第98話 うららかな

 目覚ましの電子音がけたたましく鳴る。

 叩きつけるように目覚ましを止め、寝返りを打った。


 春眠暁を覚えず。

 今はまだ夜だ。

 俺はそう信じてる。


 全身を脱力させ、さらなる眠りに落ちようとしていたところ、玄関の方からドタドタとやかましい足音が響く。

 つづいて遠慮なく部屋のドアが開けられ、握りしめていた布団まであっけなく剥がされてしまう。


「兄ちゃん! いつまで寝てんの!?」


「……まだ余裕だろ。寒いから布団返してくれ」


「そうだね。今から準備すれば余裕をもって歩いて登校できるよ。元陸上部のあたしと学校まで全力ダッシュする覚悟があるなら寝てていいけど」


「…………」


 ふたつのシチュエーションを天秤にかけるまでもなく、選択肢はひとつしかなかった。

 つまりは起床した。


 あくびをかみ殺し、洗面所へ向かう。

 だらだらと着替えなんかしている間、海未がトーストを焼いてコーヒーを淹れてくれる。


 これがだいたい、いつものルーティンだ。

 この生活にも、もうすっかり慣れてきた。


「ほらほら、はやく食べちゃって」


「せ、急かすなよ」


 トーストを頬張りながら、鏡の前で制服のリボンを結び直している海未をチラ見する。


 中学を卒業した海未は、俺と同じ高校に入学した。

 住む家は前と変わらず、双葉さんの家でお世話になってる。

 それでも毎朝こうして起こしに来てくれ、甲斐甲斐しく俺の面倒も見てくれている。


 少しくすぐったいけど、贅沢な話だよな。




 たわいない雑談をしつつ、妹と登校する毎日。

 通学路にある公園がやたらと賑やかで、何事だろうかと覗き見る。


「いい場所取れたろ? やっぱ早起きしてよかったな!」


「ホントホント! さっすがケンくん! 盛大に就職祝いできるね!」


 なるほど……花見か。


 聞き覚えのある名前に苦笑がもれる。

 見上げると、公園内の桜の木が一斉にザワザワと揺れた。


「わぁ……綺麗だね」


「……ああ。すっかり春だな」


 再会した頃よりも伸びた髪を押さえて、目を細める海未。

 そういえば、もうすぐ海未の誕生日だ。

 こうして眺めると、たしかに大人になったよな。


 ……俺は、どうなんだろうか?




「じゃあね、兄ちゃん。しっかり勉強しなよ!」


「俺のセリフだ、バカ」


 海未と別れて、教室へ向かう。


 俺も高校2年生になった。

 クラスメイトも変わったし、担任も変わった。

 環境の変化はいろいろあるけど、やっぱり1番は――。


 この学校にはもう、依子ちゃんがいないってこと。


 麻央も、賢司くんも、双葉さん、友奈ちゃん、朝寧ちゃん。

 みんな卒業してしまった。


 それは、やっぱり寂しく思う。


 それぞれ希望の進路に進めたようだし、今頃は新しい生活を満喫してるのかもしれない。

 依子ちゃんなんか、言っちゃ悪いがあの成績でよく合格できたよな。

 大学の合否はたぶん本人以上に緊張してた。


 俺も、真剣に進路を考えなきゃな。




 眠気にあらがいつつ授業をこなし、放課後。

 教室まで海未がやってきた。


 我が妹ながら海未はかわいいので、ちょっぴり男子どもがざわつく。

 それが気にいらない俺は、必要以上に周囲を威嚇する。


「ちょ、ちょっとやめてよ兄ちゃん! ……えと、今から部活?」


「そうだけど……どうした?」


 悩むそぶりのあと、海未が取り出したのは小さな箱だった。

 中には女の子らしい細身の腕時計が入っている。


「あのね……朝、言い出せなかったんだけど。昨日これが家の郵便受けに入ってたの。あたし宛で」


「それって……」


「伝票とかも無くって。これ……あのひと……なのかな」


 他に思い当たる人物もいない。

 海未の誕生日が近いことを考慮すれば、おそらく想像の人物で間違いない。


 けど、じゃあ本人が直接郵便受けに入れていったってことか?

 そこまでするなら、顔くらい出してやれってんだ。


「やっぱり……もう会えないのかな? 会っちゃ、ダメなのかな……?」


「だめなんてことねえよ。……いつか、きっと会えるって」


「……うん」


「もし街とかで見かけたら、俺がとっ捕まえて連れてくるよ。約束する」


「……うん。兄ちゃんは嘘つかないもんね、ぜったい」


 父親・・からの誕生日プレゼントを大事そうに胸に抱えて、海未は教室から出ていった。


 まったく。

 どこでなにやってんだ。

 てか兄より先に渡すなよ、立場がないだろ。


「はぁ〜あ……」


 ムカつくことに、それでも嫌いにはなれないんだよな。




「あっ。せんぱーい! 待ってましたよ!」


「やあ弓削くん。……あれ、なにか良いことでもあったのかい?」


「おっす純香ちゃん。魚沼くんも早いね。まあ、良いことっていうか、ちょっと」


 純香ちゃんは今年入学してくると、かねてからの宣言通りすぐに都市伝説創作部に入部してくれた。

 去年に引き続いて部長は魚沼くんだ。


「本当に遅いわね。気が抜けているのではありません? 春は特にそのような方が目立ちますが、高校生活もすでに2年目だという自覚をもって部活動にものぞんで欲しいものね」


 歓迎ムードのふたりとは真逆の、冷水のような言葉を容赦なく浴びせてくる女性。


「魚沼部長もなにかおっしゃってください」


「え!? ぼ、僕からは、なにも……。今日の活動内容もまだ決まってないし……」


「部長がそんなことでは、部員に示しがつかないでしょう」


 矛先を向けられ、みるみる萎縮していく魚沼くん。

 実にかわいそう。


 今年から急に入部するなり、新参のくせに古参の俺を差し置いて、書記というポストにちゃっかりおさまった水無月さんである。


「才能のある小説家が自堕落な人間だったりするだろ? それと同じだよ。そもそもこの部で創作文書けるのなんて俺しかいないんだから、もっと敬って――」


「でしたら、これを」


 スマホを取り出した水無月さんが、液晶画面を俺の鼻先に突きつけてくる。


「早乙女さんが投稿している自作のネット小説とのことです。私もまだ少ししか拝読出来ていませんが、とても興味を引かれる内容だったわ」


「えへへ〜。照れますねぇ!」


「なん、だと……?」


「今年度から、エース交代かしらね」


 まずい。

 このままでは、もともと無いようなものだった俺の部での存在感がさらに薄くなる。


 机をバン! と打って立ち上がった。


「なにやってんだ魚沼くん! はやく俺に400字詰め原稿用紙を!」


「いまどきアナログなんですねーせんぱい」


 なんとでも言うがいい。

 依子ちゃんは卒業しちゃったけど、今度は最高の寝取られシナリオ・女子大生編を完成させてやる。


 そうさ。

 たとえ進む道がバラバラだって、繋がりが絶たれるわけじゃない。


 この日の部活はシナリオ作りに没頭した。

 純香ちゃんとあれこれ展開を語り合うのは思いのほか楽しかった。

 魚沼くんも以前よりは協力的に参加してくれるようになったし、なんだかんだ水無月さんも身の回りの世話をやいてくれる。


 ブレイクタイムにみんなで食べた、水無月さんのお手製クッキーと紅茶は最高だった。




 陽も傾いてきたころ、俺のスマホがメッセージを告げる。

 音に釣られるように、水無月さんが壁掛けの丸い時計を見上げた。


「……もうこんな時間なのね。そろそろ今日の活動はお開きにしましょうか」


「あ。海未がさ、バイト先に食事に来ないか? って、言ってんだけど……」


 海未は双葉さんといっしょに、賢司くんのファミレスでバイトしてるのだ。

 どうも、ふたりで激しい賢司くん争奪戦を繰り広げてるなんて噂も聞いてるし。


 ……そういえば、冬に田舎で過ごしたときかかってきた寝取り電話。

 あの犯人、なんか考えれば考えるほど海未っぽいんだよな。

 こわくて本人には聞けないけど。


 兄としては複雑な心境だ。

 バイトの様子はちょくちょく見に行きたい。


「うち行きます行きます! 水無月せんぱいも行きましょう!」


「しかたないわね。昨日のお煮付けが残っているのだけど……」


「へー手料理ですか? マメですね。魚沼せんぱい大勝利じゃないですか」


「え!? なな、なぜ僕が……」


「そ、そうよ。魚沼くんは関係ないでしょう」


 各々帰る支度をすませ、わいわいと席を立つ。

 ほんと、去年とはまた違った賑やかさだ。


「じゃあ今日は魚沼せんぱいのおごりですね!」


「だからなぜだい!? そういうのは誘った弓削くんに言ってくれ!」


「やだよ! ――と言いたいところだけど、ドリンクバーくらいなら、まあ」


 歓声をあげて、大げさに喜ぶ純香ちゃん。

 無料チケットならたんまりあるし、こんなもんで株が上がるなら使わない手はない。


 新しい環境。

 日々のめまぐるしい変化も、やがてはゆっくりと日常に溶け込んでいく。

 体が慣れて、きっと心も慣れて、ゆるやかに時間が流れる。


 夕暮れ時に校庭で吹いた風は、もうずいぶんと暖かく感じた。

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