じゃない。

 でもソファにふんぞり返って足を組み、ニヤニヤしているバニーには思うところがある。


 なによりマオの過去にも踏み込んだんだから、ここで引き下がるわけにはいかなかった。


「なら将棋……で、どうですか?」


 そう将棋なら、子供のころに祖父から筋がいいと褒められたことがある。


「いいよぉ? 永世名人の弟子――の従兄弟とも飲んだことあるアタシが、負けるはずねぇから」


 遠い間柄でもせめて将棋しろよ。


「あとそっちの名前、聞いてませんけど」


「源氏名でいい?」


「ダメです」


「チ、めんどくせぇガキだなぁ……。カニだよ、可児かに紫乃しの。古くせぇ名前だろ? カニちゃんとかかわいく呼べよな」


「カニなのに、ウサギで。紫乃なのに、ピンク髪」


「るせぇな。どこ気になってんだよ。おらやるぞ! かかってこいや!」


 将棋盤を広げたカニちゃんと、緊張の1戦がついにはじまった。




「――恥ずかしくねぇわけ?」


「ぐっ……!」


 結果は惨敗だった。

 討ち取られたぎょくが、カニちゃんの手によって無惨に将棋盤へ転がされる。


「もう1戦! もう1戦お願いします!」


「しつけぇな! 飛車角落としてやってもダメだったんだからあきらめろや!」


「金と銀も!」


「図々し過ぎんだろ!?」


 こんなつもりじゃなかった。

 マオに会うこともできず、おめおめと逃げ帰るわけにはいかないんだ。


 テコでも動かない意志を示していると、カニちゃんがヤレヤレと首を振る。


「やっかいな客は、とっととお帰り願おうか。――スコーピオっ!」


 カニちゃんがパチンと指を鳴らした。

 するとほどなくして、将棋盤に濃い影が落ちる。


 何かが照明をさえぎったのだとわかり、見上げる。


「店コマラス、ダメヨー?」


 主観で身長2メートルはあろうかという、大男が俺を見下ろしていた。

 おかっぱ頭で東南アジア系っぽい顔立ち。

 筋骨隆々の身体に纏う、サソリの刺繍が施されたスタジャンが印象的だ。


 何かしらの裏稼業やってんのか?


「どうするよソースケちゃん? まだ駄々こねるかい?」


 冷や汗が止まらない。


 俺はすっくと立ち上がり、ロボットみたいな足取りで店の出口へ向かう。


「今日の、ところは、帰る。だが、俺は、必ずまた来る」


「ハイハイ声震えてる。何度来たってアタシに勝てなきゃ無駄足だけどなぁ」


 カニちゃんとスコーピオのせせら笑いを背に受けながら、店をあとにした。


 ……怖すぎんだろ。

 マオのやつ、いったいどんな連中と関わってんだよ。

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