第97話 光明

 異様な光景だった。


 年端もいかない少女が降雪の中、憂いの表情で夜空を見上げている。

 少女の周囲には十数名の男女が倒れており、いずれも“九楼門くろうもん”という悪名高い犯罪組織の構成員だった。


「……なぜ」


 アスファルトに膝をついて、呆然と、問いかけるように楝蛇鏡也が呟いた。


「なぜ? ここは故郷だからな。たちの悪い部外者をのさばらせるのも心が痛む」


 少女――日辻朝寧はそう答え、空へ向かって白い息を吐き出した。

 ひどくつまらなそうな日辻朝寧の横顔を見上げ、楝蛇鏡也は疑問を重ねる。


「何者……なんです」


「つれないな。散々ひとのあざなを利用してきたんだろう?」


「……そう、か。やはり、実在していたか……」


 力なくうなだれ、楝蛇鏡也は自嘲の笑みを浮かべる。


「……死に損なった。それとも、あなたが手を下してくれるんですか?」


「ああ? ふざけるな。それこそなぜ、そんなもの背負わなきゃならん。死にたいなら勝手に死ね」


 日辻朝寧はうんざりと自身の頭に乗った雪を払い、つま先でゲシゲシ地面を蹴った。

 なにも反応を返さない楝蛇鏡也を見下ろすと、鼻を鳴らす。


「……おい、贖罪のつもりか? 言っておくが死んだところで罪の清算などできんぞ」


「もう生きる理由がない」


「知るか。……と言いたいところだが、まあなにかの縁だと思ってひとつ、話をしてやろう」


 あからさまに深く息を吐いて、日辻朝寧は虚空に視線を移す。


「“呪い”とは強力なものでな。一度発動してしまえば誰にも止めることは叶わない」


 ガードレールの向こう――眼下に広がるはずの村は闇夜に覆われ、白い雪を奈落のように飲み込んでいく。


「“もう誰も恨んでなどいない”“もう止めて”……たとえ呪いを生み出した張本人が、そう願ったとしてもだ」


 氷同様に冷たくなったガードレールへ触れると、声も感情すらも一緒くたに凍結してしまうような感覚があった。


 この身を侵す呪いまで凍りつかせてくれたらどれだけ良いか。

 少女が願わなかった日など、一度たりとてない。


「邪悪な自分自身がひとり歩きする様を、指を咥えて眺めるようなものだ。重荷はずっと重いまま。永劫な」


「……救いのない話ですね。私なら気が触れるでしょう」


 瞳を閉じて、日辻朝寧はふっと笑う。

 笑みの意味がわからず困惑する楝蛇鏡也。


「それがな、あるんだよ意外と。救いだったり希望だったり。長い時間を過ごしているとな。光明――とでも呼べばいいのか、今は手が届かなくとも、いつかは。……そう思わせてくれるような出来事、出会いが胸に火を焚べてくれる」


 冷たくなった手を胸に押し当てれば、言葉を証明するかのごとく温もりが分け与えられる気がした。


「これでもな、会いたい男だっているんだぞ」


 振り向いて白い歯を見せる日辻朝寧は、外見相応の少女の顔をしていた。

 呆気に取られて口を半開きにする楝蛇鏡也へ、日辻朝寧が今度こそ背を向ける。


「――と。そろそろ迎えが来る。ああ……そうそう。弓削蒼介や天晶賢司、こいつらだってそうだ。他のやつらもな、一生懸命だろう? 誰それを好いてる、好いてないと」


 遠ざかる日辻朝寧の軽快な足取りに釣られるように、楝蛇鏡也はゆっくりと立ち上がっていた。


「なぁ? 色恋は良いものだ。おまえも、見届けたくはないか? ま、好きにすればいい」


 楝蛇鏡也の脳裏には、息子のように思う彼と、娘のように思う彼女の姿。

 ふたりのまだ見ぬ将来の相手などを夢想する。


 冷えて感覚の無かった体の節々が、唐突に痛みだして楝蛇鏡也は顔をしかめた。

 ただ不思議と不快感は覚えず、それがなぜだか可笑しくなって肩を震わせる。


 空の暗雲には切れ間が見えた。

 降雪もまもなく止むだろう。


 楝蛇鏡也は歩きはじめる。

 ひとまずは、夜道を照らす明かりを探して。

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